馬見岡綿向神社
滋賀県蒲生郡日野町村井705 ゼンリン
社域
交通案内
近江鉄道日野駅 バス北畑行きで向町下車 北へ500m
祭神
天穗日命、天夷鳥命、武三熊大人
摂社 村井御前社「置目老媼命」、笠懸神社「彦健忍雄心命」、富士浅間神社「木花咲耶姫命」、大嵩神社「天穗日命」等
鳥居と拝殿
由緒
延喜式内社の馬見岡神社の論社。 他の論社は近江八幡市馬淵町の馬見岡神社である。
日野町の東、鈴鹿山脈の綿向山を神体山とし、山頂には大嵩神社が鎮座、当社はその里宮である。大嵩神社は欽明天皇六年(536)に蒲生稲寸三麿と山部連羽咋に託宣があり、はじめて山頂に祠を造営したと言う。
当社の宮司は南北朝時代までは出雲宿禰と称していたと伝わる。天穂日命の後裔である。日野地方には出雲系の人々が定住したと思われる。当社の北側には人工的に作られたと考えられる出雲川(黄井)があり、この地域の稲作に重要な役割を果たしてきた。
当社の宮司は室町初期には出雲家から紀氏へ改易されたが、その後も出雲系の人々は祭祀に重要な役割を果たして来たと言う。
入母屋造檜皮葺四十二坪の本殿
本殿の真後ろに「村井大神」と刻印された台石の上に小祠が鎮座している。地主神と思われる。
村井御前社の祭神の置目老媼命は雄略天皇に殺された市辺押磐皇子の埋められた場所を覚えていた老女である。東近江市に市辺と言う地名がある。
村井大神
お姿
深い社叢である。また本殿も見るからに立派な建物であり、圧倒される。
社殿の東側に猪の石像がある。これは蒲生稲寸三麿と山部連羽咋に神の託宣があった際、彼らは綿向山で猟をしていたが、春にもかかわらず雪が降り出し、岩陰で休んでいると雪が止み、歩き出すと猪の大きい足跡を見つけ、これを追いかけて行くといつの間にか頂上へ出ていた。そこに神の化身である白髪の老人が現れ、ここに祠を造り、祭るようにとの託宣があり、これが当社の創建譚となっている。猪は神の遣いとされている。
境内に千両松が植えられている。日野商人の辻惣兵衛は伊豆の三島で醸造業の店を出し、商売に励んで冨を蓄えた。これを故郷に持ち帰りたいが、道中は追い剥ぎ・山賊・盗賊が多く、金子を持ち帰るのは並大抵のことではなかった。そこで松の盆栽の鉢の底へ小判を隠し、故郷へ無事に持ち帰ることが出来た。神のご加護のおかげと境内にその松を植えたと言う。千両松と呼ばれた。
千両松
お祭り
5月 2〜4日 春季例大祭
参考 『日本の神々』、『式内社調査報告』『平成祭礼データ』
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