神奈備別荘 神奈備写真付き参詣掲示板 ログ

神奈備別荘

平成十七年 一月
 投稿者の敬称は略します



題名:横野神社合祀の巽神社(河内国渋川郡邑智): 9月 30日 投稿者:いこまかんなび

 東播地域の住吉詣での写真もシツコイようなので少し休憩いたしまして、和気清麻呂水路の北、仁徳天皇13年に築造されたという「横野堤」に護られた旧河内国渋川郡の邑智(大地村=現在は大阪市生野区巽南の内環状道路東側)に鎮座し、堤近くに鎮座していた横野神社を合祀・祭祀している"巽神社"と、横野神社旧跡の写真を紹介します。
 歴史的にはあまり知られていませんので。長いですがご辛抱を。紹介のみです。

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「巽神社由緒記」-----社前の由来書より
鎮座地 大阪市生野区巽南3丁目824番地(元大地町)
御祭神 主神 応神天皇(品陀別名命)
    印色入日子命 天照皇大神
    伊弉冊尊   天児屋根命
    天常立尊   菅原道真公

 御由緒  当社は旧河内国渋川郷大地大地村にあって八幡神社と言い、創立年代は明らかでないが当地の地名を大地と称えるのは和名類聚抄に邑智の事は明らかである。
和名抄巻の六に河内国渋川竹淵邑智餘部(あとべ)賀美とある。
元来日本の国の風習として昔から人が住めば必ず始祖神(氏神)を祀る。
それで人皇第六十二代(紀元一六〇七年)の御時編纂せられた和名抄に当地名が記載せられてあるのを以って見れば当時既に神社の祀られて居ったことは疑う余地がないのである。
延喜式神明帳は人皇第六十代醍醐天皇の御時編纂せられたものであって和名抄の編纂とは僅かに数十年前である。故に邑智の名称は延喜の頃、既に河内五郷の一つとして盛大な村落であったことは明らかである。 それで延喜式編纂当時に 八幡神社が存在して居ったが、神明帳に洩れたものであろう。
式に洩れた社を式外と言い有名な社もその間に多くある。

 沿革 
当社には式内横野神社があり、人皇第11代垂仁天皇の第二皇子印色入日命を祀る。明治40年4月27日付を以って次の五社社を合祀して村の名をとって巽神社と改称する。
大地印地    横野神社
伊賀ケ字伊賀ケ 天神社
西足代字葭の内 天照皇大神社
矢柄字宮の前  熊野神社
四条字山小路  天神社

例祭日 7月15日 夏大祭
    10月15日 秋大祭

末社 豊川稲荷社 塞神社 八街彦・八街姫姫・久那度神
   熊鷹稲荷社
   伏見稲荷社

神紋 橘 

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●巽神社-----『大阪府全誌』より引用
 巽神社は東南字八幡にあり、もと八幡神社と稱し、應神天皇を祀れり。 由緒は詳ならず。明治五年村社に列し、同二十五年四月二十三日若江村大字上若江字エンマンジの無格社塞神社(八衢彦神・八衢姫命・久那斗神)を境内に移転し、同四十年四月二十七日本地字印地の村社横野神社(印色入日子命)・大字伊賀个字南の町の同天神社(菅原道真)・大字西足代字中の町の同天照皇大神社(天照皇大神・八幡大神・天児屋根命)・大字矢柄字宮の前の同熊野神社(伊弉冊命・天照皇大神・天児屋根命・品陀別命・菅原道真)・大字四條字山小路の同天神社(天常立神・誉田別命)を本殿に合祀し、且此の最後の合祀と共に社名を今の如く改稱し、大正四年四月神饌弊帛供進社に指定せらる。
 合祀社中に於ける横野神社は、延喜式内の旧社にして印色宮と呼び、本地の産土神たり。境内は六百二十五坪にして、本殿の外に拝殿・社務所を存せり。氏地は本村全部にして、例祭は十月十五日なり。


題名:コメント投稿 名前:神奈備  日時:9/30

横野神社の件で『式内社調査報告巻四』に説明文があるのですが、どうも盗作のようで、これについては地元の郷土史家な方も憤慨されていました。

http://kamnavi.jp/en/kawati/tatumi.htm


題名:穂高神社の保食社: 9月 26日 投稿者: 言蛇

   神樹シリーズで穂高神社に祭られる欅の樹です。樹の側には末社の保食社が鎮座しています。

川端康成、井上靖、東山魁夷がそれぞれ夫婦お揃いで参拝された際、その若葉繁る欅の木見て絶賛した木です。このサイトで男女の機微にふれる場合は「雪国」くらいの節度と正確さ、万葉集の素直さは欲しいところですね。

明日は穂高神社の御船祭りが最高潮です。
(http://www.hotakajinja.com/)


題名:コメント投稿 名前:神奈備  日時:9/27

関西から遠いわけでもないのですが参詣のきっかけの少ない神社ですね。

上高地は何度か行っているのですが、神社に関心のすくない若い頃でしたから、見ていても記憶に残っていません。
美しい写真の数々、ありがとうございます。


題名:槍ヶ岳: 9月 26日 投稿者: 言蛇

  氷河公園と呼ばれる場所から撮影した槍ヶ岳です。
有明山の魏石鬼八面大王を討つのは山鳥の尾羽で作った矢ですが、両面宿難も討つには弓矢ではなく槍を持ち出さないと間に合いそうもないので撮影して参りました

富士山の世界遺産活動ですが、「富士山を世界遺産にする国民会議」の小田宏さんによりますと5合目から上にゴミをおとす人はいないそうです。世界遺産には自然遺産と文化遺産があるのですが、富士山は動植物の生態系の面で自然遺産認定に届かせるには厳しいとのこと。富士山にちなんだ高山植物とかを耳にしないことに気付けば納得できることと思います。

私の前回投稿あたり、三輪山から怪しい空気が流れてきたので三輪山にまつわる好きな和歌を引用させていただきます。

「三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや(万葉集18)」


題名:川會神社(長野県北安曇郡) : 9月 26日 投稿者:言蛇

  

綿津見命にまつわる投稿が続いている様ですので安曇村の川會神社を紹介します。

住所は長野県北安曇郡會染村十日市場で祭神は底津綿津見命。

景行天皇12年の草々にして延喜式内名神小神社です。
延喜式において安曇地方にあげられているのは穂高神社とこの川會神社。
初めは高瀬川と木崎湖よりでる農具川との落合に鎮座していいましたが、
坂上田村麿東夷征伐のおり現在の宮に陣して中房(有明山)の鬼属を退治し、神徳に感銘し社殿を改築したとのこと。それ以降はたびたび火事や洪水に見回れながらいまに到っているそうです(^^;)

