神奈備別荘 神奈備写真付き参詣掲示板 ログ

神奈備別荘

平成十九年 十一月
 投稿者の敬称は略します

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大神島 投稿者:神奈備 投稿日:2007年12月29日(土)19時20分16秒   返信・引用

 宮古島の北にある大神島は久高島と同じく一切の物を持ち出すことが禁じられている神の島です。この島の最高峰が遠見台で、ここで航海安全を祈る神事がなされていました。
 偶然に行き会い、立ち会わせて頂きました。神女の祈りの姿をはじめて見せて頂きました。約1時間一人の神女(一番向こうの方)が歌い続けました。
 終わった後は神女さん達は陽気に踊っていました。

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Re: 11/23:弥五郎祭り 投稿者:神奈備 投稿日:2007年11月26日(月)09時33分49秒
> No.336[元記事へ]

たんかんさ〜さんへのお返事です。

 お父上との同行、頭が下がります。

 神社にも時代の流れが押し寄せて来ており、コンクリート製の社殿も各地に出てきています。我々もこれにも慣れていかないとと思っています。

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11/23:弥五郎祭り 投稿者:たんかんさ〜 投稿日:2007年11月25日(日)21時30分50秒
日南市飫肥の「弥五郎祭り」見物しました。
これで3人兄弟全部拝見しました。
ついでに「吾平津姫」や「髪長姫」所縁の地もと思ったのですが 落日が早くて一箇所のみ。
鳥居側の大きい方は7mあるとか、子供らが曳くので小さい手前(5m)を曳いて 街中を廻ります。
早朝の遠来の客は私らだけ。午後から観光バスがわんさか入りましたが この神社を訪れる方も無く。。のどかな好い祭りでした。
弥五郎は大隈岩川八幡の映像あります。
http://hayato.com/

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Re: 赤ベト 投稿者:神奈備 投稿日:2007年11月20日(火)18時53分16秒
> No.334[元記事へ]

くずさんへのお返事です。

牟礼城とは城山のことのようですね。渡来人が適当に造った城かも。

白村江の戦いの後にできた古代山城は牟礼の名は見えません。
王権が造らせたゆえでしょうか。

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Re: 赤ベト 投稿者:くず 投稿日:2007年11月19日(月)18時52分42秒
> No.333[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

>  まさか、芭蕉ではないですよね。
違います。 一茶ならすぐ近くなんですけれどね^^
古池の名は、かつてこちらの池が雨乞いの水を頂く"種の池2だったからのようです。

>  牟礼の地名も気にかかります。

大田荘は地頭として信濃島津氏が領しました。薩摩島津氏の木牟礼城とか、島津義弘が落とせなかった豊後玖珠郡の角牟礼城とか、因縁でしょうかね^^
播磨国風土記に見える百済式の城"城牟礼"も関係ありましょうか。

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Re: 赤ベト 投稿者:神奈備 投稿日:2007年11月19日(月)15時51分49秒
> No.332[元記事へ]

くずさんへのお返事です。

> 古池の西側にある赤ベト(褐鉄鉱)の露天掘り跡を流れる小川。

 貴重な景色ありがとうございます。

 まさか、芭蕉ではないですよね。

 牟礼の地名も気にかかります。

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赤ベト 投稿者:くず 投稿日:2007年11月18日(日)17時47分52秒
古池の西側にある赤ベト(褐鉄鉱)の露天掘り跡を流れる小川。
現在も鉄バクテリアによる赤い沈澱が見られます。

この川が流れ込むのが鳥居川。鳥居川は信濃町、牟礼(現飯綱町)を流れ千曲川にそそぎます。
鳥居川が流れる牟礼から豊野の千曲川合流地点はかつての大田荘でした。

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種池と古池 投稿者:くず 投稿日:2007年11月18日(日)17時36分56秒
上の写真が戸隠神社、雨乞いの聖地、種池です。
小さな池ですがどれだけ日照りが続いてもけして枯れないと言われます。

下が古池。満々と水をたたえますが、これは堤防が造られているためで古くは今の種池のような姿であったと思います。正面に見える秀麗な山は黒姫山です。

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古墳と鳥居 投稿者:神奈備 投稿日:2007年11月14日(水)15時07分0秒
 nickさん、こんにちは。  
大和の古墳、特に宮内庁管轄の古墳には鳥居が建てられています。  
写真は昼は人が造り夜は神が造ったとされる箸墓古墳です。  
ほかにそれほど古くない墓にも鳥居が経っている所もあります。

