星神社
名古屋市西区上小田井1−172 mapfan


鳥居

交通

名鉄犬山線中小田井 東 500m



祭神

大己貴命 配祀 天香香背男神、牽牛、織姫



拝殿

由緒

 延喜式神名帳尾張国山田郡の式内社坂庭神社の論社である。愛知県小牧市多気東町に坂庭神社が鎮座、有力な論社のようである。
 当社は星神社と言う。毎年7月7日(旧暦)境内に祭場を設け奥に土壇を築き酒を注ぎ天香々背男神に牽牛、織女の二星を合せ祀るので酒庭星社と言い伝えられている。

 祭神は神社名からは天香香背男、牽牛、織姫であろう。天香香背男は、『日本書紀』に出てくる悪神として、天孫降臨のさいに、最後まで反抗した者として登場している。
 弥生時代の環壕集落とされる朝日遺跡がすぐ側と言う。天香香背男の末裔とされる尾張連と大和勢力の間の抗争を語っているのであろう。

 当社は庄内川堤防の直ぐ下にある。牽牛星と織女星を一緒に祀っているのは洒落ているのだが、庄庄内川を天の川に見立た星にまつわる物語が語られたのであろう。 北区には庄内川からはいささか離れてはいるが、式内社の多奈波太神社mapfanが鎮座している。



本殿

お姿

 星の名、祭神が悪神とされた天香香背男神、いささかの雰囲気を期待して参詣したのだが、村の鎮守さんそのもの。考えてみれば、あたりまえ。社叢は豊で本殿の建物が見えない。
 鳥居の前が堤防、そこにムクの巨木。


お祭り
8月  7日 1日間 七夕祭         
 10月10日 1日間 秋季例大祭(秋祭)

御由緒

 鎮座地名古屋市西区上小田井1丁目172番地

 祭神、大己貴命、天香々背男神、牽牛、織女

 延喜式神祇巻第九尾張国山田郡19座、並小ノ内17座目、坂庭神社とある是なり現在の坂井戸町にありました。尾張本国帳に従三位坂庭神社(天神)(一本に作正四位下)とある、毎年7月7日(旧暦)社内に祭場を設け奥に土壇を築き酒を注ぎ天香々背男神に牽牛、織女の二星を合せ祀る故に通名酒庭星社と言い伝えています。この星祭りは古く仁和年中(約1100年前)大江音人の子孫 政盛(現在の上小田井一丁目西部)に居住す、秀才な人でしたが本望が遂げられず故に朝夕当神社に祈ること3年京へ行き官職に就く、その後政盛の一子五郎政輝、当神社を崇敬すねこと父の如く学問に精通し書道にも優れ、父と同様京へ行き官職に就く当地を去るに及び近隣の人々に感謝して言ふ「私は此の神社のお蔭にて願望を達することが出来て感謝に堪えないみなさんにお願いは皆さんの為に当神社の祭礼を怠る事無く奉仕して下さい」と言って大江社と言う社を建立して当地を去った。弘安3年軍卒多数来て当神社附近で火事が起こり当神社悉く焼失しました、故に祭典が出来なくなりました、その後60余年右近中将藤原朝臣実秋悲しみて社殿、回廊、拝殿、楼門等を新築して祭典を起こしたので復興しました。社領4町8反(神官、社家両職あり)信長公の御代までありましたが太閤殿下の御時残らず召し取られたる由。
  以上

参考 式内社調査報告、平成祭礼データ

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