能登國:43座 大1小42



羽咋郡[ハクヒ]:14座大1小13

相見神社[アヒミ]
相見神社[あいみ]「大國主命」石川県羽咋郡押水町麦生ヘ96

志乎神社[シヲ]
志乎神社[しお]「素盞嗚尊」石川県羽咋郡志雄町荻谷荻島、敷波入会地チ14乙 神社探訪

氣多神社[ケタ](名神大)
気多大社[けた]「大己貴命」能登國一ノ宮。御社殿背後の森は、「いらずの森」と称し千古の歴史を伝える北陸随一の原始林でる。周辺では弥生時代に米つくりが行われていた。古墳時代では能登の一大拠点様相を呈している。古代日本海の交通の要衝であった。石川県羽咋市寺家町ク1

神代神社[カンシロ]
神代神社[かみしろ]「合 大物主神、崇徳天皇 主 宇迦之御魂神」崇神天皇の御宇。古来この地、神代の宮坂と称し甚だ眺望に富み神代八景として文人墨客が多く来訪したと云う。石川県羽咋郡志賀町神代コ1 玄松子の記憶

羽咋神社[ハクヒ]
羽咋神社「合 道反大神 主 磐衝別命、磐城別王命、弟苅羽田刀弁命」磐衝別命、父君垂仁天皇の詔のまにまに羽咋に居を構え、農耕指導を中心に人民を愛撫し給い、 その御子磐城別王命羽咋の国造となり、父の志を継ぎ善政をしき給えば、死後磐衝別命の母君弟苅羽田辨命と併せ、社殿を造り産土大神と斉奉り羽咋神社と称す。石川県羽咋市川原町エ164

瀬戸比古神社[セトヒコ]
瀬戸比古神社[せとひこ]「速秋津比古命 配 應神天皇、軻遇突智命」崇神天皇御宇。石川県鹿島郡鳥居町瀬戸ケ1、2合併地 玄松子の記憶
瀬戸比古神社「素都乃奈美留命」崇神天皇御宇。石川県羽咋郡志賀町字直海ス68 玄松子の記憶
瀬戸菅原神社「合 伊邪那美命、大國主命 配 速秋津比古神、天滿天神、少彦名命」石川県河北郡高松町瀬戸町上段78-2 阜嵐健

手速比盗_社[テハヤヒメ]
手速比盗_社[てはやひめ] 上社「手速比盗_」沼河姫(ぬなかはひめ)の別名。大巳貴命の妻神様。石川県羽咋郡押水町上田外11字入会9-1東間ラ2 神社探訪
手速比盗_社摂社速比盗_社 下社「手速比盗_」石川県羽咋郡押水町上田外11字入会9-1東間ラ2

椎葉圓比盗_社[シヒハノマドカヒメ]
椎葉円比盗_社[しいはまるひめ]「椎葉圓比当ス」反正天皇の皇女。雄略天皇御代。石川県羽咋市柴垣町37山8-37 阜嵐健
椎葉円比盗_社[しいばつぶらひめ]「奇稻田豐麻奴良比当ス」石川県羽咋市円井町ヨ138 阜嵐健

奈豆美比盗_社[ナツミヒメ]
奈豆美比盗_社[なずみひめ]「豐玉毘賣命」石川県羽咋郡志賀町安津見46-97甲 玄松子の記憶

諸岡比古神社[モロオカヒコ]
諸岡比古神社「合 伊弉諾尊、伊弉冉尊、譽田別命、菊理比当ス 主 大中津日子命」主神は垂仁天皇の皇女。境内には御墳墓がある。しかし古老の口伝によれば諸岡比古神は近隣の安津見村に鎮座する奈豆美比盗_とともに海を渡ってきた神であると言う。石川県羽咋郡志賀町二所宮大坂平94 玄松子の記憶
若宮神社「諸岡比古神、大己貴神」石川県羽咋郡志賀町小室2-61乙 玄松子の記憶
諸岡比古神社「大己貴命」石川県羽咋市富来町東小室リ2 玄松子の記憶
諸岡比古神社「天日鷲命、岩城別王、三筒男命、天照大神、國狹槌命、豐受大神」鉄川[カナガワ]さま。石川県鳳至郡門前町道下22-1 玄松子の記憶
櫛比神社「大名牟持命、少名彦命、金山彦命」石川県鳳至郡門前町前1-甲1 玄松子の記憶

