神奈備別荘 神奈備写真付き参詣掲示板 ログ

神奈備別荘

平成二十年 五月〜七月二四日
 投稿者の敬称は略します

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入水自殺説もあるようですね。 投稿者:PONTA 投稿日:2008年 7月24日(木)02時33分58秒
http://www15.ocn.ne.jp/~ninomiya/rekisipage.html
に「この時人麻呂は自ら川に身を投じ入水自殺したとも言われています。(二宮町 山藤朝之 談)」とありますね。

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柿本人麻呂 投稿者:PONTA 投稿日:2008年 7月24日(木)02時27分56秒
梅原猛氏は、「入水自殺」ではなく、処刑された(水死の刑に処せられた)と万葉歌から想像しておられるようですけどね。
http://www.nagaitosiya.com/a/kakinomoto_hitomaro.html

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??? 投稿者:PONTA 投稿日:2008年 7月24日(木)02時17分6秒
>「入水」という記述が柿本人麻呂関係にありますが、

どこにそんなことが書いてありましたか?
柿本人麻呂は「日本書紀」にも「続日本紀」にも出てこない、つまり、「正史」と呼ばれる歴史書には出てこない人物ですので、いつどこでどういう死に方をしたのか記録に無いので分かりません。
伝説によれば、島根県益田市の沖にあった鴨島で死んだとされています。どういう死に方かは分かっていません。この鴨島は地震とそれによる津波で水没したようで、現在は海の底です。それを「入水」と勘違いされているのでしょうか?

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Re: 他の掲示板で 投稿者:多美多美 投稿日:2008年 7月23日(水)08時40分2秒
> No.417[元記事へ]

PONTAさんへのお返事です。

> >大将は戦後処理の直前に山中で自刃したとあったので、
>
> どこにそんなことが書いてありましたか?
> 江戸時代の武士の自害(自殺)方法は切腹ですが、当時の貴人の自殺方法は首吊りですよ。


PONTAさん

ご指摘ありがとうございます。

確かに、小子部連サイチは自殺とあり、大友皇子は自ら首をくくったとありました。

「入水」という記述が柿本人麻呂関係にありますが、海と山とで自害方法が違うのでしょうか?

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今日は7/23 投稿者:PONTA 投稿日:2008年 7月23日(水)05時52分23秒
7/23といえば・・・
http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2007/07/post_4783.html

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Re: 他の掲示板で 投稿者:多美多美 投稿日:2008年 7月23日(水)08時40分2秒
> No.417[元記事へ]

PONTAさんへのお返事です。

> >大将は戦後処理の直前に山中で自刃したとあったので、
>
> どこにそんなことが書いてありましたか?
> 江戸時代の武士の自害(自殺)方法は切腹ですが、当時の貴人の自殺方法は首吊りですよ。


PONTAさん

ご指摘ありがとうございます。

確かに、小子部連サイチは自殺とあり、大友皇子は自ら首をくくったとありました。

「入水」という記述が柿本人麻呂関係にありますが、海と山とで自害方法が違うのでしょうか?

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他の掲示板で 投稿者:PONTA 投稿日:2008年 7月23日(水)05時37分29秒
>大将は戦後処理の直前に山中で自刃したとあったので、

どこにそんなことが書いてありましたか?
江戸時代の武士の自害(自殺)方法は切腹ですが、当時の貴人の自殺方法は首吊りですよ。

7/23といえば・・・
http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2007/07/post_4783.html

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Re: 多美多美さんへ 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 7月21日(月)13時56分35秒
> No.415[元記事へ]

多美多美さんへのお返事です。

 PONTAさんの的確なアドバイスありがとうございます。

 多美多美さんの疑問は、天武天皇本人も不思議に思って何か隠し事でもと疑っていますが、その疑問へのアプローチとして提出された課題です。草薙の劔の件での自殺なら、壬申の乱で天武天皇に見方をせずに近江方についておけば、それでよかったのでは。
 尾張国司小子部連?鉤さんは勝敗を左右する2万人の兵士を動員できる立場を持っていたのですから。

