宇倍神社
鳥取市県大字宮下651 ゼンリン地図


一の鳥居  二の鳥居

交通

JR山陰線鳥取駅 バス中河原線 宮の下神社前



祭神

武内宿禰命
彦多都彦命(因幡国造の祖、彦坐王の子 神祇史料)
武牟口命(伊福部氏の先祖 姓氏家系大辞典)


五円紙幣   双履石


由緒

 因幡の国の一宮・法美郡の延喜式名神大社。
 『因幡国風土記逸文』に、「難波の高津宮に天の下を治めなされた五十五年春三月、大臣武内宿禰は、御年三百六十余歳で当国に御下向あり、亀金の双の履を残して御陰所知れずになった。聞く所によると、因幡の国法美の郡の宇倍山の麓に神の社があり、これを宇倍社という。これは武内宿禰のみ霊である。昔、武内宿禰は、東方の夷を平らげて、宇倍山に入った後、終わる所を知らずと言う。」とある。(『万葉緯』所引「武内伝」)
 これにより、祭神を武内宿禰としているが、この逸文は鎌倉期以前には遡らないようである。
 宮司家伊福部氏は明治維新後宮司の世襲を断ち、北海道に移住、著名な音楽家(伊福部昭氏)を輩出する非凡な家系であった。『日本の神々』で川上廸彦氏は、真の祭神は伊福部氏の祖の武牟口命とされている。八頭郡にも式内社の多加牟久神社も武牟口命にかかわるとされる。

 在原行平は業平の兄であり、百人一首に次の歌を残している。
 立ち別れ 因幡の山の 峰に生ふる 松としきかば 今かへり来む

 明治になってからの紙幣の一円・五円冊には、武内宿禰の顔と当社の社殿がその模様として描かれている。


拝殿と橘


お姿

 稲葉山の西南麓に鎮座。境内一帯は祭祀遺跡である。また植生も実に豊であり、樫・椿などが繁茂している。社殿の前には右近の橘、左近の桜が植えられている。
 本殿右横に武内宿禰の終焉の地の石碑があり、そこから亀金山に階段を登ると武内宿禰の残した双履石がある。磐境信仰がルーツであった古社を思わせる。
 手水舎に流れている水は稲葉山中腹からわき出ている清水で、「七宝水」とか「延命水」と呼ばれている。

 本殿は明治三一年再興。三間社流造。社殿は紙幣に描かれた。


本殿


お祭り

  4月 21月  例祭



参考 『日本の神々』、『式内社調査報告』、『平成データCD』

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