境内には内山真弓の歌碑があり下記の歌がのこされています。
「しき島のみちは あまりにひろければ 道ともしらで 人やゆくらん」


題名:薄雪草: 9月 26日 投稿者: 言蛇

  こんばんわ、前回の投稿からアルプス稜線散歩にでかけていましてレスが遅れていましたが宿題にぼちぼちレスを返しますのでよろしくお願いします。

神奈備さまの曼珠沙華の写真へのレスです。
早池峰山に咲く早池峰薄雪草、薄雪草の花言葉は「大切な思い出」。
曼珠沙華の花言葉は「情熱」でしょうか? 小津安ニ郎の映画が偲ばれますね。

(http://www14.oekakibbs.com/bbs/kotohebi/oekakibbs.cgi)


題名:加古川-畑谷川支流の住吉神社1  (西脇市上比延所在) : 9月 23日 投稿者: いこまかんなび

  

 日替わりの、しつこい播磨住吉神のご紹介です。
 社町の牧野住吉神社から県道を北へ約6km、西脇市内に入って国道175号に合流し、加古川を越えて西岸を走り「寺内交差点」を「にほんへそ公園」の表示に従って東へ右折、再び加古川を越えてしばらく走ると道が大きく南へカーブする所に上比延の「住吉神社参拝道」の看板があり、脇道に入って細い道をそのまましばらく進み、細い川筋から左側山手に進むと、なっ何と、まず鐘楼が目に入り住吉神社の鳥居が判りました。
 綺麗な細い参道を進むと広い境内正面に土俵があり、奥には県指定の文化財の拝殿の付属した本殿があります。(神社は右の写真の右端の方にありました。)
「本殿は、裄丈2間、梁間1間の二間社流造であるが、二間社流造は兵庫県下では5棟が知られているにすぎず、全国的にもきわめて少ない。現存する本殿には、棟札によって、元禄4年(1691)に淡州綱之郡浦村(現在の淡路島津名郡東浦町浦)の大工、平時貞によって再建されたことがわかる。平時貞は、淡路浦村の大工集団に属した出稼ぎ職人のなかで、特にめざましい活躍をした職人のひとりである。」とのこと。
 由緒はまだ調べていません。細谷川の上流の中畑町・住吉町にもそれぞれ住吉神社が祀られています。峠を越えれば黒石ダムから東へは住吉川ぞいに篠山市街へ。南へはやはり住吉神社が密集する篠山の今田黒石・立杭地域への谷ルートへ。
○西脇上比延町1429-1


題名:コメント投稿 名前:神奈備  日時:9/24

御由緒

現鹿野町の南方なる龍ケ峯に大阪の住吉大社の分霊を勧請し其後社殿を山麓に移転し弘安二年二月更に今の地に遷座す、天正九年豊臣秀吉より御供田二反を寄進せられ慶長五年池田輝政之を安堵する等、武将の崇敬を受くる、寛文二年八月二十一日四社並に二末社拝殿の修理を経て、今日に至り、寛政七年青蓮院尊眞法親王より御自筆の神號を寄せられる。
以上


題名:三草川流域の住吉神社1 (加東郡社町牧野): 9月 23日 投稿者: いこまかんなび

  

続いて、社町牧野にある住吉神社の紹介です。東北の御所谷から流れ下ってきた三草川の流れは、社町で中国道沿いに西流してきた千鳥川と合流し加古川に入ります。
流域に聳える三草山など、三角形の山容はなぜか神秘的です。
社町の市街から三草川に沿って篠山に通じる国道372号を2.5km程いくと三草橋の住吉神社があります。さらに上流の山口・馬瀬にも住吉神社があるようです。
今回は三草橋を行き過ぎてしまい、川を渡って北の西脇市へ通じる県道の途中、牧野にも住吉神社(上左の写真の右側、丘陵斜面に鎮座)があります。
神社は丘陵斜面にあり西面。今のところ詳しい由緒は把握できていませんが、境内に舞殿・大歳社があり、拝殿(龍の彫り物も)・本殿の形式がすばらしく、写真で紹介いたします。
由緒、御存知の方はよろしく。


題名:東条川流域の住吉神社1(三田市大川瀬): 9月 20日 投稿者: いこまかんなび

 

 次は、東条川を少し南西ヘ下り、広い田園が広がる東条町秋津にある住吉神社です。
中国道東条インターの西方、東条川沿いにある森村の天神から元亀年間(1570〜72)に遷宮されてきたと伝えられていますが、もとから秋津にもあった宮(住吉神社?)に合祀されたものらしい
 住吉神社と刻む石標には、小さく「式内社」と彫り加えられています。本殿・拝殿・随身門(正保5年)は南面。説明板によれば、兵庫県の指定重要民俗文化財に指定(昭51)されている「百石踊」があり、室町時代末期〜桃山時代の初めに「雨乞い踊」としてはじまったという。
 かっては氏子ごとに踊座があったが現在は西戸地区のみで、入拝踊・忍び踊・大雨踊・都踊・おむら(をぐら)踊・小歌踊の6曲があるという。
 百石踊の名の由来は、この踊りを一度催せば「米百表」じゃなく「米百石」分の費用がかかることに由来するといいます。
 北側の交差点近くに、古めかしい薬師堂があり、永禄11年(1568)の胎内銘のある薬師如来像と同じ室町末期の辻堂らしい。昭和42年に東条町の文化財に指定。

○鎮座地-兵庫県加東郡東条町秋津(来年3月に加東市)


題名:コメント投稿 名前:神奈備  日時:9/20

播磨国賀茂郡の式内社の住吉神社の論社としては、『式内社調査報告』によりますと
加東郡社町上鴨川571
加東郡社町下久米67
小野市垂井町908
の三社をあげています。

秋津の住吉神社は森神社との俗称もあったようです。もともと恒田神社だった。そこに隣接の森字合の本にあった住吉神社が火災に遭い、ここに合祀されて、住吉神社と呼ばれたようです。合の本は地方の大社だったとの言い伝えがあり、式内社だったのかもしれません。


題名:東条川流域の住吉神社1(三田市大川瀬): 9月 20日 投稿者: いこまかんなび

  

 加古川の支流、東条川の奥まったところ、三田市の西部、大川瀬にある住吉神社。
ここは篠山市西部、立杭焼で知られる今田地域への入口でもあり、東は三田市の田園を南へ流れ下り宝塚・西宮から大阪湾へ続く武庫川に近接しています。
 左上の写真は、神社横の東条川から北、川を堰止めた大川瀬ダム-篠山方面へ通じていた。右は南側参道から。下は境内西から(左の建物は拝殿)です。
 本殿は、南面する三間社流造、「檜皮葺で外見は三間社になっているが、身舎(もや)内前通り柱で神座は四つに区切られていて、その中に住吉の神四柱をまつっている。」という。大正2年に国指定重要文化財。舞殿は県指定。
 住吉大社の広大な杣山神領「椅鹿山」の東部、東播から丹波地方へかけた地域のの中心的存在であったといわれます。
○鎮座地-三田市大川瀬字曽根山1646


