對馬:29座 大6小23


上縣郡[カンツアカタ]:16座大2小14

和多都美神社[ワタツミ](名神大)
和多都美神社[わたづみ]「彦火火出見尊、豐玉姫命」社前の渚に[磯良エベス]と称する霊石の原初の神体がある。磯良のことを磯武良と記す場合もある。イソノタケルと訓めば、ナギサタケと同義となる。
長崎県下県郡豊玉町大字仁位字和宮55番地 玄松子の記憶

海神神社[わたづみ]「豐玉姫命 配 彦火火出見命、宗像神、道主貴神、草葺不合命」
(対馬一宮、元国幣中社、海神神社略記
主神豊玉姫命は、神武天皇の祖母神で、鵜茅葺不合命の母神、彦火火出見命の后神に 坐して、父君は海神豊玉彦命であり、魚族、海草の藩植海潮の満干船舶の往来等大海 に関する一切を主宰し給う神であると共に安産の神でもあらせ給う。御本殿に御鎮座 の5柱の神々は、皆神代に於ける皇室の御祖先の神々であらせられます。 当地御鎮祭の年代は、古代の事とて詳ではないが、旧記に依れば初め上県郡佐護に出 現し給い。更に勅命を以て伊奈郷伊奈崎の宮に移し奉れ、どこの宮も清水無きため現 在の木坂伊豆山に遷座し給うと伝う。
神功皇后の三韓征伐の時は、己に此の伊豆山に鎮座し給へりと伝う。当社は延喜式に 「対馬の国の一宮」に坐します。
尚、当社は西北に満韓を控え、内外咽喉の地に在り、皇国鎮護の海神として歴代天皇 の崇敬厚く、国家の大事ある毎に勅使参考祭祀奉幣あり。尚又藩政時代に於いても、 藩主の崇敬篤く、島内各村に神事所役を命ぜられた程なり。神功皇后三韓征伐の際は 海上にて数々大神を奉祭され、其の御加護により、刃に血ぬらずして三韓を降し得た りと御凱旋の折は特に当地御前の浜で懇に報賽の祭事を行はせられ、8旒の御旗を遣 し給い、朕の魂も御旗と共に永く留め置き、海神とともに永く皇国鎮護に当らんと告 げ給へりとぞ。爾来当社を和多津美神と奉称すると共に木坂八幡宮とも奉称するに至 れり。
この8旒の旗風は、彼の三韓を吹き靡かせしものなれば、此御旗の当社に納まれる事 を伝へ聞きたる三韓国王等は数々当社に幣物珍寳を奉献して威霊を敬拝せり。斯る神 代よりの尊厳無比の古社なれば、其の御造営の如きも昔時は勅命により太宰府所収上 県郡6カ年間の貢租を以てこれに充て、藩政に至っては藩費を以て30年乃至40年 目毎には必ず造営せらるるを例とされたり。
大政奉還後、明治3年「和多都美神社」と定号され、又明治4年5月国幣中社に列せ られ、神社の経費はすべて国費をもって支弁されることになり、同年6月太政官より 「海神神社」と定称せらる。昭和20年大東亜戦終戦と共に、国幣は中止され今日に 及べり。

御本社の境致
神社は対馬の首都厳原を距る約40キロ、上県郡峰村木坂、伊豆山の中腹約280段 の石段を上りたる所に在り。対馬の中部西海岸に面す樫、椎、槻の大木鬱蒼として、 千古の林層をなし、山上常に雲気を帯ぶと、社頭を僅に下れば眼界俄に開け、対馬西 海の風光一眸の下に集まる。飛崎の鼻は眼下西北方に突き出し、怒涛澎湃として飛沫 の花を散らし、渺茫たる朝鮮海峡を隔てて煙波模糊の間に古三韓の山々を望むことを 得而して夕照と相映発するに至っては蓋し地上の絶勝と云うべし。

長崎県上県郡峯町大字木坂字伊豆山タガイノロ247番地 海神神社(かいじんじんじゃ) 玄松子

嶋大國魂神社[シマオホクタマ]
島大国魂御子神社[しまおおくにたまみこ]「大己貴尊」長崎県上県郡上県町大字佐須奈字日吉乙170番地 玄松子の記憶
島大国魂神社[しまおおくにたま]「素盞男命」長崎県上県郡上対馬町大字豊字シレイ409番地 那祖師神社に合祀されている。 玄松子の記憶
国本神社[くにもと]「天之佐手依姫命」 長崎県上県郡上県町大字瀬田1番地(御嶽) 玄松子の記憶