 一つは上記の子ともあってか、近江方か天武方かを決めるのに時間がかかりすぎているように思います。5月26日に村国連男依は3千人の軍勢を集めて不破の道を防いでその手柄を褒められ、後には神様として村国真墨田神社などに祀られています。
 一方、小子部連さんは翌月17日にやっと戦線に加わります。20日間も迷っていたということ。かつ2万の兵は天下を取れる軍勢です。天武側による暗殺も考えられますね。

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Re: 多美多美さんへ 投稿者:多美多美 投稿日:2008年 7月21日(月)13時23分37秒
> No.414[元記事へ]

PONTAさんへのお返事です。

> 私はこの掲示板の管理人ではありませんが、ここは写真掲示板ですので、「日本書紀」の記載や、草薙剣についての疑問は、他の掲示板に書かれた方がいいですよ。


大変申し訳ありません。
日本書紀の天武記に尾張軍2万が参加し功績をあげたが、大将は戦後処理の直前に山中で自刃したとあったので、何か尾張熱田神宮草薙剣とかかわりがあるのではないか・・・・。

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多美多美さんへ 投稿者:PONTA 投稿日:2008年 7月20日(日)20時17分35秒
私はこの掲示板の管理人ではありませんが、ここは写真掲示板ですので、「日本書紀」の記載や、草薙剣についての疑問は、他の掲示板に書かれた方がいいですよ。

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(無題) 投稿者:PONTA 投稿日:2008年 7月20日(日)20時15分22秒
>そもそも日本書紀の記述に???です。

何が「???」なのか理解できません。
「日本書紀」は歴史書ですから、こういう事件があった(「是歳。沙門道行盗草薙剣、逃向新羅。而中路風雨。荒迷而帰」(この年、僧道行が草薙剣を盗んだ。新羅に向かって逃げたが、その路の途中で風雨が荒れ、迷って帰ってきた。))と書いてあるわけで、何の不思議でもないですよ。

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Re: 草薙剣盗難事件 投稿者:多美多美 投稿日:2008年 7月16日(水)18時45分29秒
> No.411[元記事へ]

PONTAさんへのお返事です。

> 概要
>
> 『日本書紀』天智天皇紀には668年(天智天皇7年)のこととして、「是歳。沙門道行盗草薙剣、逃向新羅。而中路風雨。荒迷而帰」(この年、僧道行が草薙剣を盗んだ。新羅に向かって逃げたが、その路の途中で風雨が荒れ、迷って帰ってきた。)と記載されている。

いわゆる「公式見解」ということでしょうか?


> 熱田神宮の社伝では、新羅の僧・道行が、熱田神宮を参詣した折、清雪門より内部に侵入し、草薙剣を盗み出したとなっている。(この事件以来、清雪門は「不開門(あかずのもん)」と呼ばれ、閉ざされたままとなっている。)道行は草薙剣を持って祖国の新羅に渡ろうとしたが、嵐により果たせず失敗に終わったとする点は『日本書紀』と同じである。

熱田神宮と朝廷、双方の合意ですか?



> 社伝によると道行はその後捕らわれの身となり、草薙剣は宮中で預かることになった。686年(朱鳥元年)になって、草薙剣は熱田神宮に返還された。ただしこれは、天武天皇が草薙剣の祟り(合理的に解釈するならば熱田側からの圧力や反乱)によって病を得て崩御したことがきっかけであったとされる。

「壬申の乱」で『天武天皇』に味方した尾張一族への配慮?


> 道行の経歴

> 道行は新羅王族の末裔といわれている。霊験あらたかな草薙剣を盗んで新羅の物にすれば、その神通力で新羅が強国になることができるというのが動機であった。

この動機には納得できない。子供騙しのいい訳か?



