四宮神社
神戸市中央区中山手通5-2-13 mapfan



鳥居

交通

市営地下鉄県庁前駅 西120m



祭神
市杵嶋姫命
摂社 三義稲荷神社、弁財天巳神社「巳大神」

由緒

 神功皇后が三韓征伐からの帰途、生田神社を長狭の国(当地)にお祀りされた時に、当地の八ケ所に鎮座の神々を東から順に巡拝された。その一社として、「四の御前の神」と呼ばれた。
 生田神社に先行して鎮座との伝承であるが、その信憑性はいかがであろうか。


社殿

お姿

 県庁など兵庫県の官庁の分布する地域の一画に鎮場している。中山手通に南面して鎮座、一宮から八宮までの神社では最も狭い立地のようである。


港神戸守護神 厄除け八社の表


お祭り

 例大祭 5月 11日   例祭 10月10日、11日

『平成祭礼データ』

  御由緒

 創建年月は不明ですが、神功皇后が摂政元年二月の三韓征伐の帰途、ご神託により活田(生田)の神を長狭の国にお祀りせられる時に、同国八ケ所に鎮座されている神々を東から順に巡拝された一社として、「四の御前の神」とご名付けをされたのであります。ご祭神は天照皇大御神が素盞嗚尊と誓約をされた際にお産れになった五男三女神の一柱市杵島姫命、七福神の一柱といわれている弁財天をお祀り申し上げております。広島県の安芸の宮島の厳島神社とも関係があるようです。其の後、永録年間、摂津の武将荒木村重が織田信長の命令で花熊(隈)城を築くや、その鬼門鎮護の神に定められ、城主より幣帛が捧げられました。天正八年七月二日、花熊(隈)城の落城により、戦火を受けましたが、安政元年九月現在地に移転、再建され鬼門鎮護、福徳円満、文学芸能の唯一の神として、特に芸能人、文化人の崇敬が篤く、「花熊芸者の名付けの神」として有名でありました。明治三十八年六月二日、当地一帯の大火で再びその災害を罹りましたが、同四十三年五月十一日、再度芸能人、文化人をはじめ当地の有力な崇敬者によってご造営されました。当神社前に兵庫県政を司る県庁が置かれ、初代知事伊藤博文公も氏子に住まわれ、歴代知事の公舎も当神社氏子内に建てられ、県政守護の神様として、県関係者からも崇敬され、昭和二年十一月十九日、「村社に列せられ」兵庫県知事の幣帛料指定献上社として、歴代県知事が例大祭に参列されるようになりました。昭和二十年六月五日の第二次大戦の空襲でその被害を受けましたが、昭和三十五年五月、当時の副知事金井元彦氏により、復興奉賛会が結成され芸能人、文化人、兵庫県民、神戸市民、氏子崇敬者から浄財を募集、昭和三十八年五月十日に現社殿がご造営されました。境内の摂末社、三義稲荷神社は安政元年、八幡神社は安政二年、崇敬の篤い氏子崇敬者により半減し、五百六十坪となりましたが、官公庁街の一角に、朱塗りもあでやかな社殿こそは、人々の「いこいの場」「心のふるさと」として、その尊厳さを保っており、神戸市民より崇敬されています。
  以上

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