松原神社
兵庫県尼崎市浜田町1-6 mapfan

鳥居

交通

阪神尼崎プール前駅北へ1km



祭神


素盞嗚命 配祀 崇徳天皇、三輪明神



拝殿

由緒

 崇徳天皇の霊を祭るので、12世紀以降の創建と思われる。
 鎮座地の浜田はかっては海岸であった。東へ難波、長洲、潮江、神崎、杭瀬と続く地名は海浜の証。
 浜田川はかっては推量の豊富な川であった。江戸時代には各地の農業用水として利用されていた。
 ところが、浜田村と西難波村はともに井(ゆ)組の最下流であって、水利の面では上流各村と比べて不利であった。浜田村と西難波村とはそれぞれ自己の村の支配の川であると主張し、たびたび水争いが起こった。
 明和二年(1764)、論所であった川縁田地に対して、七ッ松村を加えた三ヶ村に立合絵図を作成するように命じられた。所が浜田村が宮ノ川と竹が鼻に新しい杭を打ち込んだことから両村の間で騒動が起き、双方に数多くの負傷者が出た。このため度々の吟味があり、ついには浜田村百姓八人が入牢させられ、全員が死亡すると言う事態になった。後に和解が出来たと言う。
 明和元年の水論で死亡した庄屋・年寄、および牢死した八人のために浄泉寺墓地に石碑を建てて供養し、現在まで続いている。



本殿

お姿

 地味な雰囲気の神社であった。入り口に小川があり、石橋をわたって境内に入る。神社の隣がお寺と児童公園、低い柵でそれぞれが囲まれている。幼稚園児が公園で群がって遊んでいた。ここの神様はそれが何よりのご馳走と思われる。



松森大明神   石橋
 


お祭り

 10月 13日  例祭   

『平成祭礼データ』から



 主祭神は素盞嗚命で、崇徳天皇を相殿神とし、三輪明神を配祀する。末社は琴浦神社、八幡宮社、稲荷神社。
 浜田に残る伝承によれば、崇徳天皇が讃岐(現在の香川県)に移される途中、大風雨を避けてこの地にご休息されたとき、村民が、このしろ、はまぐり、かき、まてがい、ばい、ゆば、湯どうふ、よめな、しいたけ、ごぼう、かまぼこ、やぎ米、やぎ豆、塩おはぎ、などを差しあげてもてなしました。その由縁から没後も御霊を慰めおまつりするに至ったといわれています。現在三月十三日に行なわれている春祭りをダンゴボーといい、当時と同じものを献上する当屋の中の宮当番が、新しい藁を垂らした注連縄を、松竹梅に寄せあわせて根元を笹でくくった門松に張って、拝殿前に飾りつけます。元旦の早朝、当屋の人たちは威儀を正した服装や裃を着て、一切無言で神事を行います。このような当屋は宮講と呼ばれ現在も神社を中心とするいろいろな年中行事を踏襲して、厳粛に行っています。
 なお、浜田の地は崇徳院の御影堂領が比叡山粟田社領に護持されていた史実と合致し、古くから浜側の田地が(浜田の地名由来)聞かれていたことを物語っています。
以上

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