宇良神社(浦島神社)
京都府与謝郡伊根町本庄浜191 mapfan

鳥居と拝殿

交通案内
178号線バス浦島神社前下車


祭神
浦嶋子 配祀 月讀命、祓戸大神


摂社
天照皇大神社、八幡神社、市杵島姫神社、弁財天神社、稲荷神社

本殿


由緒

 宇良神社とは延喜式神名帳での名前。専ら浦島神社、浦島大明神などと呼ばれる。

 浦島伝説は海から寄り付く神の居る所で語られるのであろうが、丹後半島の西側の網野でも住吉の水の江の島子として『万葉集』などに記載されている。

 筒川の浦島伝説は『日本書紀』雄略紀に記載がある。
 丹波国の余社郡の菅川の人瑞江宇良島子、舟に乗りて釣す。大亀を得たり。便に女に化為る。是に浦島子、感りて婦にす。相遂ひて海に入る。蓬莱山に到りて仙衆を歴り覩る。」とある。
 『丹後国風土記』にも同様の話が詳細に載っている。筒川の嶼子は仙都で亀比売の夫として三年の歳月を過ごし、帰ると三百年の月日が経っている。

 浦島子は宇宙旅行をしたのではないかと誰しもが思う。先ず約300年で往復できる星が竜宮城であること。ここに昴星(すばる)の人間、畢星(あめふらし)の人間が出てくる。それぞれ、古代日本に知られていた星団で、昴星はご存じのスバル、即ちプレアデス星団、地球からの距離は410光年、畢星はヒアデス星団、同じく130光年、で、この方向の68光年の距離の所にアルデバランがあります。加速時間減速時間を入れますと、往復約300年の宇宙旅行です。これらの星は牡牛座。また竜宮城の乙姫様は亀比売の名前で、亀の形の空飛ぶ円盤ではないかとのお話がのっています。

 相対性理論では光の速度に近い速度で動く物体は時間の経過が遅くなるとされる。遅さの度合いはローレンツの変換式で計算できる。Vは物体の速度、Cは光の速度。
 時間の短縮率=@SQRT(1−V**2/C**2)
 300年が3年に縮むのは、光の速度の99.995%と言う限りなく光に近いスピードで宇宙旅行を行ったと言うこと。ここまでの加速のエネルギーはもの凄い量ですから、具体的な方法は現在の地球の知識では推測すら不可能と思います。
 光のスピードの半分では浦島太郎は260年を生きなければ、生きて地球には戻れません。駄目。99.5%で約30年。

本殿


お姿
   筒川が日本海に流れ込む河口から少し登った場所に鎮座している。かっては満潮時社地近くまで波が来たとされるが、オ-バーな話のように思える。

 清々しい雰囲気の神社。社頭に松前船の模型も陳列されており、各地との航海が緊密であったことを物語っている。

北前船

 


お祭り
  8月 6日〜7日 例祭

『平成祭礼データ』

 浦嶋神社は延喜式神名帳所載によると『宇良神社』と記されている。創祀年代は淳和天皇の天長二年(八二五)浦嶋子を筒川大明神として祀る。浦嶋子は日下部首等の祖先に当り日下部については『新撰姓氏録』の和泉皇別の条に「日下部、日下部宿禰同祖、彦坐命之後也」とみえる。彦坐命は開化天皇の後裔氏族である。その大祖は月讀命の子孫で当地の領主である。浦嶋子は人皇二十一代雄略天皇の御宇二十二年(四七八)七月七日に美婦に誘われ常世の国に行き、その後三百有余年を経て五十三代淳和天皇の天長二年(八二五)に帰って来た。常世の国に住んでいた年数は三百四十七年間で淳和天皇はこの話を聞いて浦嶋子を筒川大明神と名付け小野篁は勅使として、勅宣をのべたうえ小野篁は勅命をうけたまわって宮殿を御造営し、ここに筒川大明神が鎮座されたのである。

 この神社に伝わる浦嶋物語は起源が最も古く、すでに八世紀にできた丹後風土記・日本書記・万葉集などに記載されている。このような浦嶋子の伝説は、その後長く伝えられ『本朝神仙伝』や『扶桑略記』の雄略天皇記等、平安時代の文献にも収められている。又、この神社に伝わるものとして『浦嶋子口伝記』『續浦嶋子伝記』があり『續浦嶋子伝記』の巻首には「承平二年(九三二)壬辰四月廿二日甲戌、於勘解由曹局江之、坂上家高明耳」伝記と漢詞との間に「干時延喜二十年庚辰臈一作八月朔日也」、巻末に、「永仁二年甲午八月廿四日、於丹州筒河庄福田村宝蓮寺如法道場、依難背芳命、不顧筆跡狼藉、馳紫毫了、」とある。これは、延喜二十年(九二〇)の制作で、承平二年(九三二)に注を付したこと、さらに、永仁二年(一二九四)に浦嶋子物語の発祥の地丹後国筒河庄の福田村にある宝蓮寺如法道場で書写した本が底本に用いられていることが判る。この永仁二年書写本は現存している。これらの古伝説は近世のお伽草紙の浦嶋太郎の物語とは様相を異にしている。又、古代より浦嶋神社に対して崇敬の念は厚く誠に顕著なものがある。
以上
 

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