猿田彦神社
神戸市兵庫区佐比江町30 ゼンリン


社殿

交通

新開地東南600m


祭神


猿田彦命

社殿

由緒

 猿田彦大神は魁の神として常に神々の先頭に立って道案内を務められる神で、天孫降臨の時、皇孫瓊瓊杵尊を天八衢に立ち向かえ云々とあり、災難除けの信仰がある。
 即ち海上では船霊神、路上にあっては交通の守護神として衆庶の尊崇が厚い。
 さて当社の創立はつまびらかではないが口碑によれば、元矢田郡白川村に鎮祭されていたが、平清盛福原に都を定め、兵庫築港に際し七日七夜の参籠の後、祈願を込めたるところ難事業に成功したので、後年此の地に奉遷したと伝えられる。

お姿

 街角の一隅に鎮座。東面。
 元禄九年の『兵庫津絵図』には佐比江を内海と記し、その入口は九〜十一米であるが、長さ二百十七米、横三十六米の入江を画き、その岸が七宮神社の北に迫り湊口惣門の東にあった番所のそばまで海になっている。元禄の頃の佐比江の入江が如何に深く湾入していたかが知られる。室町時代東大寺所管の兵庫の北関があったのはこの辺りの地点であろうと言われている。

 寛政の頃の佐比江は
 兵庫髷紅おしろいの 花の顔 佐比江とといへど 日々に新し

 と俗謡にうたわれて、弦歌さんざめく花街であった。
 今から二百年程前、佐比江の遊郭が栄えていた頃、そこの遊女が当時白川にあった山伏山神社(祭神猿田彦命)を深く信仰し、毎月二十四日に大勢連れだって白川まで参詣してにぎわった。何分遠路なので一日かかりとなって差し支えるので、遂に猿田彦命の分霊を佐日江に勧請したと言われる。
 猿田彦神社に当時の面影を残している。
 明治二十八年、九年頃、この入江を埋め立て、市街地として整備された。


お祭り

  9月 16日 例祭

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