産土神社
大阪市此花区島屋3-13-28 its-mo



鳥居


交通

市バス 島屋 西へ50m


 
祭神

住吉大神、天照皇大神、宇迦之御魂神
 合祀 住吉大神、天照皇大神、宇迦之御魂神


摂社
稲荷神社
祖霊社
斎火産霊大神
古楠根
事平社



拝殿

由緒(大阪府全志)

  宝暦一二年(1762)開発者島屋市兵衛の勧請なり。明治五年村社に列し、同四十四年五月十日恩貴島北之町字北方の村社皇太神宮「天照皇大神、住吉大神、宇迦之御魂神」を合祀し、大正四年十一月神餞幣帛供進社に指定せらる。合祀されたる皇太神宮は、元禄十年(1697)間大宮仁左衛門の沖島新田開拓の際に勧請せしものなり。
 境内は弐百弐拾五坪にして、本殿・幣殿・拝殿・絵馬所・社務所を存す。

境内啓示の由緒
  創  始;人皇百十五代桃園天皇御宇宝暦十二年壬午年(1762)

 宝暦年間、大阪の人、島屋こと浅田市兵衛が此の地の開墾を企て、住民の福祉と土地の繁栄を 祈願して、皇祖 天照皇大神、海波の守護神清祓神の住吉大神、五穀豊穣神の宇迦之御魂神 の三柱神を夫々本宮より奉請正連寺川南岸の一角(北港大橋南西詰)に社殿を営み、当地方の 鎮守神として奉斎したのが当社の創祀であります。
 明治四十四年八月七日、旧恩貴島北之町恩貴島橋北東詰(現伝法六丁目)に鎮座の皇大 神社を当社に合祀す。当神社は元禄十五年(1702)大宮仁左衛門が恩貴島新田を開拓するに 当たり同三柱神を奉祀したものである。大正四年(1915)十一月十日には大阪市より神饌幣料 供進社に指定され、昭和九年(1934)には室戸台風の災禍を蒙るも、昭和十三年(1938)七 月十六日、現斎地に鎌倉時代の遺縄に則り荘厳なる社殿を造営し遷宮される。昔日、大戦の戦 災被爆にも厳然として荘容を保ち、再三の風水害の被害には常に時の氏子崇敬者の奉賛に依って その都度営繕し後造営当初の壮容を保持し、其の神威も赫赫と満ち今日にいたる。累代の氏子一貫して当地方安寧融和の指針として本神社を守り抜いた神威の尊厳と氏子の民風敦厚なるを 知る証左である事を知る。而して今や住民の心の拠り所として、且つ、大工業地帯の守護神として 益々御神徳は崇敬され又神奈備の神の森の茂りと共に此花区の名所の一つに挙げられ常に野鳥 の群れ飛び来たり住民の丹心の宮城となり心のやすまる杜となっておりましたが、平成十年当神社現 斎地御遷座六十一年ならびに御創建二百三十年奉祝記念事業として氏子崇敬者・関係各位の 御協賛を仰ぎ御本殿・拝殿の御屋根銅版葺き替え工事を致しました。次いで平成十一年には桜 島守口線道路拡張工事の為、やむなく境内地の一部を大阪市に譲渡することとなり、境内整備事 業と致しまして、御本殿・拝殿を南へ約四メートル移設し、末社・手水舎・制札の移設に御屋根葺 き替え工事を始め神器庫(太鼓蔵)・社務所の新築工事に玉垣新設等平成十三年二月に完工し 、四月春大祭に併せて奉告祭を斎行申し上げました。
  さて、当此花区は古くよりわが国重工業の発祥の地として働く場として、わが国産業の発展に貢献 し、日本の経済に、又世界経済の興隆に寄与して参りました地域であり。かっては多くの船が造られ 世界の七洋の海に船出し活躍してきたところであります。大阪の一番西でありますが、今にては産業・ 経済・流通・文化交流の基盤として湾岸道路の開通、スポーツランド夢洲、埋立中の咲洲と愈々に 招来の発展が期待される所であり、(昨年)三月三十一日よりハリウッド映画のテーマパークのユニバ ーサル・スタジオ・ジャパンの開業が始まり、毎日日本中はもとより世界各地から多くの人々が訪れ、 楽しい一日を過ごされ盛況を博しており、此花といえば大阪、此花といえば日本と広く知れ渡る事と なりました。
  今後は鎮守の森の復興に努力いたし、信仰の場として神奈備の神鎮まりますお社として形成してま いります。
  (平成十四年吉日)
 


本殿


お姿

 会館が社殿の前にはみ出しており、おかしい配置だとおもったら、敷地の一部を道路用に提供しているそうだ。



社殿


お祭り
 
   10月 16日  例大祭  

摂社 稲荷神社        祖霊社


摂社  斎火産霊大神         古楠根
 

摂社 事平社 

平成祭CD 産土神社社記概要

由緒
 宝暦年間、大阪の人島屋こと浅田市兵衛氏が此地の開墾を企て、住民の福祉と繁栄を祈願し、皇祖天照皇大神、海波の守護神・清祓の神住吉大神、五穀豊穣の神宇迦之御魂神の三柱神を夫々本宮より奉請。正蓮寺川南岸の一角(北港大橋際)に社殿を営み当地方の鎮守神と奉斎したのが当社の創祀であります。
 明治四十四年八月七日、旧恩貴島北之町(現在伝法六丁目)恩貴島橋北詰に鎮座の皇太神社を当社に合祀す。同神社は元禄十五年(西暦一七〇二年)、大宮仁左衛門氏が恩貴島新田を開拓するに当たり、同三柱神を奉祀したものである。
 大正四年十一月十日、大阪市より神饌幣帛料を供進し得べき神社と指定される。
 昭和九年秋、室戸台風の災禍を蒙ふり、昭和十三年七月十六日、現斎地に鎌倉時代の遺縄に則り壮麗なる社殿を造営し遷宮される。
 昔日大戦の戦災被爆には厳然として社容を保ち再三の風水害の被害には常に時の氏子崇敬者の奉賛に依って、その都度営繕し、御造営当初の壮容を保持し、其の御神威も赫々と満ち今日に至る。累代の氏子一貫して当地方安寧融和の指針として本神社を守りぬいた神威の尊厳と氏子の民風の敦厚なるを知る證査である事を知る。
 而して、今や住民の心の拠所として且大工業地帯の守護神として益々御神徳は崇敬され又神奈備の神の森の茂りと共に此花区の名所の一に挙げられ常に野鳥の群れ飛び来り丹心の宮城となり心のやすまる杜となっている。 
 以上
 

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