高千穂神社
宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井1037 mapfan


鳥居

交通案内
高千穂駅より南へ20分



祭神
高千穗皇神、天津彦彦火瓊瓊杵尊、木花開耶姫命、彦火火出見尊、豐玉姫命、鵜葺草葺不合尊、玉依姫命

配祀 十柱大明神、三毛入野命、鵜目姫命、太郎命、二郎命、畝見命、照野命、大戸命、靈社命、淺良部命、三郎命

摂社
 荒建四皇子社「配祀 大神惟基 合祀 猿田彦命、天鈿女命、稻飯命、五瀬命、三毛入野命、神日本磐余彦命、事勝國勝長狹命、大年神、羽居高天神、比波里天神」

拝殿

本殿

由緒
 高智保神として日向国では位階がトップの神社であるが、式内社に列せられていない。式外社。

 神武天皇の兄の三毛入野命が東征の途次に高千穂に帰り、日向三代を祭ったのが初めで、その子孫が長く奉仕してきた。後には三毛入野命夫婦と八柱の御子とを合祀して十社大明神の神名で親しまれた。 古くより高千穂八十八社の総社として崇められてきた。

荒建四皇子社     夫婦杉
 


高千穂宮鎮石
垂仁天皇の勅命により我が国で始めて伊勢神宮と当高千穂宮が創建せられた。その際用いられた鎮石と伝えられています。尚、往古、関東鹿島神宮御社殿御造営の際、高千穂宮より鎮石が送られ、同宮神域に要石として現存しています。

お姿
 巨木の鬱そうとしている様相は古くからの聖地。瓊瓊杵尊の降臨の地が知舗郷とされており、現在の高千穂町とされている。当地は旧石器文化の地であり、縄文文化になると各期の遺跡が発見されていり、弥生文化の遺跡も多く出ている。前方後円墳一基を含めた古墳も多い。連綿とした古代からの文化を伝えてきた土地である。



お祭り
 4月16日 春季例祭
 7月29日 夏季大祭
12月 3日 猪々掛祭 笹振り神楽
12月 3日 猪々掛祭 鬼八塚祭 [神事名]霜除神事

平成祭礼データ

高千穂神社

 当宮は初め高智保皇神と申し上げて、この地に宮居をさだめられた天孫瓊々杵尊・木花開耶姫以下三代の神々をお祀りし千百余年前の仁明・清和両朝には日向国最高の御神階が授けられたことが六国史に記されております。神武天皇の皇兄三毛入野命が御東征の途次高千穂に帰られて日向御三代をおまつりされたのが初めで、その子孫が長く奉仕されて後には三毛入野命御夫婦と八柱の御子とを合祀して十社大明神の神名で親しまれ、古くより高千穂八十八社の総社として崇められてきました。源頼朝は畠山重忠を代参として多くの宝物を奉納し重忠手植の秩父杉は八百年を経た今も社頭高くそびえています。文永・弘安の役には勅使が見え、南北朝の頃征西将軍懐良親王御祈願等、古記録や宝物も多数残っています。天正年間三田井氏が滅んで延岡領となりましたが歴代藩主はそれぞれ社領を寄進し例祭にはたえず奉幣して明治に及びました。大正十四年秩父宮御成をはじめ十数家の皇族の御参拝もあり、昭和四十六年七月一日別表神社に列せられました。天孫降臨、神武天皇ゆかりの高千穂宮は、今日では国運の隆昌と、縁結び、交通安全、厄除けの神さまとして広く信仰されております。
  以上



高千穂渓谷の景色

 渓谷

 甌穴 岩盤からなる河床に出来る円筒形の深い穴をかめ穴、又はポットホールといいます。河床の岩盤の窪みや割れ目の所に渦巻きが生じ、そのエネルギーによって穴が出来、さらにその穴に入った小石が渦巻きによって岩盤を削るたねこうした深い円筒形の穴が出来る。
 

鬼八の力石 高千穂神社の祭神三毛入野命は弟の神武天皇とともに大和に行かれますが、伝説には再びお帰えりになり、高千穂郷一帯で悪行をはたらいていた鬼八を退治し、この地を治めたといわれます。この時、鬼八が三毛入野命に投げ、力自慢をしたという石といわれています。
 

真名井の滝 太古の昔、阿蘇山の噴火活動で流れ出た溶岩の侵食によって形成された渓谷で、最大の見所が「真名井の滝」です。
 

月形 「玉垂れの滝」の上にある半月の岩形を月形と言います。素盞嗚尊が高天原を追われるにあたって所払いの証として、自分は月の半分も値打ちがないと三日月の穴を彫って出雲に行かれたと伝えられています。

久太郎水神 大阪に久太郎町があるが、ここは百済町であった。クダラ→久、太、郎である。
 

神奈備神社一覧九州

神奈備にようこそ
inserted by FC2 system