兵庫県尼崎市久々知1-3-28 mapfan 鳥居 交通 JR塚口駅 南東 700m
社殿 由緒 妙見とは、北斗妙見菩薩を指し、北辰星(北極星)を中心に北斗七星を神格として祭ったものです。これは大阪府下の能勢妙見宮を川西に本拠する多田満仲がとくに崇敬したため、その配下の武将も同じ妙見信仰を持つようになったと考えられます。当社の境内にある満仲ゆかりの「矢文石」も、強肩の人物であった満仲の鏑矢伝説と結びついたものです。 江戸時代に刊行された『摂津名所図絵』にも描かれている風景は現在も地元の人々によって大切に保たれているところです。 矢文石 多田満仲公は摂津国守に赴任すると、住吉大神の御信託によって当須佐男神社のこの石の上から矢を放った所、矢は雲の上遥かに飛び上がり、池田五月山から戊亥(西北)の方向にあたる谷蔭の深いところに光を放って落ちていった。 満仲はその放った矢を問いながら来られた処、頭が九つもある大蛇に突き刺っており、大蛇から流れた血水跡はまるで紅の河のようになって流れた。早速大蛇の首を切り、九頭の明神とあがめ祀った。大蛇の地水の引いた所が多くの田のようになっていたので、所の名を多田と名付けた。また矢を問いながら来た所から、矢問という地名もつけられた。
兵庫県川西市東田原2に九頭大明神が鎮座、五月山から北西に当たる。
近松門左衛門の墓 廣済寺と近松門左衛門 廣済寺は、江戸時代の正徳年間(1711〜1716)に、日昌上人が法華道場として再建した。近松門左衛門はその際、建立本願人として貢献した。その後もたびたび廣済寺を訪れ、ここで作品を執筆したと伝えられている。
お姿 廣済寺の妙見祠と元地の碑
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