> 逮捕後、道行は博多で斬首されたとも、赦免されて愛知県知多市の法海寺を開いたともいわれている。

このような情報流布?によって真相は迷宮へ。



> 解釈

> 上述のように道行が赦免されたのだとすると、この事件はそもそも天智天皇の自作自演だった可能性がある、という説もある。つまり、日本武尊が独断で宮簀媛に預け、結果的に手放すことになってしまった草薙剣を取り返すべく、道行を買収したわけである。この場合、天智天皇が法海寺建立を許可したのはその褒美ということになる。確かにこの説に従えば、668年から686年までの18年間も剣を返還せずに占有していた不自然さは解消できるだろう。そもそも、事件後に草薙剣を宮中で預かったのが正当な処置であるのなら、天武天皇が草薙剣の祟りに見舞われるはずなどないとも言える。

概ね納得できる。


そもそも日本書紀の記述に???です。

???の研究には「古事記」に代わる「日本書紀」!

”土用には ウナギに換わる ギョウザかな”とはいえ、ウナギもギョウザも偽装で大変

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草薙剣盗難事件 投稿者:PONTA 投稿日:2008年 7月15日(火)07時09分1秒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

草薙剣盗難事件(くさなぎのつるぎとうなんじけん)は、668年(天智天皇7年)に発生した盗難事件。熱田神宮の神体である草薙剣が盗まれた事件である。

概要
『日本書紀』天智天皇紀には668年(天智天皇7年)のこととして、「是歳。沙門道行盗草薙剣、逃向新羅。而中路風雨。荒迷而帰」(この年、僧道行が草薙剣を盗んだ。新羅に向かって逃げたが、その路の途中で風雨が荒れ、迷って帰ってきた。)と記載されている。 熱田神宮の社伝では、新羅の僧・道行が、熱田神宮を参詣した折、清雪門より内部に侵入し、草薙剣を盗み出したとなっている。(この事件以来、清雪門は「不開門(あかずのもん)」と呼ばれ、閉ざされたままとなっている。)道行は草薙剣を持って祖国の新羅に渡ろうとしたが、嵐により果たせず失敗に終わったとする点は『日本書紀』と同じである。 社伝によると道行はその後捕らわれの身となり、草薙剣は宮中で預かることになった。686年(朱鳥元年)になって、草薙剣は熱田神宮に返還された。ただしこれは、天武天皇が草薙剣の祟り(合理的に解釈するならば熱田側からの圧力や反乱)によって病を得て崩御したことがきっかけであったとされる。 なお、大阪市の放出(はなてん)という地名は、道行が神罰(嵐)を怖れ、草薙剣を放り出したことが由来(はなつて→はなて→はなてん)とする説があり、同地にはその伝承を伝える阿遅速雄(あぢはやお)神社がある。

道行の経歴
道行は新羅王族の末裔といわれている。霊験あらたかな草薙剣を盗んで新羅の物にすれば、その神通力で新羅が強国になることができるというのが動機であった。 逮捕後、道行は博多で斬首されたとも、赦免されて愛知県知多市の法海寺を開いたともいわれている。

解釈

上述のように道行が赦免されたのだとすると、この事件はそもそも天智天皇の自作自演だった可能性がある、という説もある。つまり、日本武尊が独断で宮簀媛に預け、結果的に手放すことになってしまった草薙剣を取り返すべく、道行を買収したわけである。この場合、天智天皇が法海寺建立を許可したのはその褒美ということになる。確かにこの説に従えば、668年から686年までの18年間も剣を返還せずに占有していた不自然さは解消できるだろう。そもそも、事件後に草薙剣を宮中で預かったのが正当な処置であるのなら、天武天皇が草薙剣の祟りに見舞われるはずなどないとも言える。

参考文献

* 熱田神宮所蔵『宝剣御事 1巻』(備前阿闍利心範の書写)

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飯玉神社 投稿者:多美多美 投稿日:2008年 7月14日(月)22時34分53秒
「飯玉神社」
太田市宝町(旧宝泉村)に在る。(宝泉=新田氏銘銘)

祭神
宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)
狭依毘賣命(サヨリヒメノミコト)
多紀都毘賣命(タキツヒメノミコト)
素箋鳴命(スサノヲノミコト)

境内神社
増殿神社 大己貴神(オオナムチノカミ)
浅間神社 木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)

由緒
創立不詳 神階従五位上
旧社格  村社 明治五年十一月列格

とあります。

本社は伊勢崎市堀口町にあるが祭神に著しい違いがあります。

旧「宝泉」村は新田氏の縁、近くに「新田遺跡」が在る。


祭神は、紆余曲折、政情に翻弄されるのか?

