由緒 平成祭礼データから
由緒
由緒 当社がいつごろ創建されたかということは、古い記録が残っていないので明らかではありませんが、これを推定する一つの手がかりがあるのです。それは神社に保存されている御影石の建石で、それには表面に「ゑみすのみや」と刻まれ、側面に「永久三年乙未年三月」と刻まれています。永久三年というのは平安朝の末期、西紀千百十五年ですから今から八百五十余年前になります。建石そのものはその時代のものではなく、遥かに後世につくられたものですが、それにしても、ここに、刻まれている永久三年という年が、全く無意味なものとは考えられません。恐らく神社にとって何かたいせつな年、記念すべき年であったに違いないでしょう。あるいはこれが神社創建の年として人々の間に伝えられていたのを後世の人がこの建石に刻んだのかもしれません。あるいは神社の創建はもっと古くて、この年に神社に何か大きなできごとがあって、この年が永く記憶されたのかもしれません。
一方、平安時代のこのあたりの土地の様子を考えてみますと、そのころは大阪湾が今よりもずっと奥深くはいり込んでいて、その中にいわゆる難波八十島が点在していたといわれています。その多くの島々が淀川の推積作用によってだんだん連続するようになり全体が陸地に化していく、そういう状態でありました。したがってこのあたりは平安時代の末ごろから開発され始めたと考えてもけっして不自然ではありません。かれこれ考え合わせますと、どうやら神社の起源は野田の土地の開発と密接に関係しているようです。
ところでここに「エビス様」がお祀りされているのはどういうわけでしょうか。元来「エビス様」は古くから漁業の神として、漁民たちが信仰していた神様でありました。エビス様といえば右手に鈎竿を持ち、左手に大きな鯛をかかえたお姿を思い浮かべられるでしょう。もちろんこのような御神像ができるのはずっと後のことですが、漁民との深いつながりは古くからあったのです。このことを考えますと、当初この地を開発したのは漁業を営む人々であったと推定できます。今から八百年以上の昔、始めて野田の地に住みついた漁民の一団が、自分たちの信仰するエビスの大神をお祀りした、これが当神社の起源であるということになります。
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