能理刀神社[ノリト]
能理刀神社[のりと]「宇麻志麻治命、天兒屋根命、雷大臣命」長崎県上県郡上対馬町大字西泊字横道218番地 玄松子の記憶

天諸羽命神社[・・モロハノ]

 志多良神は「しだ」(うらじろ)の神か 志賀剛氏  式内社のしおり
 諸羽は諸葉で「しだ」である。志多羅神は三台の御輿に乗り、河辺郡(伊丹市)から豊島郡(池田市)、つづいて西国街道を島下郡(茨城市)へと民衆の群が膨れ上がりながら、進んで行ったのです。いつの間にか御輿は六台に増えていました。一台の御輿には自在天の掲額、もう一台には宇佐八幡大菩薩とありました。山崎の渡しから石清水八幡宮へと押しかけたのです。
 『梁塵秘抄口伝集』には、続いて志多羅神のことが書かれています。  長和元年(1012)に設楽神が自ら九州から上ってきて船岡山に到着、しかしそこには先に疫神がいたので、社殿は造らなかったが、とにかくお祀りしたとのこと。
天諸羽神社[あまのもろは]「天兒屋根命、天太玉命」長崎県上県郡上県町大字佐護字春日原120番地1 玄松子の記憶
天諸羽神社「宇麻志麻治命」長崎県上県郡上県町大字佐護北里793番地1 玄松子の記憶
天諸羽神社「天兒屋根命、天太玉命、雷大臣命」長崎県上県郡峯町大字吉田941番地 玄松子の記憶

天神多久頭多麻命神社[アマノタクツタマ・]
天神多久頭魂神社[てんじんたくずたま]「多久頭魂命」雄嶽雌嶽を持つ天道山に鎮座、社はない。山麓の海辺に磐境形式の祭場がある。 長崎県上県郡上対馬町大字佐護字洲崎西里286番地 玄松子の記憶

宇努刀神社[ウトト]
八幡宮神社境内摂社宇努刀神社[うのと]「須佐男命」長崎県下県郡厳原町大字中村清水山645番地(清水山) 厳原(いずはら)八幡宮神社 玄松子の記憶

小枚宿祢命神社[オヒラノ・・]
小牧宿禰神社[おひらすくね]「建比良鳥命」長崎県上県郡峯町大字三根字寺の内959番地 玄松子の記憶

加美乃金子神社[ナスカミノ・・]
那須加美乃金子神社[なすかみのかねこ]「大屋彦神、大己貴命」大屋彦神は五十猛命である。長崎県上県郡上対馬町大字小鹿字大浜520番地 玄松子の記憶
那須加美乃金子神社「須佐之男命」長崎県上県郡峯町大字志多賀字中原290番地 玄松子の記憶

伊奈久比神社[イナクヒ]
伊奈久比神社[いなくひ]「大歳神」対馬での稲作の起源説話を持つ神社である。白鶴稲穂をこの沢に落とし、たちまち大歳神となる。長崎県上県郡上県町大字伊奈字元在家330番地 玄松子の記憶

行相神社[ユキアヒ]
行相神社[ゆきあい]「皇孫命、大己貴命」長崎県下県郡豊玉町大字田字船倉1058番地 玄松子の記憶
志多留能理刀神社[したるのりと]「雷大臣尊」長崎県上県郡上県町大字伊奈字向原381 玄松子の記憶 玄松子さんの調査によれば林と茂みの中に埋もれるように存在しているとの事です。

和多都美御子神社[ワタツミミコ](名神大)
和多都美御子神社[わたつみみこ]「彦波瀲武草葺不合尊、神武天皇、應神天皇、菅原道眞」長崎県下県郡豊玉町大字仁位字桜町1416番地 玄松子の記憶
和多都美神社 次の式内胡禄神社に掲載
胡禄神社[ころく] 「表津少童命、中津少童命、底津少童命、太田命」長崎県上県郡上対馬町大字琴1番地 玄松子の記憶
海神神社 式内和多都美神社に掲載済み

