隠岐國:16座 大4小12


知夫郡[チフリ]:7座大1小6

由良比女神社2座[ユラヒメ](名神大。元名和多神。)
由良比女神社[ゆらひめ]「由良比女命」祭神は海童神、須世理比売命とも言われる。隠岐国の一宮。島根県隠岐郡海士町西ノ島町浦郷922  イカ寄せの浜 玄松子の記憶
由良姫神社
由緒
祭神 由良比女命
例祭 7月28日
特殊祭 神帰祭(かみがえりさい)11月29日

由緒
当社は仁明天皇承和九年(842年)官社に預かり承和一五年、清和天皇貞観八年、 陽成天皇元慶元年に朝廷より丁重な祈祷ありと六国史に見え、醍醐天皇の延喜式(九 〇五)に名神大・元名和多須神とあり、袖中抄、土佐日記に「ちぶり神」としてあり ます。海上安全守護の神として遣唐使や使節を遣わす時、新羅の賊兵を防ぐなど大陸 交通の要点として隠岐の国の諸神とともに朝廷に尊崇せられ、一般世人にも信仰され たと思われます。

平安朝末期に隠岐国の一宮と定められましたが、以後徳川時代の中頃まで衰微してい ました。寛文七年(一六六七)松江藩士斎藤豊宣の隠州視聴合記に「由良明神と号す る小社あり極めて小さく古りはてて亡きが如し」とあり、元禄九年(一六九六)一国 一宮に詣でし橘三喜、都々美一光もその衰微を慨き神光あらわれることを願い、都々 美一光は おきつ風吹きつたへなむ由良姫の御籬によする浪のしらゆふ と詠って去 りました。慶長一二年、元禄五年に本社建立をしていることは里人もかなり努力した と思われますが、衰微の原因として武士の時代になると遠流の地隠岐の国は、覇権を 奪るには不要な土地であり、造船、航海術の進歩は九州拠点となり、隠岐の神々の加 護を必要としませんでした。また、田畑の少ない浦郷では、天災による影響も大きか ったことが神社衰微の原因と推測されます。

安永二年(一七七三)島前一三ヶ村の庄屋が集まり、御旅祭の再興を相談しているこ とは島前に於ける当社の位置を示しています。

明治五年郷社に列し、二十二年精巧な本殿を改築し、昭和六年拝殿改築、境内地を整 備して神域を整え、昭和五十年島根県特別神社神社に指定されました。



大山神社[オホヤマ]
大山神社「大山祇命」島根県隠岐郡海士町西ノ島町美田174  玄松子の記憶

大山神社「大山祇命」島根県隠岐郡知夫村仁夫2391  玄松子の記憶


海神社2座[アマ]
海神社[うみ]「海神二座」島根県隠岐郡海士町西ノ島町別府409  玄松子の記憶


比奈麻治比賣神社[ヒナマチヒメ]
比奈麻治比賣命神社[ひなまじひめみこと]「比奈麻治比賣命」島根県隠岐郡海士町西ノ島町宇賀888  玄松子の記憶

眞氣命神社[マケ・]
眞氣命神社[まけのみこと]「眞氣命」島根県隠岐郡海士町西ノ島町宇賀402  玄松子の記憶


天佐志比古命神社[アマサシノ・]
天佐志比古命神社[あまさしひこみこと]「天佐志比古命」知布の一宮大明神と呼ばれる。島根県隠岐郡知夫村1018 玄松子の記憶


海部郡[アマ]:2座大1小1

奈伎良比賣命神社[ナキラヒメノ・]
奈伎良比売神社[なぎらひめ]「奈伎良比賣命」島根県隠岐郡知夫村海士町豊田489  玄松子の記憶


宇受加命神社[ウケカノ・]
宇受賀命神社[うつかみこと]「宇受賀命」島根県隠岐郡知夫村海士町宇受賀747  玄松子の記憶



周吉郡[スキ]:4座並小

賀茂那備神社[カモナヒ]
賀茂那備神社[かもなび]「別雷神 配 素盞嗚命、玉安姫命」島根県隠岐郡西郷町大字加茂342 玄松子の記憶

水祖神社[ミオヤ]
水祖神社[みずそ]「水祖神」島根県隠岐郡西郷町大字港町68  玄松子の記憶

水祖神社[みおや]「罔象女命」島根県隠岐郡西郷町大字八田2
玄松子の記憶

玉若酢命神社[タマワカスノ・]
玉若酢命神社[たまわかすみこと]「玉若酢命」島根県隠岐郡西郷町大字下西701  玄松子の記憶
玉若酢命神社
玉若酢命を主祭神とし、大国主命、須佐之男命ほか二柱の姫神を配祀、勧請年代は詳 らかでないが、式内社に列せられた古社である。
水若酢命と共に本島を開拓した隠岐の二祖神であると伝えられている。また神社名を 総社と俗に称している。かつての隠岐国府の所在地で、明治初年頃まではこの地を総 社村といった。これは王朝時代、国司が当国の総社として祭祀を執行した由緒による ものである。



和氣能命神社[ワケノスノ・]
和気能酢神社[わけのす]「和氣能須命」島根県隠岐郡西郷町大字下西1607  玄松子の記憶



隠地郡[ヲチ]:3座大2小1

天健金草神社[アマタケカナクサ]
天健金草神社[あまたけかなかや]「大屋津媛命、抓津媛命、譽田別命」女神は五十猛命の妹神。摂社に幣之池神社「抓津媛命」がある。島根県隠岐郡都万村大字都万4245-3 玄松子の記憶

水若酢命神社[ミツワカスノ・](名神大)
水若酢神社[みなわかす]「水若酢命 配 鈴御前、中言神」島根県隠岐郡五箇村大字郡723  玄松子の記憶
水若酢神社
由緒書き
主祭神 水若酢命
配神 鈴御前・中言神
神紋 菊
例祭日 5月3日
特殊神事 水若酢神社祭礼風流(県指定無形文化財 隔年毎偶数年斎行)
由緒 御祭神水若酢命は海中より伊後の磯島に上られ、山を越えてこの里に入られ国 土開発・北方防備の任に就かれた神と伝えられている。当社は昔火災・水害の難にあ い、古文書・社宝等ほとんど失われた為、由緒は明らかではないが、延喜式神名帳に 「隠岐国穏地郡水若酢命神社名神大」国内帳には、「正四位上、水若酢明神・隠岐一 宮」と記されている古社である。鎮座年代は僅かに残っている古文書には、仁徳天皇 又旧記には、崇神天皇の御代とあって古来五穀豊穣、海島守護・航海安全の神として 朝野の崇敬篤く、明治4年国幣中社に列せられた神社である。



伊勢命神社[イセノ・](名神大)
伊勢命神社[いせみこと]「伊勢命」島根県隠岐郡五箇村大字久見375 玄松子の記憶
伊勢命神社
由緒書き
御祭神を伊勢命と申し、創立年代は不明なるも社伝によれば一夜神光海上より輝き来 り字仮屋の地に止まり以来夜々出現止まず。偶々神託蒙る者あり、以って伊勢明神を 奉斎せしより神火の出現はじめてやみたりと、この地は西北風強烈なるためまもなく 田代川の対岸の浄地、現社地に移転せりと伝う。『続日本後記』に仁明天皇嘉祥元年 名神の列に預りし趣、明記せられ延喜の制に於ては、名神大に列せられたる由、明か なり。明治五年郷社せらる。


H16.12.11
延喜式神名帳目次

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