岡太神社(おかしの宮)
兵庫県西宮市小松南町2-2-8 its-mo



並河誠所の岡太社の石標

交通

阪神電車武庫川駅 北500m



祭神
天御中主大神 合祀 高皇産靈神、素盞嗚神、稻田姫神、大己貴神、蘇民將來
摂社
大神宮、八幡宮、住吉宮、春日宮、恵美須宮、諏訪宮

由緒
 江戸時代の並河誠所が延喜式内社の岡太神社に比定し、社号を刻んだ石碑まで建てたが、『濱村岡司之宮大梵天王之由来』(江戸時代)によれば、元当社を「おかしの宮」と呼んだので、その創祀者を「岡司新五」と伝え、「岡司宮」と称したと言う。これを並河誠所は岡司氏の郷里である広田村の多い岡田姓と混乱し、岡司宮を岡太宮と誤り伝えたのだはと、『式内社調査報告』で吉井良隆氏は述べている。

 神社で頂いた略記に依れば、由緒は以下の通り。
 創立年代詳かならず。伝に曰く「宇多天皇寛平五年武庫郡広田村の人岡司氏此地を開発して浜村といい延喜元年天御中主神を主神に郷里広田の大神五座を末社として共に鎮祭せしを起源とし由つて岡司宮と称す」と、祭神は古来仏説に因て大梵天皇とも称したりしか今天御中主神に復す。
 合祀神五柱は元、上の宮と称して本社の北に当たる人家の間にありしを明治五年合祀せるなり。



鳥居と社殿


また、同略記に、伝説として掲げられている。
 武庫郡広田村の岡司氏寛平年間此地に来り田畑を開き耕作に従事せるに沖より度々潮上がり五穀熟せず。依って一度故郷に帰り一日高隈ヶ原に至り広田社前に憩ひて一睡せるに一人の老翁出現して曰く「汝武庫の浜に出て耕作すと雖も五穀稔らさる故は是天の二十八宿の行度不順なる故也、汝彼地に至り更に祈請せは天気穏和五穀成就するに至らむ」と夢醒めて広田神の神託を蒙れりと知り感奮して引き返し浜村に至り大梵天皇を祈りて遂に五穀豊穣なるを得たり。此に於いて延喜元年此地に宮を構えて大梵天皇天の二十八宿を奉祀せるを起源とすると伝えたり。



社殿

お姿

 約千坪の境内地。よい緑地である。供養塔二基があり、伝小松内侍平重盛郷供養塔と記されている。
 狛犬は猪。



狛猪
西宮神社の恵美須大神が毎年正月九日の夕に押照宮(岡太神社)
で高潮や洪水等の災害を未然に静止して五穀豊穣をもたらす猪
(静止)打神事をされると伝えられこの神事の妨げにならぬよ
斎籠をする風習がありました。これは静止を猪にかけたもので
猪は大神の使わしめと云われています。

 摂社に北向きの白山神社が鎮座している。
 天正十年(1582)反逆者・明智光秀の武将・四方天但馬守は、備中の戦陣より急遽引き返した秀吉を三軒屋で乱戦して組み敷き、くわえた刀で討とうとしたが不覚にも歯が欠けて刀を取り落とし、後を追ってきた加藤清正に誅されました。但馬守は無念で、これからは歯の悪い人を治してやろうと言い残したとの風説があります。
 この話は白山大神と但馬守との付会です。白山大神は、和と結び・禳災の神ですが、当地では白山、はくさ(歯そう)さんと転訛し、北向きの歯神さんとして周知されています。



白山神社と供養塔


お祭り

  10月 11日 例祭

一時上臈
 例大祭には、一時上臈と称する御幣が奉納される。 
 祭祀組織は南、北二つの講から成り、各一戸が任期一年の頭役を輪番によりつとめる。
 祭りの前々日に南北両講の者が社務所に集まり、竹串の先に直径約9cmの輪をつけ、紅白の紙により宝冠状に飾った御幣を18本つくる。北講の幣は女、南講は男であるという。
 祭りの当日、餅、柿、柚、柘榴、栗などの供物うぃお入れた唐櫃の上に直径約1mの藁の輪に15本の幣を立て頭屋から神社に運ぶ。
 行列は手桶を持って笹で道を払う少年、頭屋の主人、紙官、伶人、巫女、幣をのせた唐筆の順で、北講の後に南講が続く。
 供物、幣を神前に供えて祭礼が行われる。
 祭りの当日、午後4時頃になって拝殿に南・北両講の頭屋があがり栗、里芋、焼豆腐の汁による直会がある。
 かって氏神の祭礼に村人が順次頭役を勤め後継者となる少年が祭祀の役割を分担し、巫女的な少女が供物を奉斎した。
 直会の席はかっての宮座における頭役交替の姿を、藁輪は神聖な頭屋の標識を、供物直会は村人のハレの日の食物を伝えている。私達は現在に残る特殊神事を通じて中近世における宮座を中心とする祭祀組織、伝統的な祭りのありかたを知ることができる。− 西宮市教育委員会 −


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