天水分豊浦命神社
大阪市住之江区安立2丁目55mapfan



旧跡の碑

交通

阪堺線安立駅 南西300m



祭神
天水分神

由緒

 『住吉大社神代記』の子神の条に天水分豊浦命神の名が見える。古来よりの鎮座の神である。式内社である。明治四年住吉大社から独立、明治四十年に止止呂支比売命神社に遷座、境内末社となっている。

 旧跡碑の建っている場所は、あられ松原神社となり、金高大明神、荒神、稲荷社の祠が並んでいる。この公園にも大きい楠木があり、古社跡のおもかげを残している。



霰松原神社



公園の楠

霰松原について

 霰松原の名は『万葉集』(巻一)天武天皇の第四皇子である長皇子の”霰打つ あられ松原 住吉(スミノエ)の  弟日娘と 見れど飽かぬかも”の歌などでよく知られています。
 この地は、奈良、平安時代は海に沿った堺まで続く松原で、白い砂と松の緑は四季を通じてすばらしい景観をみせ、多くの人々が訪れ、大阪と河内南部や紀州方面を結ぶ街道としても重要で、「岸辺の道」、室町後期からは”紀州街道」と呼ばれていました。以下省略

止止呂支比売命神社の境内に
鎮座する霰松原荒神社



 天水分豊浦の命神社のこと
 祭神 天水分神、澳津彦神、澳津姫神(以上三宝荒神)、大國主命、事代主命
 由緒 古きより住之江区安立町に鎮座。明治四十二年、若松宮内の遷座、現在に至る。三宝荒神さんは、人間生活に一番大切な、かまど神として朝廷においても大炊寮内膳に奉斎し、厨房内の安全を祈願していた。



霰松原荒神社





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