佐美長神社
三重県志摩郡磯部町恵利原 mapfan

鳥居

交通案内
近鉄志摩線 志摩磯部駅 北へ7分


祭神
粟島神の御子神 または大歳神


由緒

 延喜式内社の「同嶋坐神乎多乃御子神社」に比定されている。当社は長く大歳社と呼ばれてきたが、明治以降佐美長神社と称されている。 ただ、江戸時代に至るまで当地は水面下か湿地帯だったようで、従って今なお、神社は小高い丘の上に鎮座している。

 『倭姫命世記』に、穂落とし伝承が記載されている。
 垂仁天皇二十七年秋九月、伊雑の方の葦原の中で鳥がしきりに鳴いた。これをあやしんだ倭姫命が大幡主命と舎人麻良に見に行かせた所、一羽の真名鶴が一茎に千穂の茂る稲をくわえて鳴いていた。倭姫命は「禽獣なお田を作りて大神に献ずるなり」といい、その稲を伊射波登美命に命じて抜穂に抜かせ、大幡主命の女乙姫に清酒を作らせて御旋の料にあてた。そしてその稲の生えた所を千田と称し、傍らに社を建てた。これが伊雑宮であり、彼の真名鶴を大歳神として祭ったのが佐美長神社である。以上
 穂落宮、大歳宮、飯井高宮、神織田御子社などと呼ばれていた。

 『式内社調査報告』の中で、所功氏は先人の、「御子神と言うのは国生神の御子にて、当地の神なれば尊ぶよしの名」として、地元の神、地主神と見ているようだ。天照大御神鎮座以前の神。

拝殿

本殿
 


お姿
 道路脇に鳥居があり、石段を36段登る。東向きの神明造の社殿が落ち着いた雰囲気をあらわしている。
 20年の遷宮があるのだが、柱の場所に小さい祠があるものと思っていたが、どうやらこの神社には見当たらない。なんとなく石が盛り上がっていたようだ。
 東向きなのは、猿田彦神が伊雑湾口から西に向かって進まれたのを迎えた事によると、『磯部郷土史』にあるそうだ。


お祭り
 

 参考文献 『式内社調査報告』

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