黒龍・天龍・白龍大神
大阪市西成区山王 1〜3

黒龍大神の由来について(黒龍大神前の掲示)

 東に天王寺台地が広がり、南に聖天山があり、高地に囲まれたこのあたりの低地に明治末期頃まで大池があり大蛇が住みつき付近の住民より池の主としてあがめられていたという。そこで地元民が池の回りに大蛇を守護神として黒龍、白龍、天龍の大神として三つの祠を建て住民の信仰も厚かった。その信仰のお陰で山王町は戦災にあうこともなく大きな災いがないという。黒龍さん々々と親しまれ参詣者絶えず。

 黒龍大神の東北約10米上がったところに「かみやまとはし」と刻まれた高さ約1米の標示石があるが池から流れる小川に架橋されたもので相当大きな池であったことが裏付けされる。
 黒龍大神の中に阿倍野水の石碑があり、池の近くの住民の生活水として利用されていたものと思われる。
 地元では黒龍講をつくり毎月18日を月例祭として10月18日を大祭日として護摩を炊き供養を盛大に行っている。
              黒龍大神保存会

神奈備の注 「かみやまとはし」の石碑は境内隣接地に移転されている。「黒龍大神の中に」阿倍野水の石碑云々とは、境内にあるとの意味である。
 黒龍大神の場所はあまり移動していないようだが、天龍大神、白龍大神はそれぞれ山王丁目、3丁目と遷座しているようだ。

黒龍大神
 
mapion山王1


全景


石柱


阿倍野水の碑    かみやまとばし碑


天龍大神
 
mapion山王2


全景





石碑と祠   アベノハルカスまで500米
   

白龍大神
 
mapion山王3 飛田会館前庭


全景





扁額
  

飛田遊郭の名残
  

飛田遊郭について

 難波新地と言う遊郭街が今の法善寺横町付近にあったが、大正七年(1918)に火災があり、焼失。
 その代替として、山王三丁目に飛田新地が作られ、翌年開業した。素早い。
 戦後の1958年(昭和33年)に売春防止法が施行されて、飛田遊郭は「飛田料理組合」と看板を入れ替えて、仲居さんと客の自由恋愛の形となって、存続してきた。
 この近辺で飛田会館や料理屋街の写真を撮っていると、料理屋の女将さんが、「このあたりは撮影禁止で、男衆に見つかるとまずいからやめておきなさい。」と忠告してくれた。

 橋下大阪市長が「従軍慰安婦」についての厳しい指摘の後に、ここの顧問弁護士であったことがあげつらわれていた。

山王地域の地図と各龍大神

大阪府神社一覧
神奈備にようこそに戻る。
inserted by FC2 system