柴島神社
大阪市東淀川区柴島3-7-30 its-mo



東の鳥居



西の鳥居


交通

阪急柴島駅 北北東 500m



祭神

天照皇大神、八幡大神、春日大神
摂社  仲哀天皇社   末社 住吉神社 住吉大神 神功皇后 (合祀)稻荷大神 水波能賣神

由緒(大阪府全志)

 社記によれば、貞永元年九月二十七日(1232年)の洪水に際し、柴に乗りたる小祠ありて当地に漂着したるに、此の三大神なりしかば、奉安して産土神崇め祀りしもの即ち当社の起原(源)にして、村名の柴島も是より起これりと、 雄略天皇二十三年、皇女倭姫命を奉して其の臣豊足彦は五柱の皇大神を奉祀すべき霊地を諸国に求め、今の山田村大字山田小川に齋祀して本地を領し、其の裔に豊足彦を祀ったと云う。もと字白妙にありて明治五年村社に列したりしが、其の地は淀川改修工事の為の河川敷となりしを以て、明治三十四年四月二十六日現在の所に移転し、同四十二年三月十六日字小金畑の無格社仲哀天皇社を合祀し、同六月神餞幣帛料供進社に指定せらる。(一部省略)末社にに住吉神社あり。氏地は本地の磯部にして、例祭は十月十五日・夏祭は五月十五日なり。



拝殿



本殿

 柴島晒ゆかりの地
 江戸時代、大坂の周辺では綿花の栽培が盛んで、それを原料として木綿業が発達していました。柴島一帯では、淀川の流れを利用して木綿を洗い、それを干して乾燥させ、陽にあてることで白く加工するという。晒業が営まれていました。はじまりは文禄二年(1594年)にさかのぼるともいわれています。『摂津名所図会太成』という書物には、淀川の堤防上に白く敷き詰められている木綿が、まるで雪が降り積もったようで、たいへん美しかったと記されています。明治の末には、年間八百万反を生産し、大阪の主力産業のひとつでしたが、淀川改修工事や柴島浄水場の建設などの永享で、むかしからの晒業はおとろえてしまいました。 大阪市教育委員会



柴島晒ゆかりの碑


お姿

 下町風の町中に鎮座、何かあわてて鎮座したように感じた。
 境内の西側は公園になっており、ここに巨木が数本ある。


お祭り
 
 10月14日  秋季太例祭



仲哀天皇社
神社創建の前はこの地は「仲哀天皇の森」とよばれていた。
仲哀天皇休息の地と伝えられる。



住吉神社   明治末期 水神社を合祀している。




平成祭CD 柴島神社参拝のしおり

 社伝によれば、第八十七代四条天皇の御代貞永元辰年(一二三二)秋、近国一円は三十余日間大洪水に見舞われ大海の如く、人々は非常に嘆き悲しんでいた。当時、この地は仲哀天皇を産土神として奉祀し「仲哀天皇の森」と呼ばれ他所より一丈ばかり高地であったので、村人達は当地へ避難した。九月二十七日になり、柴に乗った小社が流れてきて、人々が見守るうちに当地に漂着した。村人達が不思議に思っていたその夜、里長三人夫々の夢に白髪の老翁忽然と現われ、一人は弓矢を携え白馬に乗り、一人は寿木の杖にて鹿を愛で給う。
 三人とも夢心地に不審に思い「如何なる御方にて渡らせ給う」と尋ねれば、「我は八幡、我は春日、中は天照皇大神にて、今より後は此の里の産土神と成りて守護す。柴に乗り来る儀を祝い里の名を柴島と名付け、汝が子孫永く末代まで繁栄せよ。我が告げ知らす言葉をよく覚えて人々子孫へ伝えよ」と宣る御声と共に小社にお入りになるのが見えた。三人共夢覚めてお互いに同じ夢を見た事を知り、これは神のお告げと、急いで林の内に美しい白砂を敷きて御安座し、里の名を柴島と改めるは神勅なりと、夢に見た事を詳しく書き残し、時の記録所に訴えて、柴という字は「くに」という読みがあるので、柴島と書いて「くにじま」と呼ぶようになった。以前は国島と書いていたといわれている。神勅のとうり八幡大神・天照皇大神・春日大神の三柱を産土神として奉祀し、特に八幡大神は初めに三人の里長へお告げになったので主神としている。
 御旅所を字小金畑に設け仲哀天皇を奉遷す。当社は元、原外島字白妙に在り樹木茂り、明治五年、村社に列す。明治三十二年四月二十六日、淀川改修工事により同川敷となる為現在の字調布に移転、無格社仲哀天皇社も明治四十二年二月十六日、境内に奉遷、同年六月、神饌幣帛料供進社に指定された。尚、現社殿は昭和四十一年に改築されたものである。
 里長三人の狂歌。
 「そのむかしかはす言の葉たがへずと千代も八千代も是ぞかみがき、面白や水かさ満さる世ならずばいつか流れて是ぞしばしま、ただたのめ伊勢も伊勢なりここも伊勢我しばしまのあらんかぎりは」(仁治三壬寅年九月二十七日)。慶長元年、豊臣秀吉公ご閲覧の時、古紙に書いてあるのを見つけて写したものである。
 享保十四巳酉年、従一位正親町白玉翁が当社の来歴ご覧の時奉納の御歌。
 「津の国の古き社の言の葉もけふ九重に見るもいにしへ」
 元文四巳未年十一月十四日、宮座の梅谷友重外二十八名の写し残したものがある。宝暦五年六月、正親町三条殿御祈願により、三十六歌仙額並びに燈篭一対寄付せられた。
 年号不詳午年六月、園前大納言殿より神号額並びに燈篭一対寄付せられた。御神宝として昔より伝えられてきた御神刀は鎌倉時代の作と鑑定され、大阪府指定有形文化財に指定されている。
   以上

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