ところで、

「草薙剣」は天智七年(668)、『沙門道行(ほうしどうぎょう)、草薙剣を盗みて、新羅に逃げ向く。而して中路にて雨風荒れ、迷いて帰る』。と、日本書紀にありますが、これはどういうことなんでしょうか?

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(無題) 投稿者:PONTA 投稿日:2008年 7月13日(日)11時58分30秒
>「伊勢神宮」というのは通称で、正式名称が「神宮」なんです。

正式名の「神宮」と言わずに、地名を頭につけて「伊勢神宮」と通称で言うのは、「神宮」が熱田神宮とか、鹿児島神宮とか、複数あるので、区別するためかな。「神明宮」や「八幡宮」も頭に地名をつけて、「●●神明宮」「●●八幡宮」と通称で呼んで、その通称が正式名称になってしまった神明宮や八幡宮があります。

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レス 投稿者:PONTA 投稿日:2008年 7月11日(金)03時05分53秒
>単に 神宮 と言うと伊勢神宮のことを示すようです。
とういか、「伊勢神宮」というのは通称で、正式名称が「神宮」なんです。

>三種の神器には 宿ると考えてもいいのかも。
「天照大神=天皇の祖先、三種の神器=天孫降臨の時に天孫であるあかしとして私だと思ってそばに置けと天照大神が持たせたもの」であれば、三種の神器には天照大神が宿っていると考えられますね。
しかし、天照大神が持たせたものが何であるか明記されていませんし、実際に神武天皇がニギハヤヒに天孫であるあかしとして見せたのは矢です。
3つの部族をまとめた議長が天皇であり、3つの部族の象徴を取り上げたものが三種の神器という説もあります。草薙剣でいえば、天武天皇がそばに置いたら祟られたので、熱田神宮に返したとあります。草薙剣に宿る熱田大神が天照大神であるならば、その子孫の天武天皇をたたるわけが無いです。天武天皇が天照大神の子孫で無いなら分かりますが。

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Re: 神宮 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 7月10日(木)08時11分22秒
> No.402[元記事へ]

PONTAさんへのお返事です。

> 熱田神社の場合は、御祭神の熱田大神の正体を「草薙剣に宿る天照大神」とすることによって「神宮」と名乗ることを許されるわけですが・・・実際には、熱田大神は天照大神ではないでしょうね。天照大神は鏡になら宿ると思いますが・・・。


単に 神宮 と言うと伊勢神宮のことを示すようです。

三種の神器には 宿ると考えてもいいのかも。

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神宮 投稿者:PONTA 投稿日:2008年 7月 9日(水)22時47分27秒
熱田神社が熱田神宮に名前を変えようとしたときに、伊勢神宮に反対されました。伊勢神宮としては、「神宮」というのは伊勢1社にしたいのでしょうね。
熱田神社の場合は、御祭神の熱田大神の正体を「草薙剣に宿る天照大神」とすることによって「神宮」と名乗ることを許されるわけですが・・・実際には、熱田大神は天照大神ではないでしょうね。天照大神は鏡になら宿ると思いますが・・・。

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Re: 宮 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 7月 9日(水)22時14分14秒
> No.399[元記事へ]

PONTAさんへのお返事です。

> 「池宮神社」も「星宮神社」も「池宮」「星宮」でいいと思います。
> ただ、「宮」とすると、「御所、皇居」の意味になってしまうので、いるのは天皇ではなく、神だとして、「神宮」すればいいのですが、「池神宮」「星神宮」とは多分、圧力がかかって出来ないので、「神社」を付けたのでしょうね。