胡禄神社[コロク]
胡禄神社[ころく]「表津少童命、中津少童命、底津少童命、太田命」長崎県上県郡上対馬町大字琴1番地 玄松子の記憶

胡禄御子神社[コロクノミコ]
胡禄御子神社[ころくみこ]「表筒男命、中筒男命、底筒男命、磯武良」長崎県上県郡上対馬町大字琴字琴の浦3番地 玄松子の記憶
能理刀神社[のりと]「天兒屋根命、天太玉命、雷大臣命、海祇神」長崎県上県郡上対馬町大字芦見字スダリ274番地 玄松子の記憶
海神神社 式内和多都美神社に掲載済み

嶋大國魂神御子神社[シマオホクタマノミコ]
島大国魂御子神社[しまおおくにたまみこ]「大己貴尊」長崎県上県郡上県町大字佐須奈字日吉乙170番地 玄松子の記憶
島御子神社[しまみこ]「大國主神、八上姫命」長崎県下県郡豊玉町大字曽蔭佐所11番地 玄松子の記憶
國本神社[くにもと]「天之佐手依姫命」長崎県上県郡上県町大字瀬田字宮原1番地 玄松子の記憶

大嶋神社[オホシマ]
和多都美神社 式内和多都美神社に掲載済み
権現島 長崎県下県郡豊玉町大字仁位字東ノ浜 玄松子の記憶 玄松子さんの調査によれば、現在「島」ではなく、森になっているが特定できないとの事です。
元嶋神社[もとしま]「素盞烏尊」長崎県下県郡豊玉町大字唐洲647番地(妙見) 玄松子の記憶
島大国魂神社「素盞男命」長崎県上県郡上対馬町大字豊字シレイ409番地 玄松子の記憶 島大国魂神社は、漁港から、海岸の岩場を1km近く辿った所に丘(白水山)があり、その上に祀られているそうです、が、現在はないそうです。 行ってみましたが、海岸に石碑があり、その先は「不通浜(とおらずのはま)」で、禁域になっており、丘には登れません。玄松子さんの情報

波良波神社[ハラハ]
和多都美神社境内摂社波良波神社「?」長崎県下県郡豊玉町大字仁位字和宮55番地 玄松子の記憶
和多都美御子神社摂社浜殿神社[はまどの]「豐玉彦尊」長崎県下県郡豊玉町大字仁位字清源寺原1718番地 玄松子の記憶


下縣郡[シモアカタ]:13座大4小9

高御魂神社[タカミタマ](名神大)
高御魂神社[たかみむすび]「高皇産靈尊」神体がうつほ船に乗って漂着した霊石であるとの伝承がある。皇祖の高皇産霊神と同一神である。 長崎県下県郡厳原町大字豆酸字東神田628番地 玄松子の記憶

銀山上神社[シロカネノ]
銀山上神社[しろかね]「諸黒神、安徳天皇」対馬で銀が採取されていた。坑道がくずれ千余人死亡などの記事が見える。 長崎県下県郡厳原町大字久根田舎507番地(御所山) 玄松子の記憶
銀山神社[かなやま]「諸黒神 合 地祇神」長崎県下県郡厳原町大字樫根281番地1(在家)玄松子の記憶

雷命神社[イカツチ]
雷命神社[らいめい]「雷大臣命」長崎県下県郡厳原町阿連字久奈215番地 玄松子の記憶
雷神社[いかづち]「雷大臣命」長崎県下県郡厳原町豆酸西井坂2852 玄松子の記憶

和多都美神社[ワタツミ](名神大)
八幡宮神社「應神天皇、神功皇后、仲哀天皇、姫大神、武内宿禰」
八幡宮神社由緒記
神功皇后新羅征伐畢らせ給いて凱還の時、下県郡与良の地、今の厳原に着御清水山を 叡覧あり、此の山は神霊の止まりぬべき山なりと宣い、御行幸ありて巌上に御鏡と幣 帛を置き皇后親から天神地祇を祭り給い、永く異国の寇を守り給へと祈り給い、神籬 磐境を定め給い、「朕が霊も共に此の山に止まらんと宣い」し霊蹟なり。因って天武 天皇白鳳4年の勅により同6年此の地に宮殿を造らしめ給い、応神天皇、神功皇后、 仲哀天皇、姫大神、武内宿禰5柱の神霊を御鎮祭ありて八幡宮と称し奉る。
八幡宮と称するは皇后新羅征伐に持たせたまへる御旗8流を残し給いしによる。明治 7年6月社格郷社に列せられ、大正5年11月に県社に昇格、同年2月に神饌幣帛供 進神社に指定せらる。
明治初年に和多都美神社と称したりしを明治23年8月に訂正を許可せられ八幡宮神 社と号するに至れり。
例祭日 旧暦8月13日、旧暦8月14日、旧暦8月15日
特殊神事 神幸式、放生会
境内坪数 境内地5328坪
建築物 神殿(流造檜皮葺)、幣殿、拝殿、社務所、楼門、神庫などあり。
宝物殿(昭和53年5月より開館、一般へ公開す) 絵馬堂あり絵馬を収納す。

