霧島神宮
鹿児島県霧島市霧島田口2608-5 mapfan

鳥居

交通案内
日豊線霧島神宮駅



祭神
天饒石國饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊
配祀 木花咲耶姫尊、彦火火出見尊、豐玉姫尊、鵜鵜葺不合尊、玉依姫尊、神日本磐余彦尊

摂社
 野上神社「天御中主大神 配祀 高皇産靈神、神皇産靈神、天照大神、栲機千千姫命、天忍穗耳命、玉依姫命」
 税所神社「税所篤如」
 鎮守神社「天照大神」
 若宮神社「天忍雲根命 配祀 水波能賣神、市杵嶋姫命、大名牟遲神」
 門守神社「櫛磐間戸神」
 門守神社「豐磐間戸神」
 猿田彦神社「猿田彦大神」

社殿風景

由緒
 社伝によると、天照大神の神勅によって日向の襲の高千穂に天降った瓊瓊杵尊が国土を開拓し、皇基をたてたことから、それに関連する神々とともに高千穂峯に鎮座するようになった言う。
 高千穂峯は活火山で、噴火のために焼失、その後西麓の高千穂川原に奉遷、さらなる噴火で遷座したが、文明十四年(1484)、僧兼慶が現在地に再建したと言う。

 古代の文献に見える霧島神社は全て日向国の所在であり、延喜式でも日向国諸県郡一座(小社)となっている。当社は明治になって官幣大社に列せられているが、これは明治政府における薩摩の勢力のなせる業。

拝殿

本殿

お姿
 深い緑の中に鎮座、朱の社殿が映える。地元の方は観光化してしまった。昔はもっと厳かな良い神社の趣があったと懐かしがる方もおられる。

高千穂河原の古宮址


 記紀に瓊瓊杵尊が「襲の高千穂の峯に天降ります」と記してあるように、高千穂は神様の宿る山として古へより、多くの人々の崇敬を集めてきました。(境内掲示)

高千穂河原の古宮址

高千穂河原の古宮址

 写真の背景の山は高千穂の峯。
 いかにも仕事をしない天津神の降臨の地にふさわしい佇まいの雰囲気を漂わせる古址。

韓国岳から臨む高千穂峯



お祭り
    9月 19日  例祭

平成祭礼データ

霧島神宮由緒略記

 当神宮は天祖天照大神の御神勅を畏み戴きて三種の神器(皇位の御璽)を奉持し高千穂峰に天降りまして皇基を建て給うた肇国の祖神<天孫瓊瓊杵尊>をお祀りしているお社です。旧記によると欽明天皇の御宇(西暦五四○年)、はじめ高千穂峰のほど近く脊門丘に社殿が建立されたが、その後たびたび噴火炎上し幾星霜を経て今から五百年前現在の社地へ御鎮座になりました。いまの御社殿は第二十一代藩主島津吉貴公が正徳五年(一、七一五年) に造営寄進されたもので、絢爛たる朱塗りの本殿、拝殿、勅使殿等その配置はまさに輪奐の美をなし、西の日光とも称せられる。特に殿内は漆塗りで二十四孝の絵画、龍柱、床には鴬帳りが施されている。明治七年二月「霧島神宮」と社号改定、官幣大社に列格仰せ出されました。
 畏くも昭和天皇陛下には二度にわたる御親拝を賜っております。平成元年五月国の重要文化財の指定を受け、海抜五○○米の此の地からは遥か錦江湾、桜島、開聞岳の眺望が実に雄大であります。高千穂峰(標高一、五七四米)頂上には神代の旧物“天の逆鉾”があり、中岳、新燃岳、韓国岳一帯はつつじ「みやま霧島」で有名です。
  以上

公式霧島神宮
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