題名:コメント投稿 名前:神奈備  日時:9/20

古い由緒を持つ住吉神社ですね。

室町時代の中頃から本社の分霊を奉祀して分離する氏子が追々出来て、終に大川瀬だけの氏神となりました(本社古文書・兵庫県神社誌・有馬郡誌)
住吉明神を祀る住吉神社が現在全国に二千百二十九社もありますが、往昔から名高い神社で上下の崇敬が篤かった大阪の住吉大社、山口県豊浦郡の住吉神社、福岡県住吉神社壹岐対馬の住吉神社等と共に我国住后十大古社の一つに数えられています(大百科事典)

大阪住吉大社の鎌倉時代に於ける造宮の際、本社で御事始の儀式が行なわれた事が本社の古文書で判明したので昭和三十二年四月住吉大社からわざわざ神官の参拝と奉賽及び住吉踊の奉納がありました(神戸新聞)

聖武天皇の御代僧行基住吉神領方二厘を借受けて三種山上に堂宇を建立した後、三種山が火災にかかって数日間燃え続けたので博士に卜占せしめた所、住吉明神の神怒であるとわかり三種山を住吉造宮の杣山に復したが、高倉天皇の時に清水寺が三種山方二里は寺領であると称したので当時の神主長盛が清水寺と数年にわたって論争し、頼朝の時鎌倉に裁決を願いでました。院宣によって三種山を清水寺に加東郡所在の田二町歩を住吉神社の供田燈明領に奉納して解決した。(清水寺縁起)


題名:コメント投稿 名前:いこまかんなび  日時:9/20

神奈備さまの知識・資料の集積と早さに頭がさがります。清水寺文書は、住吉神代記の椅鹿山の記述と似かよった所がありますね。

「船木宇麻(呂)・鼠緒・弓手等、御神山を斎護る。時に闌れ入れる公民等神山の木を切り取り、山地を歩み穢す。時に大神、「穢らはし」と宣り賜ひて、神火を放ちて杣山を焼き亡ぼし賜ふ。三箇年の内に木と土と共に焼燃て火滅(き)えず、燃える時に謄ち登る烟・炎・灰・塵、国家に満ちて、炎烟炭甚(もえ)盛り闇塞(くらがりふさが)りて、人民侘祭*(ニンベン、わびくるし)み、公家を驚かし賜ふ。

「天皇、卜占はしめ賜ふに、「大神の御祟なり」と占へ申す。之に因りて、「公家人民(おおみたから)等自爾(これより)以後、大神の杣山地等を歩み穢し切り犯す可からず」と宣詔し賜ひ、重ねて大神の旧跡の如く、大神の道歩(みちふみ)を尋ね、四至の堺を定めて寄さし奉るなり。」


題名:垣田神社をもう一度: 9月 16日 投稿者: いこまかんなび

  

上の左は西からの遠望、周辺には広大な神田が広がっていたということです。右は境内から南を写したもの、左(東)に能舞台。下は本殿横から南を撮ったものです。本殿北側〜西側に表津神社・中津神社・底津神社の三小祠の神が祀られています。


題名:コメント投稿 名前:神奈備  日時:9/16

> 表津神社・中津神社・底津神社の三小祠
一つ一つに分けている神社は住吉大社しか知りませんが、ここもですか。

『河内高貴寺縁起』(鎌倉時代)に面白い話があります。この寺は平石にあり、岩船神社の神宮寺でした。「風聞には当所、底筒男命、『旧事本紀』に言う饒速日尊、自ら天降りて御座す。岩船明神是也。」と書かれているようです。
本来、底、中、表は全く由縁の無かった神々が三韓征伐の貢献で、揃ったのかも。


題名:コメント投稿 名前:いこまかんなび  日時:9/16

>本来、底、中、表は全く由縁の無かった神々が三韓征伐の貢献で、揃ったのかも。
ワタツミの神、ですよね。住吉三神といっしょに祀られているのは、ここしかない、とかいろいろ垣田宮司さんから熱く説明をいただいたのでしたが。まだ消化不良段階です。なお、播磨〜篠山周辺で住吉神社は28社、別の名だが住吉神を祀る社は7社?。との説明、だったかな?。


題名:コメント投稿 名前:神奈備  日時:9/17

住吉三神をオリオン座のカラスキ星(参星)になぞらえる説があります。星座は地平線から上って来ますので、海で誕生した住吉神にピッタリ。
カラスキは韓鍬で、味鋤高彦根神かも。この神は金星とも云われており、星神。

『播磨国風土記』には、神功皇后の船の先頭に立った神は、韓国伊太テ神で、五十猛命のことともされています。

これで、饒速日尊、味鋤高彦根神、韓国伊太テ神の三神が揃いました。何となく、日本建国に関係する神々にも見えてきます。

住吉の名でなく、住吉神を祀る播磨の神社 平成祭礼データ(神社本庁)から
大年神社 兵庫県神崎郡福崎町大貫2061 
木庭神社 兵庫県姫路市木場103 
二子阿閇神社 兵庫県加古郡播磨町二子字立辻1
阿閇神社 兵庫県加古郡播磨町本荘4-11-21
名越神社 兵庫県多可郡中町田野口320
菅田神社
垣田神社
細田神社 兵庫県美嚢郡吉川町長谷423
新宮神社 兵庫県美嚢郡吉川町山上154
衣笠神社 兵庫県三木市口吉川町馬場216
大歳神社 兵庫県三木市細川町瑞穂1752-1
大歳神社 兵庫県三木市細川町増田76
岩壷神社 兵庫県三木市岩宮391
中山神社 神戸市北区淡河町勝雄1434
歳田神社 神戸市北区淡河町本町821
八幡神社 神戸市北区淡河町勝雄35


題名:コメント投稿 名前:恋川亭  日時:9/18

淡河(おおご)、大沢(おおぞ)、吉川(よかわ)。県民以外には意外と知られていないのですが、昔は淡河一帯は大きな湖だったそうです。
〔加古川→三木・小野→美嚢・吉川→淡河・大沢→三田→武庫川〕 六甲山系を迂回する水運ルートです。西摂・東播という兵庫県東南部、六甲を中心として表も裏も、息長氏系?の一大エリアではないでしょうか。
(淡河にも御影神が坐するはずなんだけど・・・)


題名:コメント投稿 名前:いこまかんなび  日時:9/18

一 播磨国の賀茂郡、椅鹿山(はしかやま)の領地田畠合す。
四至(東を限る、阿知万西岑・心坂・油位・比介坂・阿井大路・布久呂布山。南を限る、奈波・加佐・小童寺・五山大道・布久呂布山登跡。西を限る、猪子坂・牛屋坂・辛国太乎利・須須保利道・多可・木庭・乎布埼。北を限る、阿知万西岑・堀越・栗造・滝河・栗作・子奈位。
右の杣山(そまやま)地等は、元、船木連宇麻(呂)・鼠緒・弓手等の遠祖、大田田根子命の児、神田田命等が所領九万八千余町なり。而して気息帯長足姫皇后御宇しし世、大明神に寄さし所奉り巳了(おわ)りぬ。

