湊八幡神社
神戸市兵庫区兵庫町1-4-37 ゼンリン


新しい鳥居

交通

新開地南東600m


祭神


應神天皇

拝殿

由緒

 神功皇后三韓征討の帰途、摂津国岡野村にお立寄りになられた時、応神天皇がお生れにならんとしたため、その地の霊石をお探しになりご誕生の延期をお祈りした。その祈りが通じた為、その後其の霊石を岡野村より福原街東溝下旧長谷川楼の辺りに迎えて一社を創立し、その後現在の地に奉還、湊玉生八幡宮と称されておりました。このことは天和二年壬戌八月十五日識すところの旧記により天和以前に創祠されていたことを確認する事が出来ます。
 その後社頭が荒廃したため奉行河野通政の援助と崇敬者により社殿を改修、更に嘉永元年に至って再建され、明治六年村社に、大正四年幣帛供進社に指定される。
 しかしながら規模的に小社すぎた為、昭和十三年境内地を三百十四坪に拡張するとともに、社殿四十六坪、社務所四十八坪その他神門、透塀、玉垣等を建築し、兵庫本町筋に異彩を放っていた。
 しかし、昭和二十年三月の戦災により社宝とともにその一切を焼失した。現在の社殿は昭和三十二年から三十七年にかけて再建されたものである。『平成祭CD』から。

拝殿と本殿

お姿

 東向きに鎮座。木々は少ない。槙が数本。樫。
 迷い子のしるべ建て石という二柱がある。本来のものと新たにつくった石柱。
 当社は元西国街道筋が兵庫の町への東入口に在り徳川時代には番所があり要衝であった。警察活動の行き届かなかった時代、迷子さがしの方法として考えられ神社塀外に建てていたのがこの建て石である。惜しくも昭和二十年戦火によって破損したが我が国に於いて現存しているのは数少なく当時の風俗を物語る貴重な資料である4

迷い子のしるべ建て石


お祭り

  9月 14日 例祭

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