 住吉大社の境内にも古墳が2〜3基はあります。
 神社の中には櫛玉比売命神社のように古墳から派生したものがあります。

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まさかと思ったが 投稿者:nick 投稿日:2007年11月13日(火)18時01分17秒
この秋地元の史跡探訪小旅行に参加し大隅半島の太平洋岸の古墳を。
何と古墳に鳥居が。上京してあちこち探訪しましたが、、
初めてのことで。。そういえば、彦火火出見尊のご陵墓「高屋山上陵」も 昔「鷹屋神社」が鎮座していたとか。
当地の古来からの古墳は案外神社を探した方が早いのかも。
http://hayato.com/

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対馬の天神多久頭魂神社 投稿者:神奈備 投稿日:2007年11月 7日(水)19時27分11秒
 対馬には古い形の神社が今日までそのままに近い状態で残っていました。
上県町佐護の天神多久頭魂神社がそうでした。延喜式内社です。
 写真は磐境です。他には鳥居と石塔がありますが、社殿はありません。

 安徳天皇が壇ノ浦から脱出し、対馬で一生を終えたとの伝承もありました。宮内庁管轄の陵墓参考地もあるそうです。

 話は変わりますが対馬で食べる魚の味は格別です。うまいというか濃いというか、大阪にはない味でした。

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Re: 10/30:桜島:月読神社 投稿者:神奈備 投稿日:2007年11月 5日(月)19時51分21秒
> No.322[元記事へ]

たんかんさ〜さんへのお返事です。

和銅年間の創立ですか。古社です。
山城の綴喜郡の大住の月読神社の元社となるのでしょう。
隼人舞の発祥の地は桜島??

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Re: 柳沢遺跡2 投稿者:神奈備 投稿日:2007年11月 5日(月)19時45分3秒
> No.324[元記事へ]

くずさんへのお返事です。

> 先に出土した銅戈2本と、銅鐸出土地手前の溝から見つかっている銅鐸の鰭部分が仮設展示室で見れました。
> 銅鐸は菱環紐式2式か、外縁付紐式1式という事で、紐部分も残っているようなので完全に掘り出されたら判明しそうです。いずれであっても古い様式の"聞く銅鐸"ですね。

 縄文時代から続く地域のようですね。紀元前タイプと思われる銅鐸の出土ですね。これから東日本でも発見が続くと面白い。

 まさか、畿内から信濃に誰かが銅鐸を持って落ち延びたのが出たと言うような物語では終わらせたくないですね。

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万関瀬戸 投稿者:神奈備 投稿日:2007年11月 5日(月)18時21分25秒   返信・引用
 対馬の中央の運河を云います。対馬海峡(対馬と本土の間)と朝鮮海峡(対馬と朝鮮との間)を直接つないで船がどちら側へでもすぐに行けるようにした運河。この運河のおかげでバルチック艦隊をやっつけるのに多いに働いたのです。
 深さは3mなので大きい軍艦は通れませんが、水雷艇が通れて、傾きかかったロシア艦の横っ腹を打ち抜いたのです。ここは水面下なので薄いのですが、傾いたので顔を出したのです。

 多くのロシア兵が対馬の海岸に泳ぎ着きました。人々は彼らを助けて介抱したようです。

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柳沢遺跡2 投稿者:くず 投稿日:2007年11月 5日(月)09時07分17秒   返信・引用
先に出土した銅戈2本と、銅鐸出土地手前の溝から見つかっている銅鐸の鰭部分が仮設展示室で見れました。
銅鐸は菱環紐式2式か、外縁付紐式1式という事で、紐部分も残っているようなので完全に掘り出されたら判明しそうです。いずれであっても古い様式の"聞く銅鐸"ですね。

上の写真は現在の状況。出土地の南(写真奥側)は金属探知機をかけて反応なかったそうですが、
出土地北側(写真手間)はこれからかけるそうなので、さらに発見される可能性もあるとの事でした。
下の写真は遺跡から見る高社(こうしゃ)山。地元では(たかやしろとも言ってます)
奇岩のある山で、5世紀末の高社山が祭祀対象と思われる大ロフ遺跡が知られています。
神奈備山でしょうか。
近くに式内社に比定される高社神社(祭神、少那彦名之命)があります。

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柳沢遺跡1 投稿者:くず 投稿日:2007年11月 5日(月)08時40分25秒
先日銅戈7本と銅鐸(破片2点)が発見された長野県中野市柳沢遺跡の現地見学会に行ってきました。
柳沢遺跡は中野市北部、千曲川と夜間瀬川の合流点からほどちかくにあり、善光寺平の北の外れ、日本海側から千曲川(信濃川)を溯ると(善光寺平の)入口と言っても良い場所です。

上写真の川は千曲川で、左手奥が銅戈・銅鐸の出土場所。
下写真の中央のテント下が出土場所。

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