須佐之男尊神社(関目神社) 
大阪市城東区成育5-15-20 mapfan


鳥居

交通
地下鉄谷町線関目高殿 南西300m



祭神
須佐之男尊
摂社 毘沙門天王社「毘沙門天王」


拝殿

由緒
 昔の地名は榎並村字宮浦。河内湖沿岸であったのだろう。

 当地の氏神様である関目神社は、天正八年、豊臣秀吉が大阪築城の際、防備の一策として関 目より古市森小路の間十余町の道路を特に屈折させて(俗に七曲がりという)敵兵の進軍を俯瞰 し、その軍容兵数を察知するのに便利なようにした。これと同時に北の護りとして武神の須佐之男尊を祀り、崇敬すると共に、浪速の鬼門に当るので、鬼門鎮護の神として、毘沙天王を勧請して小祠を建立したことに始まる。



本殿

お姿
 社殿は南向き。大きい木が所々にたっている。本殿の西側は榎木と思われる。
 境内に「関目発祥之地」の碑と、「明治天皇御駐輦之趾」がある。

関目発祥之地」の碑文

 関目発祥の由来
 この地はもと関目といい、古くは榎並荘<11世紀以前>からあったもので関目というのはこの地に見張所(眼で見る関所)があったことから起こったと言われる。
 また関目の七曲がりとして大阪城<大坂城>の防備に役だったという重要な地であった。
 なおまた明治天皇御駐輦の地として親しまれてきた。<該当の地に置けなくなったので、神社に移した。>
 昭和五十三年十二月吉日



毘沙門天王社


お祭り
 7月 21、22日 夏季大祭   10月 21、22日 秋祭



「明治天皇御駐輦之趾」

『平成祭礼データ』由緒書


 当地の氏神様である関目神社は、天正八年、豊臣秀吉が大阪築城の際、防備の一策として関目より古市・森小路の間十余町の道路を特に屈折させて(俗に七曲がりという)敵兵の進軍を俯瞰し、その軍容兵数を察知するのに便利なようにした。これと同時に北の護りとして武神の須佐之男尊を祀り、崇敬すると共に、浪速の鬼門に当るので、鬼門鎮護の神として、毘沙門天王を勧請して小祠を建立したことに創まり、明治五年村社に列せられ須佐之男尊神社と称した。 以上  

 
以上



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