百沼比古神社[モゝヌノヒコ]
百沼比古神社[ももぬまひこ]「百沼比古神」崇神天皇御宇。石川県羽咋郡志賀町百浦ヘ-48 玄松子の記憶

久麻加夫都阿良加志比古神社[クマカフツアラカシヒコ]
久麻加夫都阿良加志比古神社[くまかぶとあらかしひこ]「阿良加志比古神 配 都努加阿羅斯止神」 この神々は韓国の王族で阿良加志比古神については地神とも、三〜四世紀頃の南朝鮮の阿羅(あら)国の王族とも言われており、 その後、現在の鎮座地方を平定され守護神としてお祀りしてあります。 都奴加阿良斯止神についても『日本書紀』の「垂仁紀」二年条の分註に、『御間城天皇之世、額有角人、乗一船、泊于越国笥飯浦。故号其処曰角鹿也。問之曰、何国人也。 対曰、意富加羅国王之子、名都怒我阿羅斯等。』の記事があり、四〜六世紀頃、朝鮮の南の方に栄えていた国の王子で、現在の敦賀に上陸、渡来したと記されております。
石川県鹿島郡中島町宮前ホ-64 玄松子の記憶
大穴持美代神社[おおなもちみしろ]「大穴牟遲神、少名毘古那神」石川県羽咋郡志賀町梨谷小山10-273 玄松子の記憶

藤津比古神社[フチツノヒコ] 
藤津比古神社[ふじつひこ]「藤津比古神 配 熊野速玉神」景行天皇御代。石川県鹿島郡中島町藤瀬3-128 玄松子の記憶

大穴持神像石神社[オホアナモチノカミノミカタイシ]
大名持像石神社[おおなもちかたいし]「大穴持神、少彦名神」石川県羽咋市寺家ケ1 玄松子の記憶


能登郡[ノト]:17座並小

能登比盗_社[ノトヒメ]
能登比盗_社「能登比盗_、沼名木入比賣命」
(能登比盗_)太古大己貴命、少彦名命と共に天下を経営し越の八国を平け給う時此の地に至り国津神を求め給う、爰に機織乙女あり、 命機殿に来たり御飯を語り給いければ乙女は稗粥と、どぶろくを進む、命甚く愛で生して永く吾苗裔と爲さむと宜り給う。 此の乙女名を能登比盗_と稱へ奉る機棹を海中に投げ給いしに島が出来この島名は能登比盗D島又名は機貝島と云う。 羽咋郡富来沖にあり。
(沼名木入比賣命)人皇十代崇神天皇の皇女、沼名木入比賣命は皇兄大入杵令に隨いて当国の下向し此郷に駐り給う産土神能登比盗_の遺業を興し郷里の婦女に機織子業を教へ給う。石川県鹿島郡鹿西町能登部下125甲29

藤原比古神社[フチハラヒコ]
藤原比古神社「天兒屋根命」石川県七尾市三階町ラ25 玄松子の記憶

菅忍比盗_社[スカオシ・]
菅忍比盗_社[すがおしひめ]「天忍比当ス、天忍穗耳命、栲幡千千姫命」石川県鹿島郡中島町笠師ソ236 玄松子の記憶
嶽神社「天忍媛命」石川県鹿島郡能登島町目31-6 玄松子の記憶
日面神社[ひめん]「正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命、鹽土翁神、息長足姫命、譽田別命」石川県鹿島郡中島町塩津サ1 玄松子の記憶

