芦屋神社(天神さん)
兵庫県芦屋市東芦屋町20-3 mapfan

鳥居

交通


阪急芦屋川駅北東に800m登る。



祭神
天穗日命
 合祀 天照大神、豐受大神、木花開耶姫命、猿田彦神、須佐之男神、彌都波能賣神、大山祇命、大山咋命、大己貴命、正哉吾勝命、國常立命、國狹土命、八衢比古命、八衢比賣命、久那度命、伊邪那美命

 摂社
 出雲神社「大國主命、伊邪那岐命、竃神、菅原道眞、火産靈神、少名毘古那神」
 稲荷神社「稻倉魂神」
 猿丸神社「猿丸太夫」


由緒
 瓊瓊杵尊がこの国を統治すべく天降るに先だって天穂日命が国見の為に天降り大国主命に承認を得る為めに出雲に出向くに当たり、この霊山(古書に昼尚暗き天神の森とあり)天神山に天降ったと伝えられる。そうして、山上に皇祖天神を祀り、その御霊威を身に戴いて出雲に赴いたとされる。

 境内西側に古墳があり、猿丸太夫の墓と称されている。猿丸太夫の墓は北陸方面にもいくつかあり、その存在はよくわからないそうだ。猿丸太夫は三十六歌仙の一人とされ、おく山に もみじふみわけ なく鹿の こゑきく時ぞ 秋はかなしき なる百人一首にもある歌で有名。



拝殿

お姿

 本殿は木々の背後になって見えにくい。ただ、本殿の真後ろの高台に住宅が建っており、見下ろすようになっている。木々を植えて本殿の周りを鬱蒼としないと威厳が保てないことになる。ヤマモモ・赤松・黒松・オガタマの木が見える。
 社殿の西側に摂社が置かれている。その下の方に古墳があり、水神社の標識がたっている。この古墳は猿丸太夫の墓とされるが、水神社は芦屋川上流の弁天岩にあった水神を遷座しているようだ。

 平成七年の阪神大震災で多大な被害を受けたが、順次復興してきている。


古墳の中は水神社


お祭り
 10月16日 例大祭
 

『平成祭礼データ』(平成七年)から



 芦屋神社は古来天神社と称したりしが昭和二十一年芦屋神社と御改称申し上げしなり、御祭神天穂日命は畏くも天照大神の第二皇子神なり、往古出雲国なる大国主命が国土の主宰神としてこの日本の国を御統治あそばされしが神漏岐神漏美命(大御先祖の神)の神勅により天饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊(天照大神の御孫)がこの国御統治の大任を負うて天降り給ふこととなりしを以てこれに先だち吾が天穂日命が国形見(国状偵察の意ならん)に天降り大国主命に御承認を得んが為め出雲に御出向し給うに当りこの霊山(古書に昼尚暗き天神の森とあり)天神山に天降り給ひしと云ひ伝ふ而して出雲に向はせらるるに際しこの山上に於て御自ら親しく皇祖天神を祀り惟神その御霊威を御身に戴きて進発せられたりと。

 かくて長き月日を費やして只管接衝を続けられし結果外交宜しきを得て刃に血ぬらず平和の裡に国土奉還、国神帰順の基を開かせ給ひ大国主命からこの国土を天照大神に御返上になりしを以て遂に御孫瓊瓊杵尊が国主として天降らせ給ひ爾来日向三代を経て我皇室が連綿として代々この国を御治めになる大元を築かせられしなり勇敢英邁なる御神功を以てこの重大使命を全うせられし吾が天穂日命の御子孫も年と共にこの武庫の海周辺即ち阪神間に蕃殖したれば後これら氏族の手によりて其の祖神天穂日命を氏神として鎮祭することとなりしを以て由縁ある現今の社地天神山に斎きまつられたりと云ふ。 天つ神を祭れるが故に天神社と崇め古くより天神山と云ひしなり古来武門武将の崇敬厚く産業平和外交の守護神或は縁結びの祖神として霊験蓄しきを以て参拝祈願の士絶ゆることなく又文学の神菅公の遠祖とも伝へらるるの故にか此の地方に菅公を祭神とする所謂天神社と称する社の多きを以ても知るべし。如何なる兵乱の世にありても御社地の変遷のありしことなし。過ぐる大戦にありても無数の敵弾投下に逢いしも一点の火をも発することなく近時年を逐ふて参拝者の増加と共に益々御神威を顕はし給へり。

 明治四十一、二年に渉り芦屋市の発展に伴い氏子地内に点在の鎮守の神々をも本社に合併御同座申上げたるを以て前記の十七柱の大神を奉斎せることとなり芦屋市総鎮守の格となりぬ
 現今の御社殿を始め諸建築物の大方は昭和五年に新改築せるものにして欝蒼たる樹林の下満山丈余のつつじを配し輪煥の美と相俟って諸設備又完備し芦屋名所の一と唄はれ実に阪神間有数の名社たり。
以上

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