多度大社(多度神社)
三重県桑名市多度町大字多度1681 mapfan

一の鳥居

交通案内
近鉄養老線多度駅から西に20分


祭神
天津彦根命
摂社
一目連神社「天目一箇命」 本宮に対して別宮と呼ばれ、併せて多度両宮と言う。
新宮社「天津彦根命幸魂、天目一箇命幸魂」
美御前社「市杵嶋比賣命」
一拳社「一言主命」
雨宮八幡社「天之水分神、國之水分神、品陀和氣命」
 ほか

新宮社


由緒

 延喜式の名神大社。本宮、別宮、新宮、美御前社、一拳社を総して多度大社と称する。
 背後の多度山(標高403m)を神体山とし、山中に磐座が多いと言う。

本宮前の磐座

 本宮(多度神社)と別宮(一目連神)は並んで鎮座、向かって左に本宮。 別宮の社殿には扉がない。
 『新撰姓氏録』右京神別下に「桑名首天津彦根命男天久之比乃命之後也」とあるが、桑名首はこの地方を治めた豪族であったようだ。

 多度神宮寺は当社東方の多度山麓にあった。現在は荒御神社と多度山法雲寺になっている。神宮寺のピーク時の規模は七十坊、僧侶三百余輩と言う規模だったと言う。

 仏教との習合の物語がある。
 天平宝字七年(763)私度僧満願禅師が当社の東の井戸の道場で阿弥陀仏を造ったところ、多度神が現れ、「神の身から離れんがために仏教に帰依したい」との神託があり、多度山南辺に小堂と神像を作り、多度大菩薩と号したのを創始としている。

本宮

 天照大神の第三の御子で神代の昔から御鎮座になり雄略天皇の御代に神殿が創建さられた。
 北伊勢地方の文化の発達産業の興隆に力を尽くされ御子孫も広くこの地方に御繁栄になってその総氏神として五穀の豊穣漁獲の豊収に厚い御守護を加え給い殊に雨乞の神として遠近に信仰する人が多い。

別宮

 多度神社の御子神で御父天津彦根命をたすけて北伊勢地方を開拓せられ、又我が国金属工業の祖神でもあり、天変地異のある毎に現に御霊を現して諸難を救い給い、時に応じ龍神となり天翔り旱天に慈雨を恵み給うと云う信仰もあって古来神殿には御扉を設けない。


お姿
 七五三で参拝者も多い。多度山の麓にあり、どこからともなく清流が流れており、清々しい神社。祭神の天目一箇神が金属の神とされ、ふいご祭りも行われている神社であるが、水神を祀る雨宮八幡宮の雨宮が本来の姿のように思えてしまう。

美御前社と雨宮八幡宮
 


お祭り
  5月4、5日 例祭
 上げ馬 やぶさめ 等の特殊神事が行われ、その年の作柄の豊凶を占うと云う意味にて特に民衆の熱心な信仰がある。  

11月 8日 鞴祭

『平成祭礼データ』から

 ◆祭神
本宮 多度神社 天津彦根命
別宮 一目連神社 天目一箇命

 御祭神の天津彦根命は、天照大御神と速須佐之男尊との御誓約による五男三女の御子神の第三皇子であらせられる。『新撰姓氏録』に「桑名首、天津彦根命の男、天久之比乃命の後なり」とあり、北伊勢地方を支配した豪族が氏神として奉斎した神で国土開拓・産業開発・商工業繁栄の守護神である。
 天目一箇命は、天津彦根命の御子神であり、『古語拾遺』により、伊勢忌部氏の祖であることが知られる。天照大御神が天の岩戸にお隠れになった際にも、刀・斧を作り活躍された神で、金属工業の守護神(製鉄・金作りの神)である。さらに、雨や風を支配され、生きとし生けるものの命のもととなる農業水産を守護し、諸難を滅し、諸願を成就する神で古来神殿には御扉を設けない造りになっている。

 ◆由緒
 古来より標高403メートルの多度山が、神体山として信仰され、古代祭祀を物語る磐座が山の中腹に存する。社伝によると五世紀後半、雄略天皇の御代に社殿が創建されたと伝えられる。 『延喜式』巻九神名帳の桑名郡十五座のうち「多度神社 名神大」とみえ、いわゆる延喜名神大社である。後一条天皇の御代に、東海道六社の一社にかぞえられ、天皇即位後の御一代一度の奉幣に預る神社として大神宝使が派遣され、宣命・幣帛・神宝が奉られ朝廷の厚い崇敬を受けた。

 奈良時代末期に、満願禅師が多度神の託宣を受け、天平宝字七年(763) に多度菩薩を中心とした三重塔二基・法堂・僧房からなる神宮寺(日本で三番目)を建立した。後に国分寺に準ずる扱いをうけ、寺院70房・僧侶300余を数える大寺院となった。さらに、鎌倉時代の弘長元年(1261)には正一位が授けられ、南北朝時代の暦応年間には多度祭の上げ馬・流鏑馬神事が始まったと伝えられる。しかし、元亀二年(1571)に織田信長の兵火にかかり、社殿宝物をはじめ神宮寺も焼失し、一時社頭は荒廃したが、徳川氏が天下を治め平和な世となるとともに、桑名藩主本多忠勝・忠政の支援により本殿以下の社殿・神事が復興された。桑名藩主が松平家に替わった後も、桑名地方の守護神として厚く崇敬され、社殿の造営・社領の寄進が度々行なわれ、藩例として毎月正月には藩士が代参する習しであった。また、当代の庶民の伊勢参宮の折りには、北伊勢大神宮とも称される当神社を必ず参拝した事が「お伊勢まいらば、お多度もかけよ、お多度かけねば片参り」と謡れていたことからも明らかである。

 明治六年に県社、大正四年には国幣大社に列格し、天皇・皇后両陛下よりもたびたび幣饌料が供せられ御神威はいよいよ高くなり、全国より多くの参拝者がある。
  以上

公式多度大社

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