 現在、神宮は皇室の祖先を祭る神社に限定しているようです。香取鹿島は昔からの伝統でつけているようです。

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(無題) 投稿者:PONTA 投稿日:2008年 7月 9日(水)16時41分36秒
>宮崎駿監督「もののけ姫」に、狩猟族が鹿のお面の装束で狩をする場面があります。

この像は、この神社のお祭りの「鹿舞(ししまい)」の装束だと思います。
「しし(鹿、猪、熊)」の格好をしての踊りは、古代の日本では全国各地で行われていて、それを宮崎駿監督が取り入れたのでは?

「日本書紀」に西暦612年、中国の伎楽が伝えられたとあります。この時、中国の獅子舞が日本に伝えられ、中国伝来の「獅子(しし)舞」と、日本固有の「しし(鹿、猪、熊)舞」が混在するようになりました。現在では、神社のお祭りの時は日本固有の「しし(鹿、猪、熊)舞」、正月は中国伝来の「獅子(しし)舞」って感じですが、地域差もあり、東北、北陸は鹿舞、鳥取、兵庫は麒麟獅子、東北と関東の太平洋側は虎舞、関東、関西、四国、九州、上信越あたりは獅子舞が多いようです。また、古代からの「しし(鹿、猪、熊)舞」を伝えている神社は少なく、ほとんどの「しし(鹿、猪、熊)舞」が「熱田派獅子神楽」か「伊勢派獅子神楽」で、今から200〜450年程前の江戸時代から始められていることから、江戸時代に「しし舞」ブームがあったと推測されます。

>浅間神社の祭主は「木花開耶姫」ということと何か関係があるのでしょうか?

鹿舞は、古代の日本では広く行われていて、浅間神社だから、木花開耶姫だからということはないでしょう。しいて言えば、山の神の娘に、「山でたくさん鹿がとれるようにお父さんに頼んで」「毎年、たくさんの鹿を山でとってしまってすみませんとお父さんに伝えて」ってところでしょうか。

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宮 投稿者:PONTA 投稿日:2008年 7月 9日(水)16時20分43秒
「池宮神社」も「星宮神社」も「池宮」「星宮」でいいと思います。
ただ、「宮」とすると、「御所、皇居」の意味になってしまうので、いるのは天皇ではなく、神だとして、「神宮」すればいいのですが、「池神宮」「星神宮」とは多分、圧力がかかって出来ないので、「神社」を付けたのでしょうね。

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Re: 鹿舞 投稿者:多美多美 投稿日:2008年 7月 9日(水)07時52分17秒
> No.394[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

> PONTAさんへのお返事です。
>
> > 下の写真のアップ
>
> 狛人間が牛でしょうか、帽子をかぶっている・・・
> 珍しい!


「記紀の考古学」森浩一著・朝日文庫の第13章『応神天皇と日向の髪長媛』に”鹿の角をつけて海に浮かんできて、播磨の鹿子水門(かこのみなと)に入った”とあります。 「応神紀」13年条の異説にこの件があります。

浅間神社の祭主は「木花開耶姫」ということと何か関係があるのでしょうか?

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Re: 鹿舞 投稿者:多美多美 投稿日:2008年 7月 8日(火)18時23分39秒
> No.394[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

> PONTAさんへのお返事です。
>
> > 下の写真のアップ
>
> 狛人間が牛でしょうか、帽子をかぶっている・・・
> 珍しい!


宮崎駿監督「もののけ姫」に、狩猟族が鹿のお面の装束で狩をする場面があります。
この辺にヒントがあるかも。

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Re: 鹿舞 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 7月 8日(火)08時48分8秒
> No.392[元記事へ]

PONTAさんへのお返事です。

> 下の写真のアップ

狛人間が牛でしょうか、帽子をかぶっている・・・
珍しい!