「大田田根子命の児、神田田命等が所領九万八千余町」の広大な住吉の神領=はしか山の中に、加古川流域の河川と谷筋ぞいに、数えきれない程の住吉神社が祀られ、住吉大神を祀ることになった在地の神々と集団がいたのでしょうね。古代ロマンに満ち溢れていますね。でもなぜなのでしょうね。聖域をまもるため?。

さらにもう一つ疑問を。
住吉神社がたくさんある中、大歳神社もすごくたくさんあります。
流域沿いの広大な水田の=農耕の神のように聞いた事もありますが。
住吉神の祭祀以前からの古い神なのでしょうかね。


題名:コメント投稿 名前:神奈備  日時:9/18

住吉大社神代記
船木連遠祖大田田命兒。神田田命等所領九萬八干餘町也。

大田田命と大田田根子命との関係は如何。
大田田命は一応、船木連の遠祖で、その始まりは天手力男で伊勢の佐那神社が本拠とされています。銅鐸時代からの神かも。
大田田根子命は三輪、鴨両氏の祖となっている神です。

『東アジアの古代文化』2004夏号で、「大田ゝ根子、三輪山、崇神朝を考え直す」と云う秋間俊夫氏の論考があり、これの結論は『住吉大社神代紀』に出てくる船木連の遠祖大田田命、神田田命で山の木から船三艘を作り神功皇后等の日の御子を乗せたとあるのですが、この大田田命を考えておられるようです。


題名:コメント投稿 名前:いこまかんなび  日時:9/18

大事なことを何たるちや。失礼しました。みなさん記憶をリセット訂正を。上の8・9の「大田田根子命の児、神田田命」は「大田田命の児・・」の間違いです、「根子」はいりません。
大田田と来れば、すぐ「根子」をつけまして。
神奈備さま誤りご指摘、ありがとうございました。

それにしても、よ〜似てるけど、ネコ-根子がついてるのと、ついてないのと。ウムーッ、一緒の理解じゃだめなんでしょうかね。
むつかしいぃ〜。


題名:コメント投稿 名前:神奈備  日時:9/18

日の神を運ぶ、とは、祀ることとも言えます。
そうすると、太田田根子も三輪山の神=古い日神かもを祭ったので、
太田田命と同じ機能の神と言えるのかも。


題名:コメント投稿 名前:恋川亭  日時:9/18

兵庫県加東郡掎鹿谷を中心として、加古川へ注ぐ水系沿いで「住吉神社」をリストしてみました。

黒田庄町
・門柳川沿い〔黒田庄町門柳:住吉神社〕→加古川へ

西脇市
・畑谷川沿い〔住吉町:住吉神社、中畑町:住吉大明神〕→加古川へ
・野間川沿い〔水尾町:住吉神社〕→加古川へ

篠山市
・四斗谷川沿い〔小野原:住吉神社、今田町上立杭:住吉神社〕→東条川へ
・黒石川沿い〔黒石:住吉神社、今田本庄:住吉神社〕→東条川へ
・東条川沿い〔今田町木津:住吉神社〕→東条川の大川瀬へ

三田市
・東条川沿い〔大川瀬:住吉神社〕→東条川の秋津へ

社町
・鴨川沿い〔上鴨川:上鴨川住吉神社、下鴨川:住吉神社〕→東条湖へ

東条町
・東条川沿い〔秋津:住吉神社、森:住吉神社、吉井:住吉神社〕→小野の東条川へ

小野市
・東条川沿い〔中番町:住吉神社、久保木町:住吉神社〕→加古川へ
・加古川沿い〔住永町:住吉神社〕→加古川下流へ

社町
・三草川沿い〔馬瀬:住吉神社、山口:住吉神社、三草橋:住吉神社〕→加古川へ
      〔牧野:住吉神社〕
・千鳥川沿い〔池之内:住吉神社、畑:住吉神社、下久米:住吉神社〕→加古川へ

滝野町
・加古川沿い〔河高:住吉神社〕→加古川下流へ

小野市
・万勝寺川沿い〔大島・垂井橋:住吉神社〕→加古川へ

神戸市
・淡河川沿い〔淡河:住吉神社〕→志染川・美嚢川を経て加古川へ

三木市
・美嚢川沿い〔鳥町:住吉神社〕→加古川へ

長々とすみません。これに神奈備先生による上記の「住吉の名でなく、住吉神を祀る播磨の神社」を加えてプロットしてみたいナと。
加古川以東のある地域内に分布しているのは面白いですね。『造船用の木材管理』だったのでしょうか?昔の植生を知らないのでなんとも。
大歳神社の分布とは微妙に分かれているような感じもしますね。


題名:コメント投稿 名前:いこまかんなび  日時:9/19

恋川亭さま。すごいリストアップ。
私も調べきれていなくって、あげていただいた1/3は知りませんでした。
まだ半分ほどしか現地へは行ってません。
また、写真で紹介させていただきます。
有り難うございました。
まさに一帯の山々は、古代の造船用木材・神殿用木材などの聖なる供給地で、支流から加古川へと運ばれたのでしょう。


題名:Re:和気清麻呂溝の残骸を地図から: 9月 16日 投稿者: いこまかんなび

 

神奈備さま、早速歩いて来られたのですね、頭がさがります。私もそれでいいのではと思い、明治20年の地図で表示してみました。


題名:和気清麻呂溝の残骸を地図から: 9月 5日 投稿者: 神奈備

堀越神社から
http://www.office-may.net/sampo/spots/daidou.html
に従って歩いて見ました。
庚申堂から南東に道がありますが、それを北西に神社付近まで延長したラインが溝跡だったようです。
鞍部と云うのでしょうか、低くなったゾーンが続いています。掘られた跡を埋めた場所のようです。鞍部が連続して続いています。

写真は谷町筋で堀越神社向かいから南側を写したものです。道路が鞍部になっている様が見えます。これが和気清麻呂溝の残骸ではないかと。


題名:小野市の垣田神社と菅田神社: 9月 16日 投稿者: いこまかんなび

 

引き続いて小野市(播磨国加茂郡)の式内社垣田神社と菅田神社の写真を紹介します。

垣田神社--(祭神) 表筒男神、中筒男命、底津男命 神功皇后
(鎮座地)小野市小田町字住社1649 本殿は南向き
     (沿革)神奈備さんの延喜式内社をご参照ください。

菅田神社--(祭神) 天目一箇神、表筒男命、中筒男命、底筒男命、氣長足姫命、大山神
     (鎮座地)小野市菅田町字源太夫垣内568
     (沿革)写真掲示板(8/26・8/29)「小野市の住吉神社」「小野市中番町の住吉神社(再)」などを参照下さい。


題名:コメント投稿 名前:神奈備  日時:9/16

垣田神社
ここには民俗文化財とされる能舞台がある神社でしょうか。
http://www.city.ono.hyogo.jp/~kyoiku/bunkazai/b39.html
微妙に住所表記が違うようで..


