住吉神社
大阪市西淀川区大和田5-20-20 mapfan
鳥居
交通
阪神千船駅 南の千船大橋を渡り、西へ 300m
祭神
底筒男命、中筒男命、表筒男命、神功皇后
本殿
由緒
千船の駅に「大和田町の旧跡一覧」を記した掲示板が掲げられていた。
一、万葉古歌に於ける大和田(大和田住吉神社に記念碑)
浜清み浦うるはしみ神代より千船の泊つる大和太(おほわだ)の浜 読み人不知
他
二、遣唐使節船の乗り換え所、和田の泊(川舟より大型船に)
『続日本後紀』平安末期の約九十年間
平清盛和田の泊の川底浚渫せりとの記録あり
紀貫之の土佐日記にも「和田の泊」云々あり
三、源義経源平戦(屋島攻略)出陣地
記念樹「判官松」跡、出陣に関し種々の伝承あり
他
神社境内に「万葉歌碑の由来」との掲示板がある。
先の古歌について、この歌の大和田の地は、神戸市の和田岬に近く、かっての大輪田の泊と呼ばれた付近をよんだものであるとの説があるが、これは謬りで、摂津名所図絵には、大和田が「御手村の西北にあり此所尼崎に近くして河海の界なり、故に魚鱗多し、殊に鯉掴という。なお浦浜古詠あり。兵庫の和田岬とするは謬也とことわってある。郷土史家の厚い想いが伝わる。
某女史の極端な見解がある。大和田はただならぬ所、かつ姫島と近接している、従ってここの住吉神社こそ、住吉の元社ではなかろうか、と言うのである。参詣してそれが判るのか否かではあるが、4世紀以前、当地は陸上であったか、海中であったか、であるが、姫島神社の創建初期には海中の岩礁でお祭りをしていたのではとの推測もなされる程の低地であり、徐々に島々がつながって来ていた時期ではとの想い。 八十嶋祭りの原点。
神社の由緒から。
『大阪府全志』によれば、「正和九年(1320)の勧請と言う。河に沿い、海に頻し、居住の多くは漁業を営みしを以て、住吉四神をまつりしものなり。」とある。
これでは後述の義経云々とはならない。
また、神功皇后帰還の折り、大和田の浦に船を寄せられたとの社伝があるようだ。
お姿
「判官松の碑の由来」
平家物語巻第十一逆櫨の記述によれば、元暦二年二月三日九郎大夫判官義経都をたって、摂津国渡辺(今の堀江)より舟ぞろえをして八嶋へすでによせんとす。三河守範頼も同日都をたって摂津国神崎(今の西淀川)より兵船をそろえて山陽道におもむかんとす」とある。
平家追討の軍勢は折からの台風の襲来にあい、一時退避、その時義経はあらためて住吉大明神に海上安全の祈願し一本の松の苗を手植えした。それが判官の松の由来である。
亦一説に義経の軍が流れ着いた時、大和田の庄屋が鮒の昆布巻きを献上しこまごまと生活の煩事を援助した。喜んだ義経は食事の箸を地中に立てその意を天に示した。どうしたことかみるみるうちに生きかえり松の姿に生長した。
判官松の碑
社域は広くない。社殿は一社である。木々もそこそこ。
お祭り
10月16日 例祭
『平成祭礼データ』の由緒
住吉大神とは、底筒男命・中筒男命・表筒男命の三柱の御神を総称して申し上げています。
日本書紀や古事記の史書の伝えるところによりますと、伊邪那岐命が崩くなられた愛妻の伊邪那美命を追って黄泉国まで那美の命を迎えに行かれますが、望を達せず、却って黄泉国の穢れをうけられたので、それを祓ひ清めるため、筑紫の日向の橘の小戸の檍原で、海に入って、御禊祓ひをせられました。その時、生れませる神が、底筒男命・中筒男命・表筒男命の三柱です。
神功皇后は、第十四代仲哀天皇の皇后で、父は開化天皇の曽孫にあたられる気長宿禰王、母は葛城高額媛と申し、天日槍の後裔にあたられる御方です。
仲哀天皇と御一緒に九州の熊襲征伐に向はれ、天皇が、崩御せられた後も、女性の御身ながら、更に進んで朝鮮半島にまで出兵せられて、大いに国威を輝かされて還御のみぎり当大和田の浦に船を寄せられたと伝えられています。
往昔より大和田の庄・大和田の浦とも称して、神崎川末流の東岸に在って、佃島を狭んで、大物の浦に対し、大河尻にして大物と共に平安朝時代には、大小の船舶が寄港した大津港であります。魚鱗に富み里人天賦として漁業を営み、以て海上守護神たる住吉三神を勧請する所以です。
元暦元年辰二月源九郎判官義経公、木曽義仲を近江に破り、つづいて兵庫福原に陣する平氏を攻める為、下向の節に当浦に碇を下されて、住吉の神に戦勝祈願をされ、庄屋の家敷にご休憩の折、三宝に松を植えて、御祝儀申し上げたところ、非常に喜ばれ、記念として松樹を当社の西南方一町の地東西十五間南北三間の小丘上に植樹せられました。時の人、これを判官松と唱えたと後世に伝えられています。
和歌の名所としても知られており、数多くの歌が残されています。
万葉集
浜清く うら懐かしき神代より 千船もとまる 大和田の浦
名寄
君が代は 千船の泊る 大和田に 立つ細浪の 数も知られす
夫木
大和田の浦わに 今宵船とめて 清き浜へに 月をいさ見ん
湘久
何となく鯉は浮けり 春の水
以上 |
参考 社頭掲示、『大阪府神社史資料』、『平成祭礼データ』
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