海神神社
対馬市峰町木坂タガイノロ247番地 its-mo

鳥居

交通案内
  対馬空港より木坂まではバス。木坂のバス停から神社まではタクシー10分。



祭神
 豊玉姫命 配祀 彦火火出見命、宗像神、道主貴神、鵜鵜草葺不合命 (平成祭礼CD)
 八幡第菩薩 (対州神社誌)
 応神天皇、仲哀天皇、彦火火出見尊、豊玉姫命、武内宿禰 (大小神社誌)
 摂社
  行先殿神社 豐玉彦命 合祀 彦火火出見命、豐玉姫命、大乳母神、鵜鵜草葺不合命
  一宮神社 神功皇后 合祀 磯武良宿禰、太田命
  若宮神社 神武天皇 配祀 玉依姫命 合祀 豐玉姫命、速須佐之男命
  新霊社 五瀬命 配祀 稻飯命、三毛野命 合祀 金倉魂神、稻倉魂神、天富神、興魂神、高オカ神
  今宮神社 梅本加賀守 合祀 豐玉姫命、太田命
  八面神社 大國魂神
  扇崎神社 建御名方富命 配祀 玉垂命、雷大臣命
  寄神神社 和多都美神 配祀 彦火火出見命、豐玉姫命

境内の摂社の神名をあげておこう。摂社が五祠並んでいる。南から順に。
 今宮神、寶満神、濱陳?神、左廳神、美女神、天道神
 新霊神、金倉神、貴船神
 若宮神、瓊宮神、五三神
 一宮神、白髭神、御先駈神、飛崎神
 行先神、濱殿御子神、乳母神

磐  扁額のうみ
 

拝殿

由緒
 対馬国の一宮である。延喜式内大社の和多都美神社の有力な論社である。
 当社はもと八幡宮と号し、八幡本宮または上津八幡宮と称していた。明治四年に海神神社と改名した。

 永留久恵氏は木坂の里の産土の習俗を重視されて式内大社の和多都美御子神社に比定されている。
 文化六年(1809)の『対馬紀事』に「当邑 産に臨んで 俄に産屋を効に造り、其の産舎の未だ成らざるうちに分娩すと云う。之を原上り(はるあがり)と曰う。是乃ち土風なり。相伝えて豊玉姫の安産に倣うの遺風なり。」とある。漢文の読み下し文。

本殿

摂社群

お姿
 当社の鎮座する山を伊豆山と云う。社前の平地を伊豆原というが、下県郡の下津八幡宮は厳原に鎮座している。八幡宮神社である。
 長い石段がこれでもかと続く。途中で休まないと心臓がおかしくなる。古社らしく古木が多い。石段の途中に巨石が置かれている。
 伊豆原の西側の丘に弥生後期の遺跡があり、大陸伝来の銅剣・銅矛・銅鏡。玉類と北部九州産の広形銅矛が出土している。この地にいた豪族が列島と大陸とを交易していたのであろう。神社の宝物として神代矛六体(青銅広矛:弥生時代)、鏡二十八面(高麗鏡、胡州鏡、和鏡)など。

 境外の山林は「野鳥の森」として文化財に指定されている。
 扁額に毎の字の下に水を書いて海としている。



お祭り
    旧暦 8月 4日 〜 8月 5日  例祭

平成祭礼データ

対馬一宮、元国幣中社、海神神社略記

 主神豊玉姫命は、神武天皇の祖母神で、鵜茅葺不合命の母神、彦火火出見命の后神に坐して、父君は海神豊玉彦命であり、魚族、海草の藩植海潮の満干船舶の往来等大海に関する一切を主宰し給う神であると共に安産の神でもあらせ給う。御本殿に御鎮座の5柱の神々は、皆神代に於ける皇室の御祖先の神々であらせられます。

 当地御鎮祭の年代は、古代の事とて詳ではないが、旧記に依れば初め上県郡佐護に出現し給い。更に勅命を以て伊奈郷伊奈崎の宮に移し奉れ、どこの宮も清水無きため現在の木坂伊豆山に遷座し給うと伝う。 神功皇后の三韓征伐の時は、己に此の伊豆山に鎮座し給へりと伝う。当社は延喜式に「対馬の国の一宮」に坐します。

 尚、当社は西北に満韓を控え、内外咽喉の地に在り、皇国鎮護の海神として歴代天皇の崇敬厚く、国家の大事ある毎に勅使参考祭祀奉幣あり。尚又藩政時代に於いても、藩主の崇敬篤く、島内各村に神事所役を命ぜられた程なり。神功皇后三韓征伐の際は海上にて数々大神を奉祭され、其の御加護により、刃に血ぬらずして三韓を降し得たりと御凱旋の折は特に当地御前の浜で懇に報賽の祭事を行はせられ、8旒の御旗を遣し給い、朕の魂も御旗と共に永く留め置き、海神とともに永く皇国鎮護に当らんと告げ給へりとぞ。爾来当社を和多津美神と奉称すると共に木坂八幡宮とも奉称するに至れり。

 この8旒の旗風は、彼の三韓を吹き靡かせしものなれば、此御旗の当社に納まれる事を伝へ聞きたる三韓国王等は数々当社に幣物珍寳を奉献して威霊を敬拝せり。斯る神代よりの尊厳無比の古社なれば、其の御造営の如きも昔時は勅命により太宰府所収上県郡6カ年間の貢租を以てこれに充て、藩政に至っては藩費を以て30年乃至40年目毎には必ず造営せらるるを例とされたり。

 大政奉還後、明治3年「和多都美神社」と定号され、又明治4年5月国幣中社に列せられ、神社の経費はすべて国費をもって支弁されることになり、同年6月太政官より「海神神社」と定称せらる。昭和20年大東亜戦終戦と共に、国幣は中止され今日に及べり。

御本社の境致
 神社は対馬の首都厳原を距る約40キロ、上県郡峰村木坂、伊豆山の中腹約280段の石段を上りたる所に在り。対馬の中部西海岸に面す樫、椎、槻の大木鬱蒼として、千古の林層をなし、山上常に雲気を帯ぶと、社頭を僅に下れば眼界俄に開け、対馬西海の風光一眸の下に集まる。飛崎の鼻は眼下西北方に突き出し、怒涛澎湃として飛沫の花を散らし、渺茫たる朝鮮海峡を隔てて煙波模糊の間に古三韓の山々を望むことを得而して夕照と相映発するに至っては蓋し地上の絶勝と云うべし。
  以上

参考 『日本の神々1』、『式内社調査報告』、『平成祭礼CD』

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