足長神社
諏訪市四賀足長山5386  googlemap



石段と鳥居


交通

JR上諏訪駅 南東3km



祭神

脚摩乳命


由緒
 足長の神は始めは手長の神と共に当社に祭られていたが、手長神は下桑原郷に分祭された。
 萩を以て社宇の屋上を葺いたことから萩の宮とも呼ばれたと言う。 また『社記』の由緒の項に、「大同年間(1238〜)諏訪神社大祝有員(大社大祝の始祖)が当社を崇敬し、広大な社殿を建築して自らも近接地に居住したため、その地を御曽儀平と呼んだ。

 『日本書紀』(神武即位前紀)に「又高尾張邑に、土蜘蛛あり。其の為人、身短くして手足長し、侏儒と相似たり。」とあるが、まつろわぬ先住民の神々の祝人を、八掬脛などのイメージでとらえたのであろう。長髄彦や荒脛巾にも通じそうだ。

 口頭伝承によれば、足長神は手長神を背負って諏訪湖で貝や魚をとったといい、また大きな長い草鞋を奉納すれば足長神が旅の安全を守ってくれると言う。

 京都御所の清涼殿の東北の隅に、恐ろしい手長・足長の絵が描かれている荒海の障子がある。鬼門除けとして描かれたのであろう。


更に登る


拝殿
拝殿は天保十三年(1842)大隅流の大工矢崎専司らに
よって建造された。桁行一間、梁間二間、五棟造で三方に
切目縁をまわし、擬宝珠高欄をつける。
木鼻に唐獅子、欄間に竜・鷹・鶴・脇障子に麒麟・鳳凰、
内部扉の両脇羽目に竜、その他各所に彫刻がついている。


『山海経』海外西経 長股国の人


 

お姿 

 社域の土壌は赤土であった。山裾の湿地帯で葦などが育ち、根元に褐鉄鉱のスズが出来ていたのかも知れない。

 登り、登り、また登ると狭い庭があり、拝殿前に出る。


お祭り

  例祭 11月 23日

中部、北陸 神社一覧
神奈備にようこそ
inserted by FC2 system