天神社・龍王寺
滋賀県蒲生郡竜王町川守 ゼンリン

鳥居


交通案内
JR近江八幡駅 バス川守下車 東へ700m 龍王寺の奧


祭神
天御中主神

拝殿


由緒

 創建年代は不明。
 社傍に古代豪族の古墳が所在することから、古墳の祭壇として祭られていたものの後裔とされると、社前の由緒碑に記載がある。

本殿

龍王寺

 西側の山裾に天台宗雪野寺(龍王寺)が鎮座しており、無関係ではないと思われる。この寺は元明天皇和銅三年(710)に僧行基によって創建されたと伝わる古刹である。本尊は薬師瑠璃光如来であり、本堂の中央頭上には医王殿との額がかかっている。「ぜんそく病」封じの加持祈祷が行われる。

龍王寺本堂

 梵鐘がある。国の重要文化財に指定されている。此の鐘には、小野時兼と美和姫の一つの悲 しい恋の物語が残されている。
 有名な鐘桜の梵鐘(国指定重要文化財)は雪野寺から伝わったものといわれ、この梵鐘は人皇第四十九代光仁天皇の宝亀八年(西暦七七七年) に大和国(今の奈良県)吉野郡の住人小野時兼(優れた人格風貌で他国までその名声は高い)が病気にかかり、此の龍王寺(雪野寺) の薬師瑠璃光如来に帰依し、この川守の郷に住して、朝夕祈願をして信仰する内に次第に病気も治った。
 或る日村を通りかかった絶世の美人美和姫と出合い、日が経つにつれて二人の愛はますます深まり、やがて夫婦の契りを交わしそれは幸せな毎日を送っていた。しかし、三年過ぎたある日突然姫は別 れ話を持ち出し「宿縁に引かれて夫婦になりましたが『私は人間ではないのです。私は前世では人として生まれたのですが、前世の夫婦生活の破綻から私は人間の姿となって現れたのです』縁に限りがあり今日あなたとお別れしなければなりません」 と涙を浮かべ最後の別れを惜しむのであった。時兼は嘆き悲しんだが、これを私の形見としてと玉手仙相を時兼に渡し、百日百夜の問開かない約束を求めた。そして「私はこの雪野山の背面にある平木の御沢の主でございます。私を思って下さるなら、平木の沢に来て下さい。私の本当の姿を見せてあげましょう」と言い残して去ってしまった。時兼は悲しみ、恋しさのあまり姫への募る心を押さえられず九十九日目に雪野山の坂を越え平木の沢に会いに行き、美和姫美和姫と呼びかけた処、あの美しい姫は長さ十丈程の怖ろしい大柁の姿と変じて現れ、大蛇になった姫はまた水の中に静かに姿を消しました。時兼は驚き怖ろしさのあまり走り帰って九十九日日に玉手箱を開けてしまいました。中より紫雲と共に梵鐘が浮かび上がり、その鐘をこの寺に寄進されたのが、此の釣鐘であり竜鐘と言われ国の宝として伝説と共に龍王寺に安置されている。

梵鐘


お姿
 天神社は改築されている。

お祭り
  4月 10日  10月 13日  例祭

『平成祭礼データ』天神社
由緒


 当神社は当村雪野寺畔に鎮座す天津神を祀り、山を天津山と称する。
 創祀年代は詳らかではないが附近の社傍に古代豪族の遺蹟と思われる個の大古墳が所在することから此の雙墳の祭壇として祀られし古社とされている。
以上

参考 『平成祭礼データ』、『龍王寺縁起書』

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