富松神社
兵庫県尼崎市富松町2-23-1its-mo

鳥居

交通

阪急武庫之荘駅 東北 1000m



祭神

須佐男命 配祀 應神天皇

摂社
愛宕社「火之加具土神」
熊野社「熊野権現」
皇大神宮社
白山社「白山権現」
金刀比羅社「大己貴命」
天神社「菅原朝臣道真公」
厳島社「弁財天さん」



拝殿

由緒

 創祀は古く、天平五年(733)に聖武天皇の勅願によって僧行基が、猪名野笹原を開耕した折り、二十三ヶ坊の堂塔を造営したが、その内の一坊が当社であった。素盞嗚尊と薬師仏をお祀りし、神仏混淆の形を持つ。

 現在の社殿は昭和四十一年に新造されたもので、この覆殿内にある春日造りの県指定重要文化財の本殿は、桃山時代の余風をとどめる。



本殿

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お姿

 本殿周辺は特に鬱蒼として、覆殿すらなかなか見えない。 本殿は春日造と云う。これは当社がは富松庄と言う藤原摂関一条家荘園の鎮守だあったことにより、春日大社の末社であった。戦国時代には一切が灰燼に帰したが、寛永十三年(1636)に再建され、その後数回の修理を経て今日に至っている。組物(三っ斗組)、蟇股などは極彩色で、壁には絵画が描かれており、華麗な桃山時代の名残がある。

 平日の参詣であったがご近所の方であろう参拝者がひっきりなしに訪れていた。



熊野三所権現


お祭り
10月10日 例祭
 

参考 兵庫県神社誌

 平成祭礼データから 

 社傳で云う抑々当神社御鎮座は天平年間(約千二百年前)聖武天皇勅願により僧行基猪名野笹原を開耕し北は鴻池五通の辻、東は伊丹坂、西は武庫川、南は富松笠の池に至る拡大な地域を開き七堂伽藍二十三ケ坊の堂塔を造営し各所に集落を作り庶民の福祉に意をつくし農耕を指導し民生安定につくされた。当神社の聖地も当時二十三坊の一つにして祓所として、素盞嗚尊、薬師仏を祀り(本地垂迹説)厄災除祈願所として、亦御願成就、祈祷祭祀の中心地として重きをなして居ったのであります。

 平安期に荘園制度が確立してより集落は藤原摂関家荘園富松庄として春日皇大神を祀りその鎮守でありました。その後戦国の乱等数度の兵火に罹り社殿、堂塔等悉く烏有に帰し往昔の面影は止めませんが聖地の現況と樹木等により昔時が偲ばれます。先年境内整備の際、堂塔基壇石、中国渡来の宗戔等が発掘せられましたが、それ等より考察しますと概ね確実の様に思われます。

 下って徳川時代に至り尼崎藩主松平遠江守御大守公厄災除祈願所として殺生禁断の地で特別の庇護を受け盛況を誇ったのであります。明治の廃藩により、当神社並に境域は内務省主管地として国に移管せられ立花村、川辺郡、兵庫県より年々祭祀料の奉幣があり当地東富松区に於ては氏神社として年々維持経費の奉幣があり亦社有田地もあって神社の基礎は確立して居ったのでありますが戦後世情の変化により神社の基盤はこわれましたが昭和四十一年境内整備と社殿造営の第一期工事を完了し目下第二期工事を目論見中であります。現在伊勢神宮を本宗とする神社本庁に所属、宗教法人富松神社として現在に至って居ります。
  以上

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