長崎県下県郡厳原町大字中村645番地(清水山) 玄松子の記憶
乙和多都美神社[おとわたつみ]「玉依姫命、豐姫命」長崎県下県郡厳原町大字久和字東浜1番地 玄松子の記憶

多久頭神社[タクツ]
多久頭魂神社[たづくたま]「多久頭魂神」
神武天皇詔して、天神地祇を祀らしめ給うところのお社であり、神離磐境のお社であ ります。古木巨樹鬱蒼としていて、昼もなお暗く、此の辺りの神域は古来天道信仰の 聖地として磐境の限りを八丁角と称し、今に至ってもこの神地に立ち入るを忌みて、 敢えて犯す者なく、又神功皇后三韓渡航の途次行宮を定め給いて、諸神を祀り給うと ころのお社であります。
この遥拝所は天道信仰、観音信仰と神仏習合時代の堂宇をそのまま拝殿とされていま す。承和4年4月2日従5位を奉授せられ、その後叙位あり、正4位下を授けられて います。
長崎県下県郡厳原町大字豆酘字字龍良山1250番地 玄松子の記憶

太祝詞神社[フトノトノ](名神大)
太祝詞神社[ふとのりと]「太詔戸神」対馬ト部の祭神である。太占[ふとまに]のふとが社名にある。 長崎県下県郡美津島町大字加志字京ノ原512番地 >、玄松子の記憶

阿麻氐留神社[アマテル]
阿麻氐留神社[あまてる]「天日神命」対馬には俗神[オヒデリ]がある。社がないので廃れかけた所が多いが阿連(厳原町)の里には古い祭祀が」よく残っている。 長崎県下県郡美津島町大字小船越字河岸川352番地 玄松子の記憶

住吉神社[スミヨシ](名神大)
住吉神社「彦波瀲武草葺不合尊 配 豐玉姫命、玉依姫命」長崎県下県郡美津島町大字鶏知字浜田原上ヒナタ1281番地 玄松子の記憶

和多都美神社[ワタツミ]
住吉神社脇宮の和多都美神社「和多都美神」 長崎県下県郡美津島町大字鶏知字浜田原上ヒナタ1281番地 上段掲載
和多都美神社「彦火火出見尊、豐玉姫命」長崎県下県郡豊玉町大字仁位字和宮55番地 玄松子の記憶

平神社[タヒラ]
八幡宮神社摂社平神社[ひらの]「天穗日命、日本武尊、仁徳天皇、菟道皇子」長崎県下県郡厳原町大字中村645番地(清水山) 玄松子の記憶

敷嶋神社[シキシマ]
敷島神社[しきしま]「天佐手依比女神、雷大臣命」長崎県下県郡美津島町大字加志字小河内386番地 玄松子の記憶
住吉神社に合祀「表筒男神、中筒男神、底筒男神 配 表津少童神、中津少童神、底津少童神」長崎県下県郡厳原町大字厳原東里野良353番地 玄松子の記憶

都々智神社[ツゝチ]
銀山上神社摂社都々地神社[つつじ]「建禰己己命」長崎県下県郡厳原町大字久根田舎507番地(御所山)玄松子の記憶
都々智神社[つづち]「天之狹手依比賣命、表筒男命、中筒男命、底筒男命」長崎県下県郡美津島町大字今里字郷737番地 玄松子の記憶
尾崎漁港の小さな島(大島)に都々智神社があるということで、行ってみましたが、潮が引いた時でなければ歩いて渡れません。 そこから山を越えて、反対側の海岸(郷崎)に灯台があり、そこにも神社がありそうです。資料では、「都々智神社」は「郷崎大明神」とも云うらしく、そちらが本筋であるような気がします。玄松子さんの情報

銀山神社[カナヤマ]
銀山神社「諸黒神 合 地祇神」長崎県下県郡厳原町大字樫根281番地1 玄松子の記憶
銀山上神社「諸黒神、安徳天皇」長崎県下県郡厳原町大字久根田舎507番地(御所山 玄松子の記憶





H24.1.23

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