勝占神社 かつら
阿波 勝浦 徳島市勝占町中山26 ゼンリン

鳥居

交通
JR牟岐線 地蔵橋駅 南へ1km

祭神
大己貴命

由緒
 古くは杉尾大明神と呼ばれていた。祭神も素盞嗚尊との説もあった。
 徳島には杉尾神社が17座見いだされる。これらの祭神は当社と同じく大己貴命が多いが、中には天石戸別八倉比売神(二座)、天水沼間彦命と天水賽姫命とする神社もある。

 源義経が嵐の中の船出で、この辺りに到着している伝承がある。やや南の熊山城を攻略し、この神社で戦勝を報告し、弓と矢尻を献じている。その後、勢見[せいみ]山に軍を集結させたと言う。 この勢見山からびんがき山、はずかし峠を通り、東海寺からからあづり越えがなされる。元歴二年(1185年)の事である。
 平家物語の巻第十一に一逆櫨の事があり、難波の渡邊の津にて梶原影時との言葉のやりとりで恨みをかう事になり、後に影時の讒言で身を滅ぼす事になるのだが、200隻の軍船の内5隻が義経に続いて、嵐の中へ船出をしていった。次の二勝浦合戦の事で、この辺に到着し、勝浦と言う名に喜び、三大阪越えの事で、いよいよ屋島へ急襲をかける。

 この地域は海部族(安曇族)が勢力を占めた地域である。5世紀に入ってから古墳が作りはじめられた。 いわゆる河内王朝の頃に淡路島の背景地として重要視されたのであろう。

たたずまい
 数十メートルの高さの山腹に鎮座、赤土の土壌である。かっては、海に突き出ていた中山の東の端に当たる。

拝殿

社殿


お祭り
 7月 9日 1日間 夏季大祭
 10月 9日 秋季大祭

日本の神々2(白水社)


延喜式神名帳 阿波

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