神奈備別荘 神奈備写真付き参詣掲示板 ログ

神奈備別荘

平成二十年 七月二五日〜九月
 投稿者の敬称は略します

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慶応元年 長崎の上野彦馬写真館にて 投稿者:多美 投稿日:2008年 9月30日(火)20時00分45秒
フルベッキ博士と”玉”大室寅之祐を囲む志士たちとされる写真”
(慶応元年 長崎の上野彦馬写真館にて)

日本史のタブーに挑んだ男・鹿島昇ーその業績と生涯、より


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Re: 慶応元年 長崎の上野彦馬写真館にて 投稿者:PONTA 投稿日:2008年 9月30日(火)20時50分50秒
> No.477[元記事へ]

多美さんへのお返事です。

> フルベッキ博士と”玉”大室寅之祐を囲む志士たちとされる写真”
> (慶応元年 長崎の上野彦馬写真館にて)

おお、これは有名な「フルベッキ写真」ですね。
本当の明治天皇は暗殺され、南朝の大室寅之祐に入れ替わったという話ですね。

http://www3.ocn.ne.jp/~sigikain/meijisyasin.html

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鹿島昇・その業績と生涯 投稿者:多美 投稿日:2008年 9月30日(火)19時47分29秒
「日本史のタブーに挑んだ男」鹿島昇ーその業績と生涯、松重楊江著

”明治天皇はすり替えられた””鹿島説を裏付ける衝撃写真を掲載”・・・・。

これは、スゴイ!

「桓檀古記」「東日流外三郡誌」「秀真伝」など肯定する。

著者は、鹿島昇信奉者らしい。

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「秀真伝」が明かす超古代の秘密 投稿者:多美 投稿日:2008年 9月30日(火)09時16分18秒
鳥居 礼著「秀真伝」が明かす超古代の秘密・記紀では解けない日本神話の真相

著者は画家とのこと

何でも江戸時代に発見された文献らしい。

オオタタネコ、景行天皇の時代に書かれたということらしいが、とてもそのようには思えなかった。
世の中色々、古代史も色々、ということでしょうか。
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Re: 「秀真伝」が明かす超古代の秘密 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 9月30日(火)13時51分39秒
> No.472[元記事へ]

多美さんへのお返事です。

> 世の中色々、古代史も色々、ということでしょうか。

 滋賀県高島市安曇川町の田中神社内の摂社になっている三尾神社に秀真政伝(ほづままつりづたへ)が伝わっていたと言われています。
 古代の文献なら甲音、乙音とされる区別があってしかるべきですが、これには見あたりません。区別のなくなってきた中世以降の産物でしょう。

--------------------------------------------------------- Re: 「秀真伝」が明かす超古代の秘密 投稿者:PONTA 投稿日:2008年 9月30日(火)17時59分41秒
> No.472[元記事へ]

多美さんへのお返事です。

> 鳥居 礼著「秀真伝」が明かす超古代の秘密・記紀では解けない日本神話の真相

「秀真伝」で特筆すべきPOINTは、PONTA的には、日本の大王は太陽神・ニギハヤヒで、その正妻は瀬織津姫としている点です。
ニギハヤヒは記紀に数箇所登場、瀬織津姫は皆無です。これは、記紀が太陽神をニギハヤヒという男神から天照大神という女神に変えたので、ニギハヤヒと瀬織津姫は抹殺されたとのことです。

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邪馬台国の会 投稿者:多美 投稿日:2008年 9月29日(月)22時09分11秒
行ってきました。9月28日(日)。

安本美典氏主宰の「邪馬台国の会」の定期講演会。

会場の文化シャッター(東証一部上場)本社ビルBX多目的ホール、二階、席数240程度。

都営三田線「春日駅」A6出口から2〜3分。

午後1時30分開演。

満席。

安本美典氏開演の挨拶も、「邪馬台国の会」の会長の挨拶省略(会場に居たらしいが)、
特別講演ゲストとして、歴史学博士「柳田康雄(國學院大學教授)」の『伊都国と邪馬台国』テーマ2時間講演。
3時45分から安本美典氏の解説と両者の討論会、午後5時前終了。

安本氏『邪馬台国論は一人一説』の様相である。の発言に興味。

柳田康雄氏は、九州の平原古墳などの現場担当の主力学者とのこと。

季刊誌「邪馬台国」責任編集者、定期講演会など、の雰囲気から安本美典氏、取り敢えず盤石らしい。

が、素人なんで業界の深部など・・・・。

今後の研究課題としたいと思います。

他の講演会等も参加したいと思います。

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浅間山 投稿者:多美 投稿日:2008年 9月27日(土)21時45分0秒
天武紀14年条3月(686年)

『この月、信濃国に灰が降って草木がみな枯れた。』浅間山噴火とある。

草津温泉から浅間山をみる。


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Re: 浅間山 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 9月28日(日)21時21分13秒
> No.468[元記事へ]

多美さんへのお返事です。

持統・天武さん方は都を信濃にとの考えがあって人をやって調査をさせています。

このような噴火が近くで起こるとその考えも吹っ飛んだのかも。


いずれにしても、見事なお写真、誠のありがとうございます。見応えがあります。

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雲海 投稿者:多美 投稿日:2008年 9月27日(土)21時25分14秒
雲海

草津温泉「雲海」

日本武尊の東征紀によれば、白根隠しからこのような雲海を見たと思われます。が。

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蘇我氏の正体 投稿者:多美 投稿日:2008年 9月27日(土)13時57分51秒
歴史作家、関裕二著「蘇我氏の正体」

天日槍=蘇我氏=天皇家

真偽はともかくとして、邪馬台国・天孫降臨・神武東征・ヤマト王朝、などを一体として考える、とういう説には納得できるところがあります。
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Re: 蘇我氏の正体 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 9月27日(土)15時14分20秒
> No.465[元記事へ]