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Re: 星宮神社「香香背男命」 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 7月 8日(火)08時44分54秒
> No.388[元記事へ]

多美多美さんへのお返事です。

> 上野・下野に10社ある「香香背男」を祀るという栃木県下都賀郡岩舟町静4165に在る「星宮神社」(神奈備より)

紹介ありがとうございます。

岩舟町静858 にも同名の神社がありますが、祭神は瓊瓊杵命となっていますね。

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鹿舞 投稿者:PONTA 投稿日:2008年 7月 8日(火)04時00分38秒
神社には狛犬があるものだと思っていたけど、無い神社もかなりあるらしい。
稲荷では狐、春日神社では鹿ですが、この神社(浅間神社)では・・・

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星宮神社「香香背男命」 投稿者:多美多美 投稿日:2008年 7月 7日(月)21時49分38秒
追加

栃木県下都賀郡岩舟町静(東北自動車道「佐野藤岡インター」近く)、国道50号の南に位置する農村地帯、当社は「羽抜地区」氏子で祀られている模様。 ひっそりとした杜の中に在ります。

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星宮神社「香香背男命」 投稿者:多美多美 投稿日:2008年 7月 7日(月)21時24分24秒
上野・下野に10社ある「香香背男」を祀るという栃木県下都賀郡岩舟町静4165に在る「星宮神社」(神奈備より)

日本書紀に悪しき神と記述されている「天津甕星(天香香背男)」が崇神天皇の皇子「豊城入彦」の治める上野・下野に祀られているということを書かれた古代史ファンの本で興味を持ち訪問。

同じ栃木県足利市には「星の宮神社」というのがあるらしいが、香香背男とは無関係らしい。

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Re: 大きな鳥居 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 7月 7日(月)14時44分9秒
> No.386[元記事へ]

PONTAさんへのお返事です。

> 池宮神社
> 池の畔の神社だから「池宮」だと思う。
> 池宮神社は「馬から落馬」って感じ?

和歌山に濱宮があります。豊鍬入姫が天照大神を奉じてやってきたとの伝承があります。ここは濱宮です。
池宮さんは以下の由緒
静岡県小笠郡浜岡町佐倉5162
桜ヶ池は約二万年前にできた砂丘堰止湖で、その面積は約二万平方メ−トルである。三方を原生林にかこまれ南に海が開けている。この池は太古から信仰の対象となってきた。池の畔の池宮神社は敏達天皇の御代約1,400年前の創建で人々の厄災を除く瀬織津姫命、福の神の事代主命、健康長寿の守り神武御名方命をお祭りする。浄土宗の開祖法然上人のお師匠で当時比叡山きっての高僧だった皇円阿ジャ梨は長く衆生を救い続けるため、寿命の長い龍蛇に化して桜ヶ池に入られた。今から約800年前のことである。お弟子の法然上人は、後に桜ヶ池を訪れ、恩師の供養のためにお櫃に強飯をつめて池中に納められた。これがお櫃納めの起源である。お櫃納めの祭典は、秋の彼岸の中日に行われる。信仰厚い地元青年十数名が5日5夜、遠州灘の荒波で身を清め赤飯入りのお櫃約100個を池底深く沈める儀式で、当日は全国各地から参拝客数万人でにぎわい、遠州7不思議の筆頭にあげられる天下の奇祭である。

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大きな鳥居 投稿者:PONTA 投稿日:2008年 7月 6日(日)22時37分14秒
池宮神社
池の畔の神社だから「池宮」だと思う。
池宮神社は「馬から落馬」って感じ?

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大和と河内をつなぐ峠 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 7月 6日(日)08時55分44秒
古代に遡る峠

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安閑石 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 7月 1日(火)16時18分25秒
 豊国文字には、大屋彦が作ったとか五十猛が作ったとの説があります。
 興味津々、写真掲示板に安閑石を載せました。

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Re: 不思議な遥拝所ほか 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 6月21日(土)18時27分4秒
> No.382[元記事へ]

>  枚方の意賀美神社に行きました。神社は神奈備さんのホームページに出ております。拝殿の裏に明治神宮遥拝所があります。なぜか方角は北西(高槻市)を向いていました。

