朝熊神社 朝熊御前神社
三重県伊勢市朝熊町字櫻木2566-1 its-mo

鎮座する山を朝熊川から見る

交通案内
近鉄鳥羽線の朝熊駅より北へ徒歩約20分。


朝熊神社祭神
 大年神、苔虫神、朝熊水神

『儀式帳』には、「称二神櫛玉命兒、大歳兒、櫻太刀自一形石坐。又苔虫神、形石座。又大山罪命子、石坐。」とあり、櫻太刀、苔虫神、朝熊水神の三神を祭神としている。
櫻太刀は木花咲耶姫、苔虫神は石長姫。


朝熊御前神社祭神
 朝熊御前神

朝熊神社

朝熊御前神社

 


由緒

 皇大神宮第一の摂社。寛文三年(1663)時の大宮司が摂社再興にあたり、不明となっていた跡地を現地に定めたとされる。社地を平坦にしている際、古鏡が掘り出され、その下に小蛇がいて守っていたように見えたと伝わる。当社の下は朝熊川と五十鈴川の合流点であるが、そこに鏡宮神社が鎮座している。目と鼻の先である。

 『倭姫命世記』に、天照大神が五十鈴川上に鎮座後、御饗を奉つた「彼処にして神社を定め、神宝を置いた。」とある。当社には古くから白銅鏡二枚が奉安されており、鏡宮とも称されていた。鴨長明も、「あさま河をへだててひるかわのよこねといふ山あり。その山の西のはなに、かがみのみやおはします」と記している。この神鏡は当社の前を流れる江澤の中の岩上に御坐すなり、とされている。神鏡は長寛元年(1163)に紛失し、建久十年(1199)、天福二年(1234)、文永六年(1269)にも岩上に鏡が出現したという。これが鏡宮の由緒であろう。先に、朝熊神社の向かって右側に立てられたが、ここは朝熊御前社となり、鏡宮神社は朝熊川と五十鈴川の合流点に独立した。明治九年(1876)に神宮末社となった。

 当社は伊勢国度會郡の延喜式内社であり、暦応三年(1340)には造営所課が安芸国に五十二石課せられていた。室町時代初めまでは造営使造替が行われていたと思われるが、文明三年(1471)の造替関係資料には、小朝熊宮には所課の国名や用途料が記されておらず、この頃から衰退していったものと推定されている。なお、これは正遷宮が寛正三年(1462)を最後に中絶した時期と呼応している。(『式内社調査報告』朝熊神社 清水潔)。

朝熊神社の登り口


お姿
 朝熊神社から朝熊川にかかる細い橋を渡れば、鏡宮神社に行ける。
 山道に上り口があり、縦の幅の大きい石段を上る。上がりにくい。
 中腹に社殿が二つ並んでいる。全く同じように見える。向って左側が朝熊神社、右側が御前神社。 社地が狭いので、立替はしないようである。
 往古は櫻が華やかだったようで、本来、祭神は大歳神一柱だったのを、櫻太刀神や苔虫神が祭られるようになったのか、朝熊をアサマと読むようになって浅間神社と同じ祭神を向かえたのか、変遷を見ているようだ。神宮の有力な摂社の祭神が変遷をしているのが面白い。


お祭り
 

  参考 『式内社調査報告』、『平成祭礼データ』

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