臂岡天満宮
兵庫県伊丹市鋳物師1-103  mapfan



鳥居


交通
JR北伊丹駅 西1km



祭神

菅原道眞、天照皇大神
合祀 素盞嗚命、應神天皇、天兒屋根命
摂社 臂岡ゑびす社、三宝社、不明社



由緒
 延喜年間(901〜923)の創建と伝えられている。通称「いもじの天神」と云う。

 「いもじ」の地名は、中世に各地を移動して武士や民衆に金物を供給したり、寺の鐘を鋳造したりした職人集団である「鋳物師」に由来しているようだ。

 道真公は左遷で筑紫へ行く途中にここに立ち寄り、あられ茶を飲みながら肘を枕に休まれたので、それ以来この丘を肘岡と呼ばれるようになった。

 後にこの地に建立された社を臂岡天満宮と名付けた。また道真公の旅立ちにあたって、村の男衆が大きなおむすびをたくさん作って差し出し、道中の無事を祈ったりしていることから、現在でも祭りの時にはおむすびを供え、参拝の人々にクバって無病息災をお祈りしている。

 神社の入り口に臂岡天満宮、稲荷大明神と掘った石柱がたっている。稲荷は白髭稲荷と云う。


白髭稲荷
 


拝殿

お姿
 伊丹は空港があるように平地なのだが、所々に丘と云った程度の高地がある。一面が海だったころの島だったのだろう。

 丘の南側に稲荷社がある。

 稲荷社から天満宮に登ると、鳥居、拝殿、社殿と続く。向かって右側に摂社があり、木の切り株、石、石祠を並べて祀っている。社に人がいなく、不明。 左側には社務所とゑびす社。



本殿


お祭り
 10月 24日 例大祭



祭神不明の摂社
 

由緒 平成祭礼データから

 延喜年間の創立にて臂岡天神という。抑々臂岡天神と申し奉る由縁は、橘御苑鋳物師に良霊寺とて御苑郷八百余町を寺領して七堂伽藍の所なり。(中略)かかる清浄の霊地たりといえ共天災遁かたく炎失して其後建立の願主もなく、旧跡ばかり残れり。(中略)

 昌泰四年の比菅丞相(菅原道真公)筑紫へ御下向の時此所に立寄らせ給ひ霊地の絶なむ事を憚ませ「我赦免を蒙りなは此所をふたたび仏法繁昌の霊地となすべし」と宣ひ御枕を傾け給ひ御言の葉に
 「萬代の岡の松かぜすずしさに誓ひをのこす手枕のゆめ」
 と詠ぜさせ給ひしより此所を臂岡と申すなり。(別名萬代ケ岡とも云う)

 其後筑紫安楽寺にて延喜三年二月二十五日終に御逝去なされ天満天神と顕れ給ひ。(中略)一条の院より正一位太政大臣の贈官を筑紫へ遺はせ給えば神も御受納ましまししにより勅使隋喜ありて御自筆の御影を申し請けて上洛の時、去る因縁にか此の所に御一泊なされ、橘氏を召て今夜不思議の御示現に曰く、
 「へだてても誓ひはおなじ法の道頼むこかげにあめももらさじ」
 と新に御夢想あり如何様此所い御誓ひをも残させ給ふやと御尋ねありしにより、橘氏畏って御下向の時の御言の葉を申上るに勅使感応ありて、此所に一字を建立し崇奉れと御影(菅公自画像)を下されしに依て一社を建立し橘御苑臂岡天神と崇奉る。
以上

参考 『式内社調査報告』 『平成祭礼CD』

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