大村神社
三重県伊賀市阿保1555 mapfan

拝殿前の鳥居

交通案内
近鉄大阪線青山町駅から南に10分



祭神
大村神 配祀 武甕槌神、經津主神、天兒屋根命 ほか配祀神合祀神多柱


由緒

 延喜式内社。祭神については春日三神とされて来たが、これは本来の祭神を失った故のこと。現在は大村神を主祭神とする。この大村神については、『式内社調査報告6』で次のように記されている。

 大村直の祖であろ大名草命(『神名帳考証』から)
 『新撰姓氏録』和泉国神別 大村直は紀直と同祖、大名草彦命男枳彌都彌命之後也、とあり同じ郡である伊賀郡に木根神社が鎮座、これを一つの根拠としている。確かに紀伊臣は伊賀国に居住し、壬申の乱の功臣として顕彰されている。

 阿保臣の祖 垂仁天皇皇子息速別命(『新撰姓氏録』右京皇別から)
 鎮座地である阿保村は、垂仁天皇の皇子である息速別命が居住したとされ、代々この地に居住、その四世の孫である須禰都斗王が阿保君の姓を賜ったとする。

 春日三神が祀られているのは、通説では常陸国鹿島から大和へ勧請されていく途中に立ち寄って神霊を留めたとの伝承から。多分、当地も春日大社の神領であったとか大和国とされた時期があったのかも知れない。ここより東の水屋神社の鎮座地ですらそうだったから。その段階での大和からの勧請である可能性もある。

春日造本殿

宝殿(元の本殿)重要文化財


お姿
 本殿は北向き、これは鹿島神宮と同じ。また要石が祀られているのも鹿島神宮と同じ。要石は安政の大地震(1855年)以後に重視されるようになった。

要石社
 

 社務所に並んで参籠舎が並んでいる。各区別の直会の場所。

参籠舎

 境内には巨木が多く、また古木の切り口から若芽が生えてきている。木の育つ地域。 小生には五十猛命が鎮座されているのではと思わないではいられなかった。

 虫喰いの鐘が置かれている。大和葛城との関係があると云う。


お祭り
  4月10日 春祭  
 11月 2日、3日 例祭

由緒 平成祭礼データ

 
当社は延喜式神明帳所載の古社で祭神は大村の神。古来の本祀は伊賀国阿保村を本貫とした阿保朝臣の氏族がその始祖におわします。お鎮まりになる阿保村は伊賀国東南部の西は名張川に及ぶ、上津、中津、下津、阿保村が占める大村で第十一代垂仁天皇の皇子息速別命(いこはやわけのみこと)の為に宮室を此の地に築かれ、命及び御子孫が代々居住し、文化の移入、土地・産業の開発に尽くされ地名に因って阿保朝臣の姓氏を賜った。阿保氏族は始祖息速別命を氏神として大村神社を創祀し地域の諸部族、遠近の庶民が亦開発開運の神として厚く崇敬をあつめた。

武甕槌命、経津主命は鹿嶋・香取から神護景雲元年奈良三笠山御遷幸の途次、御休息の際奉斎した要石は地震斎護の信仰あつく又大山祗神は岡田の山の神は岡田の山神で安産授乳を祈る賽者があとを絶たない。

社頭掲示板

当社は延喜式神名帳所載国史現在の古社。祭神大村の神は、阿保村の神の転約なるにより、古来の本祀は、伊賀国阿保村を本貫とした阿保朝臣の氏族が、その始祖に在す垂仁天皇の皇子息速別の命(いこはやわけのみこと)を奉祀した氏社で、社域は、父帝が皇子の為に築かれた宮室跡であろう。命及びその御子孫代々この宮室に住まわれ大和文化の移入と土地開発尽くされ、上津中津、下津、阿保の部族の崇敬する総社として社領二百五十石を領した。

相殿奉祀の武甕槌の神、経津主の神は、神護景雲元年常総から御迂御鎮斎、地震除災の御霊験あらたかで要石を神石と崇める。又、岡田山の神(大山祗命)は安産授乳の守護神。以上

神奈備神社一覧 三重

神奈備にようこそ
inserted by FC2 system