熊野神社
兵庫県西宮市熊野町3-26mapfan

鳥居

交通

阪急神戸線西宮北口駅 東1km



祭神

伊邪那美尊
摂社 愛宕神社、算学神社「毛利重能」、稲荷神社



拝殿

由緒 『平成祭礼CD』

 当神社の御創立がいつごろか・・・についてはそれを証する古文書等が存在しないので詳らかでない。ただ、昭和十三年ごろ切り倒した老松は樹齢五〇〇年を数え、さらに同二十三年頃倒壊した松樹四本もすべて四〇〇年の樹齢を重ねた古松であった。
 そうした古松の存在は、神社の創立と重大な関係を有することはいうまでもない。
 この辺りはむかし広井の庄(別名瓦林の庄)といい、荘園として存在したところ、瓦林の地名も不詳ながら応仁の乱(一四六五年)以前から存在したことはほぼ疑う余地がない。
 その瓦林の村落の発生とともに当社が創建されたことも十分に考慮される。
 文献としては、御神体を納めた六角形の宝筒に「此宮寛永元年九月十三日伝勧請スト」とある。寛永元年は一六二四年、昭和五十三年より数えて三五三年をさかのぼる。
 御祭神は紀州熊野那智大社よりの御分霊で千手観音(若王子)であり当社も社名を若王子神社と尊称した時代が長く続いたが安政五年ごろには若王子大権現、さらに明治初年ごろ熊野神社と改称されて今日に至っている。



本殿

お姿

 社殿の変遷は古図によると春日造り、そして元禄十五年(一七〇二年)ごろは権現造りであった。その後元文丁巳二年御屋根葺替が行なわれ、安政五年には御社殿の全面改築、降って昭和十三年、区画整理によって境内が整美されあわせて神殿もすべて現在の端正広壮な御社殿に御改築、同時に大鳥居、大灯篭なども献納されその面目を一新した。

 松や楠が多く生えている。社殿の背後に高いマンションがあるが、静寂で落ち着いた雰囲気を醸し出している。濃密な社叢のお陰だろう。
 鎌倉時代の層塔の残欠がある。熊野権現と云われた神仏習合時代の名残の遺品。



愛宕神社・算学神社・毛利重能顕彰石碑

 毛利勘兵衛重能は瓦森の住民である。のちに京都に移り、多くの弟子を育てた。当時の数学を集大成し、元和八年(1622)割り算書を著して、そのばんの除法・金銀売買・両替・無尽・利率・面積・体積・比例などの日常の算法を広め吾国数学の道を開いた。

 参詣は春休み。丁度宮司の子供が賽銭を集めていた。「僕は算数はどう?」と問いかけると、「得意科目は数学です。」と即答、目元涼しいきりっとした子供、我が輩の少年時代を想起した次第。



寛永燈篭

 寛永十七年(1640)の紀年銘がある。西宮市最古のもの。上部の火袋の細工は江戸時代初期独特の作風をよく表している。


お祭り
10月15日 例祭
 

参考 『平成祭礼CD』

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