題名:コメント投稿 名前:いこまかんなび  日時:9/ 16

垣田神社の所在地は、古くは小田町住社ですが住居表示で小田上町になってるようです。神社には確かに能舞台があります。播磨〜篠山方面の住吉神社にはほとんど能舞台があり、境内に小さな土俵があって神事が行なわれるようです。また、各地では近世には俳句の歌会が盛んだったようです。くわしくは何も調べていません。垣田神社の能舞台は文化財の指定は受けていないようです。追加で垣田神社境内他の写真を改めて紹介いたします。


題名:播磨町の阿閇神社(更に紹介): 9月 5日 投稿者: いこまかんなび

 

さらに続いて播磨町の「阿閇神社」の写真などを紹介します。 明石市魚住の住吉神社からさらに西、海岸に沿って走る古い浜街道ぞいの播磨町(古くは賀胡郡の阿閇荘)本庄4丁目に阿閇(あえ)神社があります。
この社は、住吉三神と神功皇后を祀っています。『住吉大社神代記』に記される神領の一つ、「賀胡郡阿閇津浜一処」の所にあたり、海上交通の要所であった阿閇漁港(阿閇の津)は近くにひかえた所にあって、住吉の歴史を考える上で重要な神社の一つです。
もちろん式内社ではありません。『住吉大社神代記』に多数登場する住吉大神の子神の一神「阿閇神(あべのかみ)」にあたります。
長くなりますが該当部分を『訓解住吉大社神代記』より引用紹介します。質問は受けません。 一、賀胡郡の阿閇津浜(あべのつのはま)一処
 四至 (東を限る、余郷(あまりべのさと)。南を限る、海棹の及ぶ際。西を限る、大湖    尻。北を限る、大路。)
右、同じ皇后の御世、大神、熊襲二国を平伏け、新羅国より還り上り賜ふ時、鹿児(かこ)に似たるもの海上に満ちて浮び漕来れり。見る人皆奇異(あやし)み、「彼れ何物ぞ。」と云ひて鹿児に似たる物を問ふ。近く寄りて筑志埼に来り着きて見れば、数十余人たち、角ある鹿の皮を着て衣袴(ころも)と着(な)す梶取・水手人(かこ)の、大神の舟を漕ぎ持て来るなり。故、其の地を鹿児浜(かこのはま)と号く。皇后、大神に饗(みあへ)を奉らむと、酒塩を以て魚に入へて奉り賜ふ。時に阿閇浜(あべのはま)と号けて寄さし定め奉り賜ひき。其の時同じく津守宿彌の遠祖を奉仕(つかへまつ)らしめ賜ひき。皇后、合掌(みてをあは)せて誓(うけ)ひ宣(のりたま)はく、「寄さし奉る吾が山河海の種種の物等を、若し妨げ誤る人あらば、天地の災*(ウカンムリの下に火)を蒙り痛患(くるしみ)に遇ひ、子孫(うみのこ)絶滅(た)えて天下凶乱れなむ。」と。


題名:コメント投稿 名前:神奈備  日時:9/6

阿閇神社にはそのような古い歴史が残っていたのですね。
その後の歴史
村上天皇の第七皇子一品具平親王の六世の孫、従三位侍従大納言源季房朝臣(赤松氏の祖)が天永二年正月(一一一一年)に播磨の守護職兼西征将軍となり加古郡に下向、大内村(野口町に古大内の地名がある)に移住せられた時、この阿閇ノ庄住吉大明神を信仰し、国家安泰を祈願されました。

後赤穂郡赤松庄に白旗城を築き居城としたとか伝える、赤松家の祈願所として深く崇敬された(赤松盛衰記)。 江戸時代に姫路藩主池田輝政が社領十石を寄進され、京都所司代板倉伊賀守がこれを安堵された。明治七年旧社格郷社に列せられる。
です。


題名:コメント投稿 名前:いこまかんなび  日時:9/ 6

神奈備さま補強ありがとうございました。阿閇の海は今やコンビナートに。昔はホンジョ貝(むらさき貝)は浜の名物だったとか。海浜風情・貝とも消滅です。東方2kmの大中遺跡史跡公園・播磨町郷土資料館近くの北古田ほか、あちこちに住吉神社があるようです。


題名:小野市中番町の住吉神社(再): 8月29日 投稿者: いこまかんなび

 

 小野市中番町の住吉神社をもう一度。
入口には大きな式内社標石(写真左)が間違い無くあります。延喜式の一覧を対照しますと、頭がこんがらがってきますが。垂井町の社と勘違いではありません。
 『小野市誌』によると、中番町の住吉神社は「当社は延喜式所載の菅田神社のことで、(異説あり)大昔この地方に居住した菅田首の先祖である神をまつったが、後摂津住吉大社の神領地域内である関係上、住吉三神を配祀するようになり、社名を住吉神社と改めたようである。御鎮座の地は菅田字南垣内であったが、鳥羽天皇の保安年間に現社地へ奉遷したものである。
 ついでに菅田神社-「小野市菅田町字源大夫垣内568 当社は延喜式菅田神社の分霊で、鳥羽天皇の保安年間に同町字南垣内の旧社地より現社地に奉遷移転したものである。住吉三神を配祀して住吉神社と言ったが、後、山王の神を配祀すねようになって山王権現と言うようになった。一説に式内社菅田神社は当社であるという説がある。」とあります。ご参考まで。
なお、追加のご参考に久保木町の住吉神社の写真(右)もご紹介いたします。


題名:海王と大王のひつぎ: 8月27日 投稿者:みうち

  

8月26日、南港で熊本から「大王のひつぎ」を引いてやってきた古代船「海王」を出迎えました。携帯写真なので、あまり良くは取れなかったのですが、参考までに送ります。出迎えのメンバーの一部は皆古代のコスチュームを着て、ちょっとしたコスプレショー。仮装行列でした。

1.海王
2.海王
3.大王のひつぎ・上蓋

  

1.大王のひつぎ
2.海王 かこ
3.仮装行列


題名:小野市の住吉神社: 8月26日 投稿者:いこまかんなび

  

先日、加古川流域の小野市にたくさんある住吉神社と船木の名に惹かれて探索に行ってきました。 詳しい地図なしで探すのは中々難しいものでしたが、何とか2つの式内社を訪ねてきましたので写真で紹介します。
上の左は、小野市垂井町にある住吉神社、右側は小野市の住吉町と船木町の間にある中番町の式内社住吉神社です。さらに東側には良く知られる垣田神社があります。ここは次回にいくことに。 下は、上流にある摂津-住吉大社の杣山神領地「播磨国の賀茂郡 椅鹿山(はしかやま)」から流れ下り加古川へ合流する東条川で、船木橋から船木方面を撮った写真です。
播磨北部から丹波にかけた山間部は、古代の船や神殿の建造用の聖なる木材などを採取した山だったと云われています。


題名:コメント投稿 名前:神奈備  日時:8/27

中番町の住吉神社には天目一箇神もまつられているようです。菅田町の菅田神社にも天目一箇神。
滋賀県近江八幡市中小森町の菅田神社も天目一命。
滋賀県蒲生郡蒲生町鋳物師の竹田神社も昔は菅田神社、天津彦根命、天目一箇命、石凝姥命、大屋毘古命(五十猛命)を祀っています。
茨城県つくば市體見神社(すがたみじんじゃ)(合祀)天久斯麻比土都命 建許呂命 (主神)天津彦根命 スガタ、スゲタ・・これと金属精錬との関連は如何。


