住吉神社
対馬市美津島町鴨居瀬字住吉491番地 its-mo

鳥居

交通案内
  対馬空港より鴨居瀬まではバスがある。



祭神
 彦波瀲武鵜鵜草葺不合命、三筒男命 (平成祭礼CD)
 和多都美之神、豊玉姫命 (『長崎県の地名』平凡社)

拝殿

由緒
 式内社の住吉神社は鶏知に鎮座の住吉神社とされる。当社から鶏知に勧請されていったようで、対馬の住吉神社のルーツのような神社である。
 祭神が不合尊であるのは母子神信仰の一。海草のように若々しく生命に満ちている神が不合尊である。

 境内の案内の文章を翻訳する。

 当社の創建は神武天皇の時代。彦波瀲武鵜草葺不合命を斎き祀り、津口和多女御子神社と云い、彦火火出見命が対馬海宮に降臨されて豊玉彦命の御女の豊玉姫を娶り、海宮に住み給いしこと三年。豊玉姫は胎妊の身となり、産室を此の地の柴瀬戸神浦に造らせて皇子の彦波瀲武鵜草葺不合命の御誕生・御抱育し玉いし古跡である。

 神功皇后の三韓征伐の時、海神を斎き祀り住吉神社と云った。
 延喜式神名帳所載の対馬島下縣郡住吉神社は名神大社であり、舒明天皇弐年八月、遣唐使犬上耜の参拝があり、代々国司国主の崇敬を受け、治承四年(1180)対馬守源親光が社殿を補修した。文治年(1185〜)神社帳に津口和多女御子神社とし貞享年(1684)神社誌に柴瀬戸住吉大明神と云う。
 明治三年十一月十四日住吉大明神の社号を改め和多女御子神社と称せられた。明治七年五月十八日村社に列せられる。昭和十八年一月十一日神社名変更を許可され、住吉神社と号するに至った。以上。

 『対馬神社誌』によれば、「後世に至り鶏知白江山に遷し祀りてからは、和多女御子神社と号した。また住吉神社と称すは神事造営上より行なわれ国主崇敬の神社。」とある。即ち、延喜式神名帳所載の対馬島の住吉神社と称しているが、鶏知に鎮座の住吉神社の方が有力であるのは、後に鶏知に対馬の中心地となったからである。

本殿

お姿
 岬の崎に鎮座、海に東面して鳥居が立っている。海から参るのが正式な参拝かも知れない。本殿は高い場所にある。対馬に多いパターン。
 近くの仁兵衛島には弥生時代の石棺2基、古墳時代の石棺3基出土している。貞享三年(1686)の『神社誌』によれば、瀬戸紫住吉大明神・黒島殿・弁財天・二百四社・若宮・妙見・荒神の鎮座が報告されているが、住吉以外は社殿を持っていないと云う。
 豊玉姫出産の時の「玉ノ井」と称する遺跡もあるそうだが、気がつかなかった。

 ここの海は住吉瀬戸と云われる。神功皇后の出産時の出血で海草が染まったと伝えられ、紫花と呼ばれ、住吉大橋から下を見ると沢山生えているようだ。

 さて、対馬はリアス式海岸の島であり、入り江が深く入り込んでいる。外海と入り江の奧とはまったく波の静かさなどは違うようだ。大阪の住吉大社の真弓宮司さんは、住吉三神の表筒男、中筒男、底筒男の筒とは津々浦々の津々のことであり、表とは外海付近、底は入り江の奧、中はその中間との説明であったが、その説の主旨は対馬に来て判ったような気がする。

住吉瀬戸



お祭り
       9月 13日  例祭

参考 『平成祭礼CD』、『式内社調査報告』、『対馬神社誌』

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