加夫刀比古神社[カフトノヒコ]
加夫刀比古神社[かぶとひこ]「合 加具土命、蛭兒命、速玉之男命 主 大己貴命、少彦名命、倉稻魂命」石川県鳳至郡穴水町字甲ハ80 玄松子の記憶

天日陰比盗_社[アメヒカケ・]
天日陰比盗_社[あめひかげひめ]「屋船久久能智命、大己貴命、應神天皇」崇神天皇の御宇。石川県鹿島郡鹿島町二宮子6 玄松子の記憶
天日陰比盗_社「水波能賣命」石川県鹿島郡鹿西町西馬場モ1 玄松子の記憶

鳥屋比古神社[トリヤヒコ]
鳥屋比古神社「鳥屋比古神、大穴牟遲命、埴安命、句句廼遲命、加具土命、金山比古命、水波能賣命」石川県鹿島郡鳥屋町春木ナ87 玄松子の記憶

荒石比古神社[アライシヒコ]
荒石比古神社[あらいしひこ]「石凝姥命、倉稻魂命」石川県鹿島郡田鶴浜町川尻チ1甲 玄松子の記憶
日吉神社「荒石比古神、大己貴命、少彦名命、石凝姥命」石川県鹿島郡中島町豊田町ヲ42 玄松子の記憶
荒石神社「石凝姥命」石川県鹿島郡中島町筆染ロ88 玄松子の記憶

比古神社[クテヒコ」
比古神社[くてひこ]「久延毘古神、天目一箇神」石川県鹿島郡鹿島町久江ヘ66 玄松子の記憶

能登生國玉比古神社[ノトノイククニタマヒコ]
能登生國玉比古神社「大己貴神 配 素戔嗚尊、奇稻田姫命」孝元天皇の創祀という。崇神天皇が当社の祭神を分霊し、羽咋郡竹津浦に勧請し気多神社とされた故に、当社を気多本宮と称する。石川県七尾市所口町ハ48
能登生國玉比古神社「多氣倉長命 配 市杵嶋姫命」多食倉長命は神代の昔、能登国に巡行された大己貴命少彦名命と協力して国土の平定に神功をたてたまい、能登の国魂の神と仰がれた。その姫神市杵嶋姫命(又の名伊豆目比売命)は少彦名命の妃となって菅根彦命を生み給うた。これ金鋺翁菅根彦命で金丸村村主の遠祖である。石川県鹿島郡鹿西町金丸セ-35
能登部神社「能登比古神、大入杵命」当社は能登国造の祖能登比神及び能登臣の祖大入杵命を祀る。社伝に大己貴命当地に巡行ありて、わが苗裔たれと、式内能登生国玉比古神社は当社なり、その後崇神天皇の皇子大入杵命、当地に下向あり殖産興業の道を開き給う、薨し給うや郷民その徳を慕い郷土開拓の祖神とし崇め祀る。石川県鹿島郡鹿西町能登部上ロ70

白比古神社[シラヒコ]
白比古神社「猿田彦大神」石川県鹿島郡田鶴浜町白浜21-1 玄松子の記憶
白比古神社「白比古神」石川県鹿島郡鳥居町良川ト-1 玄松子の記憶

伊須流支比古神社[イスルキヒコ]
伊須流支比古神社[いするぎひこ]「伊須流支比古神、伊弉諾命 配 伊弉册命、天目一箇命、迦具土命、素盞嗚命 合 水波能賣命」崇神天皇六年。能登二ノ宮。石動山頂に鎮座。古縁起によれば、太古万物の生命を司どる星が流れ落ちてこの山に留まり、三千世界を護りたもうたので、この石の名[動字]によって山名を[いするぎ]と称するようになり、この石の護命の徳を護るため天目一箇尊が当山に鎮まった。石川県鹿島郡鹿島町石動山子乙1 阜嵐健