題名:コメント投稿 名前:いこまかんなび  日時:8/29

天目一箇神ってアメノマヒトノカミ、山の神、火の神、金工の神、鍛冶の神なんですね。菅田神社はもと菅田・中番・久保木町一帯の氏神で、古くは字宮山というところにあったらしく、平安時代に中番町の住吉神社、久保木町の住吉神社が分かれ、現在地には保安年間(1120〜1123)に移されてきたようです。なお、西方の加古川へ東条川が合流するあたりは巨勢の里といわれ、顕王神社は顕宗天皇を祀り、周辺が製鉄に関係深いようにいわれています。参照『おの-ふるさと散歩』。
周辺は、船木連の本拠地であり、次回の探訪が楽しみです。

これまた引用。
久保木の住吉神社(一部のみ引用)--「久保木町字広ケ森978
社内の古文書に「物部明神当所に鎮座、天治元年中番村菅田神社ヨリ移ル云々」とあります。広ケ森は、船ケ森とも言うらしい。


題名:コメント投稿 名前:玄松子  日時:8/29

中番の住吉社は、式内社菅田神社(からの分社、あるいは後継社)ですね。「式内社住吉神社」という表現は、ちょっと違います。


題名:コメント投稿 名前:いこまかんなび  日時:8/31

神様は苦手なのに。始めての播磨北部の神々の探訪でした。ここは住吉のことを考える上で凄く謎の多い地域です。再度ここから北東の東条〜三田〜篠山〜西へぐるっとまわって西脇市〜加東市へと。
たくさんの住吉神社が集中する広大なスムの山間地域の謎をじっくり探っていこうと思ってます。スム=住。また写真で紹介?します。時間かかりそう。


題名:明石市魚住の住吉神社: 8月26日 投稿者:いこまかんなび

  

ついでに、明石市魚住の住吉神社です。
『住吉大社神代記』に、「明石郡の魚次浜(なすきのはま)一処」として登場する所です。


題名:コメント投稿 名前:神奈備  日時:8/27

明石市魚住町には住吉神社は三座鎮座、この写真は中尾ですね。他に魚住町金ケ崎、魚住町長坂寺、中尾からの勧請社かも。


題名:コメント投稿 名前:いこまかんなび 日時:8/31

「神功皇后によって摂津の国住吉に御鎮祭せられました住吉大明神は「吾が居住はむと欲りする処は、播磨の国に渡り住はむ」と、お告げを出された。
 そこで大藤を切って海に浮かべ神意を伺ふと「この藤の枝の流れ着く処に、我を鎮祀れ」とご託宣なされた。藤は当地方魚次浜(なすきのはま)に流れ着いた。(住吉神代記より)この御神慮によって雄略天皇の8年(西暦464年)4月初卯日に此の地に勧請してお祀りしたのが当住吉神社であります。以後魚住庄(現在の大久保町南部も含む)の総鎮守社して祭祀されています」
 同社配付由来書より


題名:コメント投稿 名前:神奈備  日時:8/31

『住吉大社神代記』では、紀の国から播磨国へ藤の流れるままに住吉神が遷っているようですが、紀の国では天手力男意気続々流住吉大神と称されていました。
 http://kamnavi.jp/ki/itonaga/ouga8.htm


題名:コメント投稿 名前:いこまかんなび 日時:8/31

大藤の木=和歌山の藤白、42号線沿い、釣りエサ屋のあるところですね。
海岸沿いの熊野古道ルートですね。懐かしいです。
神功皇后・スムエ伝承の編年的には、何かの政変を契機に、紀州から播磨へと住吉の生産・活動拠点が移らなければならなかったのでしょうか。
わたしには今はよくわかりません。知識のギャップが大きすぎて。
神奈備さまの御指導を。


題名:コメント投稿 名前:神奈備  日時:9/1

木国藤代峯は奈良との県境の筒川藤代峯に鎮め祀ったとあります。現在の富貴です。尤もここには住吉神は祀られていません。それは紀の川の北側に遷ったと見るしかありません。
鉄を探して紀の国へ行ったものの掘り尽くしてか播磨へ遷ったと云うことでしょう。
『古代の鉄と神々』真弓常忠著 犬と狩


題名:梓水神社: 8月19日 投稿者:言蛇

 

>涼風が顔をなぜる風景写真、ありがとうございます。
ありがとうございます、乗鞍岳の麓にある梓水神社も併せて再掲載させていただきます。9月中旬まで夏休みにはいりますのでこれにて失礼させていただきます。

祭神は建御名方命らしいですが、本来は梓水大神かも。

瀬織津姫の名は安曇野梓川水系で散見されます。早池峰の瀬織津姫は坂上田村麿呂が東北戦争後にもたらした気配がありますが、安曇野でも八面大王(八女大君)を坂上田村麿呂を討った伝承があり、坂上田村麿呂と共に安曇野に入ってきたと考えれば辻褄が合ってきます。瀬織津姫は坂上田村麿呂の影であり、乗鞍岳の麓にある梓水神社&梓水大神と混合したのかも・・・・

(1)梓水神社本殿、こちらは北を向いていています(穂高岳?)
(2)梓水神社の舞台、こちらは乗鞍岳を向いています。

#安曇野の北は奴奈川姫文化圏が拡がっており、八面大王(八女大君)はおそらく八坂刀女姫でしょう。穂高神社は菊紋を掲げており安曇族は坂上田村麿呂軍におそらくついた^^;


題名:コメント投稿 名前:神奈備  日時:8/19

言蛇さん こんにちは。貴重な写真ですね。
八女大君、卑弥呼を思わす名ですね。
> 梓水神社の向かう乗鞍岳。
飛騨に両面宿儺の伝説があり、乗鞍山頂の両面社の姿を思い出します。
> 早池峰神社の祭り
これは貴重な記録ですね。ありがとうございます。


題名:早池峰神社例大祭: 8月18日 投稿者:言蛇

  

(07)里を巡る神輿から望む早池峰。神輿は岳の町を隈無く廻ります。
(08)神社の脇に流れる清流です、花が目立つのはやはりこの季節。
(09)祭のあとの子供囃子の子供たち。次代の早池峰神楽はこの子達が伝えてゆくのでしょう。おつかれさまでした。

  

(04)明けて8月1日、朝の早池峰神社です。天気が不安だったのですがいい具合に晴れてくれました。本殿の前には黒い獅子面と神輿が待機しています。
(05)神輿出発の前に子供囃子が舞われます。子供囃子は男女分け隔てなく舞いをおどります。舞いが終わった後、神輿はいったん鎮守森へ。
(06)鎮守の森に空いた空間があり、そこに神輿を安置した後、大人舞いが舞われます。(この鎮守の森は早池峰に向かい合う薬師岳の裾野に拡がる森・・・あれ?)

