越木岩神社
兵庫県西宮市甑岩町5−4 GoogleMap

甑岩前の鳥居と社殿

交通

阪急甲陽線苦楽園口 北北西1km



祭神
蛭子大神

岩神社「市岐嶋姫大神」
苦楽園神社「國龍命」
白玉稲荷神社「白玉稻荷大神」
大崎稲荷神社「大崎稻荷大神」
六甲山社「菊理姫大神」
雨乞社「貴船大神」
土社「大地主大神」

甑岩(南座)と岩社神祠

由緒

 神社由緒には式内社の大国主西神社の後裔社としている。 祭神は戎神で江戸時代に西宮神社より蛭子神を勧請したようだが、海辺でもなく不対合いと思う。 どうも磐境信仰だけでは江戸時代以降は神社の維持が難しかったのであろうか。

 磐座がご神体の神社である。磐の形が米を蒸す蒸籠(セイロ:甑)に似ているので、甑(コシキ)岩と呼ばれたようである。 古代からの祭祀の場所であったと思われる。

 この神社の磐座はこの甑岩の北50m、更に30mと巨石があるそうだ。一直線に並んでおり、その延長線上の真北に北山がある。その頂上にも磐座があるとのこと。 六甲山系南麓には古代祭祀跡が多く、甲山からも銅戈や石鏃が出ている。

越木岩神社の拝殿



由緒 平成祭礼データから

 当社は東六甲山麓唯一の霊地で、天然記念物の森におおわれた霊験あらたかな神社で ある。創立不詳といわれるぐらい由緒深く、甑岩を霊岩とし、今なお全国的に信仰を 集めている。また、古代信仰の磐境・磐座祭祀と呼ばれ学術上貴重とされている。今 を去る千年前の延喜式神名帳に大国主西神社が記録されてるが、当社であろうと思わ れる。正保年間(一六四四年頃)に社殿が再建され、明暦二年八月十六日(一六五六 年)に円満寺の教順僧侶が「福神」の総本社西宮神社より蛭子大神を勧請し、蛭子太 神宮と称した。以後数回社殿は修覆されたが、現在の見事な片削破風流造の御本殿は 昭和十一年に、また、拝殿は昭和五十八年に御造営になったものである。歌謡に「杜 のふもとに甑を立てて招く湯の里ヨホホイ越木岩」とうたわれた。

越木岩・苦楽園・夙川鷲林寺・柏堂という関西の高級住宅地の産土神としてあがめられている。 以上

甑(コシキ)岩




たたずまい

 鬱蒼としている神社社叢は天然記念物。
 甑岩はそそり立っているが、人為的に積み上げたものか。
 徳川の大阪城修築時、この岩も石材の対象となったが、石工が矢穴を入れ割ろうとした際、岩の割れ目から鶏鳴が起こり、真っ白い煙が上がった。 石工は転げ落ち、逃げ帰ったと言う。


お祭り

1月 9日 3日間 十日戎祭
3月 4日 1日間 春祭
3月 日 2日間 最終土曜日 椿祭
6月30日 1日間 大祓式(夏越祭)
7月 6日 1日間 夏祭
9月21日 3日間 例大祭(秋祭 宵宮祭)
  9月22日 1日間 例大祭(秋祭 本祭)
9月23日 1日間 例大祭(秋祭 奉納祭)
11月 日 1日間 中旬 岩社祭(甑岩祭)

 この神社の北側に北山があり、巨石の宝庫である。20年ほど前に山火事があったようで、多くの巨石が発見された。そのなかに下記のような配列が見つかっている。配列の中の石に人口の手が加えられており、夏至の日の出を示していたと云う。山中に分け入ったが石の場所がよく判らない。神社と山の間の大沢西宮線から巨石が見えていた。

石の配列図(大和岩雄著『神々の考古学』から)

北山の岩 いずれも大きい!!


日本の神々3(白水社)


公式越木岩神社
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