 すりかえられた お話につながるとしたら、これは面白いことになりますね。

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不思議な遥拝所ほか 投稿者:佐々木 投稿日:2008年 6月20日(金)15時43分20秒
 枚方の意賀美神社に行きました。神社は神奈備さんのホームページに出ております。拝殿の裏に明治神宮遥拝所があります。なぜか方角は北西(高槻市)を向いていました。
 その後、合祀された日吉神社址を見てきました。日吉神社付近は、今は枚方市駅と同じ平野面ですが、それまでは台地(別子山、鈴見ヶ丘)で明治元年ごろ淀川堤防補強のために、土取場になってならされたとのことでした。へたな写真ですいません。

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サライ2001年第17号から 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 6月17日(火)21時33分18秒
鳥居の型式の早わかり。

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サライ2001年第17号から 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 6月17日(火)21時32分12秒
鳥居の部分

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Re: 天満宮址ほか 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 5月29日(木)08時38分58秒 > No.378[元記事へ]

佐々木さんへのお返事です。

>  京阪樟葉駅と橋本駅の間
楠葉駅北500−600mあたりですね。
さすがに国土地理院の地図には鳥居マークがあります。
ありがとうございました。

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天満宮址ほか 投稿者:佐々木 投稿日:2008年 5月28日(水)20時06分40秒   返信・引用
 京阪樟葉駅と橋本駅の間、線路沿いに見慣れない鳥居が見えたので、途中下車してきました。ひとつは町楠葉(旧小字大鳥部町)の樟葉天満宮の址・大松の碑とその隣りの橘大神、寿弁財天、もうひとつはさらに東行くと大きな楠(枚方市指定)の下にあった楠玉明神です。町楠葉は東海道が通っていて紀州徳川家の本陣があった宿場町です。次が橋本遊郭です。

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難波津加筆してみました。 投稿者:佐々木 投稿日:2008年 5月24日(土)11時01分28秒
大江という名の港を3つ考えました。大兄とすると中大兄、山背大兄、古人大兄の3人にも相当する。わけないでしょうが。

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復元図 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 5月23日(金)21時19分53秒
古代の大阪市北部の復元図が雑誌『葦火』(大阪市の考古学会誌)113号に、寺井学芸員(大阪歴博)の労作を発見しましたので、写真を載せましたのでご覧下さい。

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大垣内神社 投稿者:佐々木 投稿日:2008年 5月21日(水)23時13分29秒
枚方市大垣内にひっそり立地する神社です。こちらも百済王神社と書いてありました。境内には稲荷社と百度石があり、柱の礎石が4つほどありました。何か別の建造物があったことを推定させます。

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四天王寺の元三大師堂 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 5月20日(火)19時37分9秒
おみくじの創始者だそうです。

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Re: 雅楽奉納 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 5月 7日(水)08時18分19秒
ZOUさん きれいな写真ありがとうございます。

> 雅楽の奉納演奏が行われていました。得した気分♪

メンバーの中にミエコさんがおられたの鴨。

吉野裕子さん、孤高の蛇の道はヘビの方でしたね。

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素戔嗚神社:子供頭屋 投稿者:ZOU 投稿日:2008年 5月 7日(水)02時13分13秒   返信・引用
連続で失礼いたします。
5月5日というのは、奈良では藁で蛇体を作る祭りがやたらと多く行われる日です。
こちらは天理市新泉の素戔嗚神社(大和神社本殿すぐ南)から。
巻きつけられたそれはムカデの形ですが「ジャ」と呼ぶそうです。
蛇といっても大物主神とは関係なさそうです。
先ごろ亡くなられた吉野裕子氏が、蛇関係はかなり研究されてましたね。

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雅楽奉納 投稿者:ZOU 投稿日:2008年 5月 7日(水)01時55分2秒   返信・引用
神奈備さん、皆さん、こんにちは。
5月5日、たまたま高鴨神社を訪れたら、
雅楽の奉納演奏が行われていました。得した気分♪

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「神奈備にようこそ」
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