敷津松之宮(大国神社)
大阪市浪速区敷津西1-2-12  mapfan



鳥居  南側           東側
 


交通

地下鉄大国町駅北200m



祭神


素盞嗚尊、大國主命
配祀 事代主命、奇稻田姫命、少彦名命
摂社
敷津松之宮御旅所、日出大國社、楠稲荷社、木津勘助銅像

由緒

 神功皇后、三韓征伐の後の凱旋の折り、務古水門に至る時、住吉大神、 吾和魂は大津渟中倉之長峡に坐して、往来の船を看行すべしと託宣し、初めて住吉に社を定めて鎮座された。 かくして武内宿禰を従えて、浦つたいに敷津浜の航行された時、宿禰、荒磯浪の岸にうち寄せるのを見て、今より後は、 ここを境として、潮満ちよすことなかれと、松樹三本を渚に植え、その松の下に素盞嗚尊を祀る。これが当社の起源と伝えられている。 だから松の宮と云う。

 清和天皇貞観八年、僧園如、初めて京都祇園の牛頭天王を播磨国唐崎より勧請する際、当松の宮に立ち寄られ、 当社の祭神と同神であるので、これより当社も祇園または牛頭天王社と称した。

 今井啓一氏は『「須牟地」考』の中で、物部氏の一派の尋津物部が展開した地として住吉郡敷津村(敷津松之宮)の地をあげておられる。 その根拠についてはよく判らない。



拝殿

お姿

 楠木が目立つ境内の北東隅に木津勘助銅像が立っている。 南面する拝殿前に御祭神名が書かれている。あまり上手な字ではないところがいい。
 東向きに七福神を祀る社がある。



本殿



七福神


お祭り

  10月 17日 例祭  

平成祭礼データから

 敷津松之宮・大国主神社由緒畧記
 大阪市の南、地下鉄大国町駅北口を上がるとすぐ傍らに、浪速・西成両区にかけての産土神で、厄除開運守護の須佐之男尊を祀る「敷津松之宮」と、日本一の木彫神像ともいわれる福徳円満の日出大国神が鎮座する「大国主神社」の杜がある。 大国主神は大黒天と習合し、古くより東の「今宮の戎さん」と並んで商売繁盛・諸願成就の福神「木津の大黒さん」と市民に親しまれて、初詣や甲子の日(年六回)を始め十日戎まいりにも「両社詣って本まいり」と、江戸時代からの参詣風習が根強く残り、日の出の勢いのように繁盛と開運とを垂れ給う御神徳に感謝し崇め奉られている。 敷津松之宮は、明治までは八坂神社・木津祇園宮と称していた。
 社伝の由緒は、「神功皇后三韓よりご帰帆の砌、住吉社を定めて武内宿禰を随へ、浦伝へに敷津浜に航し給へる時、荒磯浪の岸に打ち寄すると見て、今より後は之を界に潮満つる勿れとて松樹三本を渚に植え、その下に須佐之男尊を祀りて渡海安全の御霊徳を賽し奉れり、これ即ち本社の起源なり、称して松本宮と申す」と見える。 日出大国社は「延享元年(一七四四)甲子年二月神託あり、出雲杵築大社の大国主大神の御神霊をこの地に勧請し、大黒天と習合し国家安泰・人民幸福を祈言すれば、広大無辺の神恩に感謝して世の人々福神・縁結び又は医薬の神として崇め奉る、甲子の日には産業の神として地方より賽者多く生産繁栄を祈り奉るに至れり。」とある。
   以上


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