  

「秋風に山吹の瀬に鳴るなへに天雲翔る雁に逢へるかも(万葉集1704)」

こんばんわ、先日の立秋は大迫町岳集落の早池峰神楽を参観しに早池峰神社に言って参りました。祭神は瀬織津姫を祭っています。五所神社の狛犬ではさみしすぎるので獅子舞の写真をとどけにまいりました。

(01)大迫町早池峰神社の鳥居です。7月31日の宵祭り、旅行前の天気予報は数日雨だったのですがなぜか曇りから晴れ間がのぞく天気になりました。
(02)宵祭りでは11時過ぎまで延々と神楽が奉納されます。
(03)集落の子供を噛む獅子です。この神社の獅子面は黒で、子供心でも恐いでしょうね。(東北では鹿をシシとよび、鹿をかたどった鹿舞いがあります)

早池峰神社の祭神は瀬織津姫命。

瀬織津姫については風琳堂主人(*1)の著作を通じて知り、安曇野梓川水系周辺では瀬織津姫の足跡を風琳堂主人と歩みました。風琳堂主人の次の著作は中臣神道を批判する為の本とのことですが、いまの早池峰の瀬織津姫がみている景色と違うものを感じこちらに掲載させて頂きます。
 青草掲示板にて神奈備さまは富士山のし尿問題にふれていますが、他の山への誘導も問題解決の一助になります。関東ですと筑波山とかも風情があるのですが・・・・・

(*1)(http://www5.ocn.ne.jp/~furindo/)


題名:暑中見舞い: 8月10日 投稿者:言蛇

「新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事(万葉集4540)」

こんばんわ、ページトップのおすずみ祭りの写真きれいですねー♪
暑中お見舞いに五十猛尊の鎮座する雪の乗鞍岳を再掲載させていただきます。
先先週の土日は早池峰神社の神楽を見学してきたのでただいま編集中です。天 候がちょっと不安定でしたが、いい処では晴れ間にめぐまれましたが、おすずみ祭 の方はいかがでしたでしょうか?

道祖神祭りが春を招く祭なのに対して、おすずみ祭りが立秋の頃合でかがり火を模 しているのが興味深いところですね。
これに併せて道祖神祭りの写真を再掲載したいところですが、穂高神社周辺の聖 地を据えないとやはり誤解を招くのでまずはこちらを再掲載いたします。

乗鞍岳は山頂付近までバスが通っていますので、喘息持ちの方でも高山帯の雰囲 気がお花畑が味わえます。


題名:暑中お見舞い: 8月2日 投稿者:泊瀬女

橿原市城殿町の本薬師寺跡のホテイアオイの群落です。
7月から9月末頃まで咲くそうです。
夏の明日香散策の折にお立ち寄りになってはいかがかと。
向こうの山は(頭が切れちゃったけど)畝傍山だったと思います。


題名:コメント投稿 名前:神奈備  日時:8/2

泊瀬女さん 暑中お見舞い申し上げます。
このあたりは最近歩いたはずですが気がついておりませんでした。
ありがとうございます。

地図は
http://www.city.kashihara.nara.jp/hoteiaoi/hoteiaoi.html
です。


題名:コメント投稿 名前:言蛇  日時:8/10

泊瀬女さん、はじめましてこんにちわ

のどかないい景色ですねー・・・
香具山と耳成山がむかし相争うのも分かる気もしますが、闘ったらこの花 畑も台なしでしょう^^;

長野ですといまタチアオイが盛りなので、いいスポットを探してみます。


題名:白馬教会: 7月30日 投稿者:言蛇

「とこしへに夏冬ゆけや裘扇放たぬ山に住む人(万葉集1686)」

冬の写真はアップしたので夏のも併せて白馬教会をおとどけします。
ここではないのですが、最近は教会にでかけることもしばしばです。
穂高神社を賞揚する身であることは伝えていますが、キリストの述べた福音には関心 あることを伝えたら快く同席認めてもらえました。

 礼拝に出席して気付かされることは、キリスト教というのは「キリストの述べた言 葉に対して自分を素直にさらす」ことが大前提にあることです(まあ、常識ですね) 現代のキリスト教徒は、福音書を読む気がある人は受け入れますが福音書を読む気が ない人は受け入れないでしょう。

古代日本史でよく景教のことが取りざたされますが、キリスト教と認定されるにはま ず福音書(キリストの言葉)が当時において正確に伝わっていたのか確認が必要です。 先週の礼拝で、中国人が恐竜から鳥への中間種を偽造しているとのことを進化論にか らんで説明をうけたのですが、中国景教に偽造がないかとも思い、ただいま勉強中^^


「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。 わたしが あなたがたを休ませてあげます。(マタイ11:28)」

◆聖書協会より引用許可申請済み(http://www.bible.or.jp/)

#秦氏は古代においてキリスト教を棄教していたために、聖書が出土しない。
#すなわち現代外国人はキリスト教の仲間とは認めない。キリスト教の仲間と
#いうのであれば、福音書の復唱は必然になります。


題名:コメント投稿 名前:神奈備  日時:8/2

ヨーロッパの国々でも土俗の信仰がいまだに残っている所もあり、一神教は妥協がないとか、他の神々を認めないと云うことはないようですね。 それでも多くの土俗信仰は塗りつぶされていて、特に中世では魔女裁判などひどかったようです。


題名:コメント投稿 名前:言蛇  日時:8/10

>一神教は妥協がないとか、他の神々を認めないと云うことはないようですね。
今週も教会に出かけたのですが、素直にキリストの言葉に耳を傾ける気持ちがあれば分け隔てはないです^^。子供づれで一緒に賛美歌を歌ったりして、このあたりじつに心惹かれますねー。都市宗教としては神道より一歩先を進んでいる点、見習うものが多いです♪


題名:五社神社の吽: 7月28日 投稿者:神奈備

五社神社の吽の狛犬です。
寂しいのでアップしました。


題名:コメント投稿 名前:言蛇  日時:7/30

この神社の狛犬は獅子をかたどったものですね^^
長野市ですと小さい神社でも獅子舞がくるのですが、大阪の神社に獅子舞は くるのでしょうか?
ちょっと興味がわきました。


題名:コメント投稿 名前:神奈備  日時:7/31

子供の頃、伊太祁曽神社の獅子に頭をかまれてすごくこわかったことを覚えています。
大阪ではあまり見かけませんね。


題名:飯山の神戸銀杏2: 7月28日 投稿者:言蛇

「我が目妻人は放くれど朝顔のとしさへこごと我は離るがへ (万葉集3523)」

こんばんわ、神戸銀杏の鳥居額が新しくなり、はっきり読めるようになりました。
側の農家さんの桔梗が盛りを迎えていたので、そちらも併せてこちらに投稿させていただきます。三宝荒神ですと仏教臭さがつきまといますし、この当て字変更も興味深いですね。担当は県庁なので今度たずねてみます。

案内版には岩手の銀杏が触れられているのですが、宮城県伊具郡丸森町雁歌の近くにも県下一を争う銀杏があるとのこと。7月31日から早池峰神楽があるので今年の東北旅行はスケジュールに悩むところ(^^;)