餘喜比古神社[ヨキヒコ]
餘喜比古神社「素盞嗚尊」石川県羽咋市大町ヌ23 阜嵐健

阿良加志比古神社[アラカシノヒコ]
阿良加志比古神社「崇徳天皇 配 猿田彦神」石川県七尾市山崎町カ35 玄松子の記憶

久志伊奈太伎比盗_社[クシイナタキノ・]
久志伊奈太伎比盗_社[くしいなだきひめ]「奇稻田姫命」石川県七尾市国分町ラ-1 玄松子の記憶
久志伊奈太伎比盗_社「奇稻田姫命」気多大神の御母神なり。石川県七尾市飯川町40-56&下町シ1甲

伊夜比盗_社[イヤヒメ]
伊夜比盗_社「大屋津媛命 配 天照大神、豐受大神、應神天皇、神功皇后、伊弉册命、菊理媛命、菅原道眞」 能登島の中央に鎮座。7月31日の火祭りをオスズミ祭と呼び、高さ30m程の巨大な松明に火を放つものである。古老の伝えでは「伊夜比唐フ女神様が越後の男神様を呼び寄せるもの」とある。男神を新潟の弥彦神社や佐渡の度津神社の祭神をさすと伝わる。 佐渡は五十猛命別名大屋彦命であり兄に当たる。越後は彌彦神社の天香山彦命なら、大屋津媛命とは夫婦と伝わる。なお彌彦神は福井にいたとの伝えがある。石川県鹿島郡能登島町字向田115-26

御門主比古神社[ミカトヌシノヒコ]
御門主比古神社[みかどぬしひこ]「御門主比古神」石川県羽咋市大町リ42 神社探訪
御門主比古神社「御門主比古神」石川県七尾市鵜浦町11-20 玄松子の記憶
御門主比古神社「御門主比古神、八幡大神、熊野大神」石川県鳳至郡穴水町字志ヶ浦口34乙 阜嵐健

宿那彦神像石神社[スクナヒコノカミノミカタイシ]
宿那彦神像石神社[すくなひこかむかたいし]「少彦名命」神体は総丈一尺七寸余の薄緑石の真石と伝わる。石川県鹿島郡鹿西町金丸又ヨ-1 玄松子の記憶
宿那彦神像石神社「少彦名命」七尺二寸の像石を神体としている。石川県七尾市黒崎町ヘ28-3 玄松子の記憶


鳳至郡[フケシ]:9座並小

鳳至比古神社[フケシヒコ]
住吉神社「底筒男命、中筒男命、表筒男命、神功皇后 配 大己貴命、鳳至比古命」仁徳天皇十二年住吉大神を能登に始めて奉斎した。石川県輪島市鳳至町鳳至丁1
重蔵神社「天之冬衣命、大國主命」崇神天皇の御代の鎮座。延喜式の鳳至比古神社、あるいは辺津比盗_社にも当てられいる。
石川県輪島市河井町4-96-甲 玄松子の記憶
広田神社「天照大神、表筒男神、中筒男神、底筒男神、高皇産靈尊、神功皇后、大山咋神、建御名方神」石川県輪島市小伊勢町丸垣内64 玄松子の記憶
櫟原北代比古神社[いちきはらきたしろひこ]「天照大神、應神天皇、大日本彦耜友尊、湍津姫神、氣長足姫命、大物主神、保食神、天兒屋根命、建御名方神、菅原道眞、天糠戸命」石川県輪島市深見町40-60乙町 玄松子の記憶

石瀬比古神社[イハセヒコ]
石瀬比古神社[いわせひこ]「石瀬比古神、酒解神」石川県輪島市町野町東ロ4 玄松子の記憶
諸岡[もろおか]比古神社「天日鷲命、岩城別王、三筒男命、天照大神、國狹槌命、豐受大神」石川県鳳至郡門前町宮下22-1 玄松子の記憶

