白鬚神社
滋賀県高島市鵜川215 mapfan

境内から湖中に立つ水鳥居を眺める。

交通案内
JR湖西線高島駅 南へ3km


祭神
猿田彦大神

摂社
若宮神社「太田命」、天照皇大神宮「天照大神」、豊受大神宮「豊受姫神」、八幡神社「應神天皇」、高良神社「玉垂命」、加茂神社「建角身命」、天満神社「菅原道眞」、岩戸社「祭神不詳」、波除稲荷社「祭神不詳」、寿老神社「壽老神」、鳴子弁財天社「鳴子弁財天」

湖中の鳥居 琵琶湖周航歌から

鳥居と拝殿


由緒

 神社の略記では、祭祀は古代から始まり、垂仁天皇二十五年皇女倭姫命が社殿を再建、天武天皇白鳳二年(674)比良明神の号を賜ったとある。

 『日本の神々5』橋本鉄男氏から。『三代実録』の貞観七年(865)に、「近江国の無位の比良神に従四位下を授く」との記載がある。比良神とは当社の祀る神にあたると云う。全国に多い白髭神社の本社とされている。尤も、奈良の桜井市初瀬の白髭神社を本社とする人もいるようだ。

 白髭神は渡来人の開拓になる地方に多く祀られているという。音では白髭が百済に通じると云うこと。

 14世紀の『元亨釈書』に下記のようなお話があると云う。
 大仏用の黄金を求めていた聖武天皇は僧良弁に「吉野の金峰山の黄金を求めて金剛蔵王に祈らせた。すると、この山の黄金はならぬが、近江湖南の勢多県にある山は如意輪観世音の霊地、そこへ行って念ずれば、必ず黄金が得られよう、とのお夢告があった。そのには一人の老翁が大岩に座って釣りをしていた。老翁は「この背に続く山々の地主の比良明神である。そしてここは観世音の霊地である。」と言ってかき消えた。良弁は大岩の上に庵をむすび、観世音の像を安置、絶え間なく読経を続けていると、やがて陸奥から黄金が出たと言う。

 石山寺の縁起になっている。白髭、老翁、比良神と続くお話。

 琵琶湖を中心にした近江の各地には老翁が姿を現す物語が点在しており、また大和国の長谷寺の縁起絵巻にも長谷観音の御依木運搬を守護する「三尾明神」が老翁の姿で描かれている。同じ姿は水尾神社の賄いの大炊神社隣の長谷本寺にも伝わっていると言う。比良、三尾、白髭、同じようなイメージの神々。

 宮田登著『白のフォークロア』に、「琵琶湖の主もまた白髭明神と呼ばれていた。この神は湖は七度変じて葦原になるのを見ていた長命の主だと云われる神である。」と記している。
 琵琶湖はさまよえる湖ほどではないが、南に移動したり、また地盤沈下で周辺から泥などが流れ込んで逆に浅くなり、やがてまた元の深さに戻ると云う。  

拝殿

社殿 左が本殿


お姿
 白髭湖岸と言う美しい浜とは国道161号線で横切られている。駅から神社への自転車道は病院の西側の茶色の道を行く。サイクリング用の道だそうだ。端山が湖に突き出している所に鎮座する日吉神社の境内に出る。ここからは161号線の狭い歩道を行くと1kmほどで湖中の鳥居が見えてくる。

 もともと、陸地に建てていたそうだが、湖面が上昇してきて、湖中になったそうだ。

 本殿は慶長八年(1603)、豊臣秀頼の建立、方三間、入母屋造、檜皮葺。国宝で現在は重文。

天岩戸から本殿を眺める。

 本殿の背後は山になっており、摂社が幾つか祀られている。その中に岩戸社と言う祠があり、その北側には磐座がある。 山陵を天の岩戸と言う。

岩戸社と磐座

 


お祭り
  5月 3日 例祭
  9月 5日 秋季大祭

平成祭礼データから

白鬚神社 由緒


 古代の鎮祭創建に始まると言われているが、垂仁天皇(第十一代今から一千九百年前)二十五年、皇女倭姫命により社殿を再建され、天武天皇(第四十代)白皇三年(白鳳之甲戊午)勅旨を以て比良明神の号を賜う。後、たびたび改造され現在の建造物(本殿、鳥居、境内社、伊勢両宮、八幡三所、若宮等)は慶長八年(約四百年前)豊太閣の遺命により、豊臣秀頼公が片桐且元を奉行としてご再興(御朱印社領一万石)ありたるものなり。
本殿は入母屋造り、桃山時代建築、片桐且元書棟札現存
昭和十三年重要文化財指定
御社殿後方の山 を天の岩戸と称し祭神縁申の古墳である。
以上

  参考 『日本の神々5』、『平成祭礼データ』

公式白鬚神社

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