>天野は湿地帯で、独特の祭祀と雰囲気があるのかも知れません。
実に同感をもてます。いまちょうど花の盛りではないでしょうか?
実体の伴わない輪廻よりは、四季のうつろいを示した方が日本人には心染みるものです。


題名:コメント投稿 名前:神奈備  日時:7/27

言蛇さん こんにちは。
銀杏、桔梗、なんとなく早い秋を思わせる北国の雰囲気です。
桔梗の青は切れ味が素晴らしい花の色ですね。


題名:コメント投稿 名前:言蛇  日時:7/30

ありがとうございます^^
万葉集の暦と現代の暦がずれているのが難しいところです(汗


題名:池田市の五社神社: 7月27日 投稿者:神奈備

浪速形の狛犬としては最も愛想のいい狛犬とされている。天保五年(1834)でm、体長約m、阿形の愛想がいい。砂岩。


題名:コメント投稿 名前:ローズマリー 日時:7/27

垂れた耳が何ともキュート!

「怖い顔で門番」の発想を転換して、
この笑顔だと邪気も消えるんじゃないでしょうか?
素敵な門番になりそうですね。


題名:コメント投稿 名前:言蛇  日時:7/28

五社神社、穴織大神が一柱だけ入っているのが珍しいですねー。
はかの姉妹はどこかへ片付いてしまったんでしょうか・・・


題名:ふたみや神社: 7月18日 投稿者:ZOU

久しぶりに、大阪府柏原市の二宮神社を訪ねてきました。
左近師匠は相変わらずがんばっていらっしゃいます。
皆様もぜひお立ち寄りください。


題名:コメント投稿 名前:神奈備  日時:7/19

ZOUさん、ありがとうございます。
左近さん、最近ご無沙汰なんです。

二宮神社のブログを作っています。
http://blog.livedoor.jp/futamiyasakon/
これの更新の仕方を教えておかなくてはと思っています。


題名:コメント投稿 名前:ZOU 日時:7/19

神奈備さん、このブログ良いですね(^^♪
ぜひ更新して行って欲しいものです。
また機会を見て二宮神社お邪魔してきますね。


題名:鹿児島冠岳の徐福さん: 7月14日 投稿者:nick

2002年に行った時はこの周辺は大改修中でした。
今は立派な公園になったようです。
今度は修験道を歩いて見ようと思っているのですが、、
自宅からはなんせ遠い。。


題名:コメント投稿 名前:神奈備  日時:7/15

nickさん、投稿ありがとうございます。
ここは真言密教の修験の山でもあるんですね。
煙草神社など、徐福の求めた長命とは違う趣旨の神社でしょうか?


題名:コメント投稿 名前:nick  日時:7/16

ほんの一部ですが、2002年の画像を
次に掲載しています。
ご覧下さい。

http://net.hayato.com/

石仏photos


題名:コメント投稿 名前:神奈備  日時:7/17

蘇我馬子は巻いた煙草。面白い由緒ですね。

修験、これに魅力を感じます。体力のある間に気が付いておれば・・・


題名:磐座紀行大和「生駒市生駒山八大龍王社の岩群」?: 7月3日 投稿者:いこまかんなび

生駒山頂東斜面に深く切れ込んだ鬼取の谷の最奥にある「薬師の滝」=旧鶴林寺境内南側に「八大竜王の滝」があり、まわりは人工的な石積を含めた巨石が多数露出しています。ここでしょうか。


題名:甲浦八幡宮: 7月3日 投稿者:久下 昌男

高知県安芸郡東洋町甲浦662
應神天皇
8月13日 例祭

http://www.rinku.zaq.ne.jp/bkcwx505


題名:宍喰八坂神社: 7月3日 投稿者:久下 昌男

徳島県最南端の宍喰町の「宍喰八坂神社」宍喰商業高校の隣に鎮座。

本社は、人々より「日本三祇園の一社」と称えられ、その由緒は古く、鎌倉時代に手写しの大般若経が奉納されていることでも明らかである。足利時代の大永6年(1526)、天文17年(1548)に再建の記録がある。神社は、もと岡ノ山にあったが、慶長元年(1596)現社地の久保に鎮座せられた。現在の本殿は、向拝付流造にして、高知県室戸より徳島に至る間に於いて寄付を募り、起工5年を要して、宝歴10年(1761)に建造されたものである。この建築は、当時、京都第一流の名匠の手になり、其の彫刻(祭神健速須佐之男命の八岐大蛇退治)は、実に精巧で、美術上価値の高いものである。又、鉄骨造りの新しい形式の拝殿は、氏子崇敬者は勿論、阪神方面で活躍する町出身者の浄財によって、昭和41年に改築成った。当神社は、亨保3年(1718)宗源宜旨を以って、正一位祇園牛頭天皇と称し、明治3年、八坂神社と改称。同4年、郷社となる。同40年、神饌幣帛料供進神社に指定。昭和28年2月24日、法人登記。猶、例祭の祇園祭は、祇園奉賛会主催の奉納煙火が盛大に打上げられ、海部郡内はもとより、高知県室戸方面から参集する人々で賑う。又・u氈タ膸魁⊂・海了核函・朕・・愾ヅ_・星狡未鬚佑衒發・・譴忙匐,燭舛砲茲觚甜伊C・覆ヌ修諒・爾・△襦・・w)お能について
お能は、八坂神社に古くから伝承されてきた特種神事である。社宝に、春日の作と伝わる能仮面(翁、千歳、三番叟)がある。
1、お能の構成
(1)、謡方:1名
(2)、囃方:7名(竜笛2、小鼓3、大胴1、締太鼓1)
(3)、舞方:4名(先きやり2、獅子舞1、八橋1)
謡方、笛吹き以外は小学生の子供たちで奉仕する。
2、お能の行事
(1)お宮めぐり:神幸祭に先立ち、お宮めぐりをする。
(2)神幸祭:神幸祭の渡御の先頭を陣羽織を着た先きやり2名が端尺付き笹で祓いながら先導し、裃を付けた囃方たちは、横笛を吹き謡を謡い、囃をしながら神輿のお供を奉仕する。厳粛な神幸の行列である。
(3)舞楽
@、先きやりの舞
A、八橋の舞
B、獅子舞:この獅子舞は、先槍を連れた八橋なる漁師が獅子を撃つ状の舞楽である。特に、この物語は、宍喰町に伝わる伝説によって組立てられたもので、獅子頭は赤みと言う獣の頭を特に使っている。

http://www.rinku.zaq.ne.jp/bkcwx505


題名:神の森遺跡: 7月2日 投稿者:神奈備

 三輪山山中の神の森遺跡

 狭井川の源流の谷に当たる。狭井神社の北側の池を回り込み、東へ行く。まず、神社がひとつ登場する。その北側を奥に入っていく。途中に北側に鳥居があり、それをくぐって行くとこの磐座が出てくる。

「神奈備にようこそ」
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