神杉伊豆牟比盗_社[カムスキノイツムノ]
大幡神杉伊豆牟比盗_社[おおはたかむすぎいすむひめ]「足摩乳命、奇稻田比当ス」石川県輪島市三井町本江 玄松子の記憶
大幡神杉伊豆牟比盗_社「伊豆牟比当ス、大名持命、三穗津比当ス」石川県鳳至郡穴水町字中居ワ153-1 玄松子の記憶

石倉比古神社[イハクラヒコ]
石倉比古神社[いしくらひこ]「天手力男命、天石門別神」石川県輪島市野町西時国16ハ乙 玄松子の記憶

美麻奈比古神社[ミマナヒコ]
美麻奈比古神社[みまなひこ]「美麻奈比古神、美麻奈比盗_、菊理媛神、宇迦之御魂神、建御名方神、猿田彦命」穴水をミマナと訓じ穴水白山宮、能登国津神宮とも称した。石川県鳳至郡穴水町川島ホ23-1-2 玄松子の記憶

美麻奈比盗_社[ミマナヒメ]
美麻奈比古神社 前掲

神目伊豆伎比古神社[カムメイツキヒコ]
藤波神目神社「迦爾米雷命、大國主命、天忍穗耳尊」論社とすれば祭神は神目伊豆伎比古神であるのが普通である。石川県鳳至郡能都町字藤波町16-150-1-2 玄松子の記憶
諸橋稲荷神社「神目伊豆伎比古神、稻荷大神、宇氣母智神、倉稻魂神、猿田比古命、大山咋命、鵜草葺不合命、市杵嶋姫命」石川県鳳至郡穴水町字前波ヘ137-2 玄松子の記憶
沖波諏訪神社「神目伊豆伎比古命、加具頭遲神」石川県鳳至郡穴水町字沖波ロ40 玄松子の記憶

奥津比盗_社[オクツヒメ]
奥津比盗_社「田心姫命」舳倉[ヘグラ]島は海人の島として著名である。伝承によれば崎宗像大社と縁の深い筑前国鐘ケ崎の海人が能登半島沿岸で季節的漁業をしていたが、光浦(輪島市)に居住し、さらに鳳至町領に土地を与えられた。 これが海士町の起源であるとされる。舳倉島を故郷の宗像大社の沖の島にみたて、市杵嶋姫命を祀ったと推測されている。石川県輪島市海士町所属舳倉島高見2 玄松子の記憶

邊津比盗_社[ヘツヒメ]
辺津比盗_社「田心姫命、湍津姫命、市杵嶋姫命、大山咋命、加具頭命、宇迦魂命、少名彦命」本殿正殿の地中に大概六尺四方の神秘な石棺あり、神代の宝器・旧記等が納められているという。石川県鳳至郡穴水町大町ニ116 玄松子の記憶
重蔵神社 式内鳳至比古神社に掲載.石川県輪島市河井町4-96-甲 玄松子の記憶
白山神社「菊理媛命」石川県輪島市名舟町ト64乙 玄松子の記憶


珠洲郡[スス]:3座並小

神社[スス]
須須神社:高座たかざの宮「天津彦彦火瓊瓊杵尊、美穗須須見命、建御名方命、保食神、武甕槌命」
崇神天皇御代。能登半島の先端の山伏山に鎮座、航海の目標であった。
石川県珠洲市三崎町寺家4-2 玄松子の記憶
須須神社:金分宮[かなわけのみや]「木花咲耶姫命」石川県珠洲市三崎町寺家ツ102 玄松子の記憶

古麻志比古神社[コマシヒコ]
古麻志比古神社[こましひこ]「日子坐主命」石川県珠洲市若山町字経念12-32 玄松子の記憶

加志波良比古神社[カシハラノヒコ]
加志波良比古神社[からはらひこ]「加志波良比古神、伊加志穗比古神」崇神天皇御代。石川県珠洲市宝立町柏原40-35 玄松子の記憶


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