日吉神社(ひえ)
大阪市旭区赤川4-19-13 its-mo



鳥居

交通

市バス34番赤川三丁目北 1km



祭神

大山咋神
摂社
芝守稲荷社 倉稻魂命
行者堂 配祀 役行者
黒い石神 諸病に霊験



拝殿

由緒

  大阪府全志
 創建の年月は詳ならず。近江國坂本日吉神社の分霊を勧請しせしものなりといふ。明治五年村社に列せらる。淀川改良工事の為同三十四年5月二十九日境内を変更して社殿を移築せり。境内は参百八拾壱坪を有し、本殿・絵馬所・社務所を存す。末社に稲荷神社あり。

 室町時代に赤川寺[せきせんじ]があり、その一隅に神社の前身「山王宮」があっり、また役 小角の石像をお祀りしたお堂があったと伝わっている。この寺は大阪夏の陣で廃寺となったが、神社は類焼することなく、また小角の石像を赤川村に安置して、行者信仰としてあがめられてきた。



本殿


お姿

 神社の北側は淀川の堤防で、ここちよい初夏の風が気持ちがいい。よく箒目がついた境内地である。


お祭り
 
  7月 17日  夏季例大祭

芝守稲荷社


行者堂


黒い石神 昔の宮司が生駒山で入手した霊験のある石

平成祭CD 日吉神社由緒

 当社は、大山咋神をお祀りしています。
 創始の年代は明らかではありませんが、室町時代(御花園天皇、足利幕府)の文安年間(西暦一四四四〜一四四八)、すでに当地に赤川寺(せきせんじ)と云う天台宗の巨刹(大寺)があって、その境内に山王宮と称して近江の日吉大社の御分霊をお祀りした社がありました。大阪夏の陣の際、赤川寺は戦火に炎上してその后廃寺となりましたが、神社は類焼する事なく、改築せられて、氏神として近郷の崇敬厚く、栄えて来ました。
 明治三十四年、淀川拡張工事の為境内地の北部が接収せられ、約二百米南へ本殿をお遷ししたのが現在のお社です。それ以前は大きな境内地であった事がわかります。
 境内には貞享五年(三百二年前)の鳥居石材やその他古い燈篭があります。
 尚山王宮が日吉神社(正読は「ヒエ神社」と読みます)と改称せられたのは、明治初年であります。氏子区域は赤川町・大東町・高倉町・御幸町・友渕町の全地域で戸数は約九千戸あります。
 昭和四十三年十二月、新社殿に改築。
 昭和五十八年、社務所改築。
 以上
 

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