多美さんへのお返事です。

> 歴史作家、関裕二著「蘇我氏の正体」
>
> 天日槍=蘇我氏=天皇家
>
> 真偽はともかくとして、邪馬台国・天孫降臨・神武東征・ヤマト王朝、などを一体として考える、とういう説には納得できるところがあります。


蘇我蝦夷が大臣の地位を息子の入鹿に与えていますが、これは蝦夷が天皇であった証です。蘇我氏=天皇家 は可能性が大きいかも。
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Re: 蘇我氏の正体 投稿者:PONTA 投稿日:2008年 9月30日(火)02時51分37秒
> No.465[元記事へ]

多美さんへのお返事です。

> 歴史作家、関裕二著「蘇我氏の正体」
> 天日槍=蘇我氏=天皇家
> 真偽はともかくとして、邪馬台国・天孫降臨・神武東征・ヤマト王朝、などを一体として考える、とういう説には納得できるところがあります。

関裕二さんのデビュー作の「聖徳太子は蘇我入鹿である」は読みました。
中国の使者が日本国王に会って・・・それが男性で・・・
当時の日本国王=天皇は、推古天皇=女性だったわけで・・・
この矛盾を説く方法は、
(1)聖徳太子は摂政ではなく天皇(上宮天皇)だった。
(2)日本国王(男)は奈良ではなく、北九州にいた。(九州王国=倭国説。九州王国=日本は白江村の敗戦で勢力が衰え、日本国奈良支所が勢力を蓄えて、日本国を名乗るようになった。)
(3)使者が嘘の報告をした。
(4)使者に日本国王で無い人物を日本国王として紹介した。
ですが、「聖徳太子は蘇我入鹿である」の結論は、確か、「日本国王=天皇=蘇我蝦夷、蘇我入鹿=蘇我善徳(本名)=聖徳太子」だったかと。

PONTA説は、「スサノオ(出雲国須佐の王)」と「アマテラス(卑弥呼)」の孫が神武天皇=天皇家です。スサノオの本名は、蘇我・・・なので、PONTA説だと、天皇家=蘇我氏ってことになっちゃいます。天皇家はリーダー=各豪族の和を図る役で、財政基盤は皇后家(物部氏)です。皇后が強大な力を持つ巫女であれば最高です。

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日本書紀の謎を解く 投稿者:多美 投稿日:2008年 9月26日(金)06時19分6秒
森 博達(ひろみち)著「日本書紀の謎を解く」述作者は誰か

専門的な内容なので素人には面倒?でしたが、「憲法十七条」は太子の真作か、との件は、とても感動しました。森氏の詳細を極めた解説によると日本書紀巻22推古紀に書かれているものは、恐らく天武以降のものだ。といっています。

潤色加上を証明する一書か。

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安本美典 投稿者:多美 投稿日:2008年 9月23日(火)21時24分58秒
”古代九州王朝はなかった”安本美典著

いや〜スゴイですね!

古田武彦氏を徹底的に叩いています。
誹謗中傷罵詈雑言魑魅魍魎百鬼夜行・・・・・。
本書を読めば九州王朝説はいかがわしいと納得してしまいますね。
しかし、安本説にも?ですね。
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Re: 安本美典 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 9月25日(木)10時31分13秒
> No.460[元記事へ]

多美さんへのお返事です。

> 誹謗中傷罵詈雑言魑魅魍魎百鬼夜行・・・・・。


古田武彦氏の著作も初期の3部作以降は罵詈雑言集と化してしまい、読めば人間が汚くなる印象を覚え、中止し、以降読んでいません。 良い着想もあるのでしょうが、やはりまず人徳を磨いていただかないと・・・。
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Re: 安本美典 投稿者:多美 投稿日:2008年 9月26日(金)05時56分21秒
> No.462[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

> 古田武彦氏の著作も初期の3部作以降は罵詈雑言集と化してしまい、読めば人間が汚くなる印象を覚え、中止し、以降読んでいません。
> 良い着想もあるのでしょうが、やはりまず人徳を磨いていただかないと・・・。

古田武彦氏には、一部熱狂的ファンがいるようですね。そして、離れていく人も多数らしいですね。古田著書を読んでみようと思った動機は、元古田会に所属していた人の著書から触発されたもので、読んでみて納得しました。学術の書というより宗教家の書という感じでしょうか。 一方、安本美典氏は、古田氏の対抗馬?との様子から読んでみました。根っこは同じでしょうか?皇国史観寄りの安本氏と曖昧思想?の古田氏のバトルは、結果的には双方の利益になっているのでしょうか。

安本氏の主張に「邪馬台国=高天原=卑弥呼=天照大臣」説があるようですが、ビックリしました。
確かに、この説で解釈できれば記紀ストーリーの通りでしょうか。

同氏主宰の「邪馬台国の会」の定例講演会が毎月都内文京区であるようなので、一度その雰囲気を味わってみようかと思っています。

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姥子山姥神社 全景 投稿者:晴代 投稿日:2008年 9月23日(火)17時39分4秒
こんにちは。
箱根の姥子山姥神社にお参りしてきました。

社殿です。

http://kagawa.bine.jp/jinnjya/jinjya.html
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Re: 姥子山姥神社 全景 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 9月25日(木)10時27分24秒
> No.458[元記事へ]

晴代さんへのお返事です。

> こんにちは。
> 箱根の姥子山姥神社にお参りしてきました。

珍しい神社のご紹介ありがとうございます。

姥の名を持つ神社は中部日本より以東に多いようですね。
祭神は女神、老婆の印象はありません。

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切っ掛け 投稿者:多美 投稿日:2008年 9月21日(日)05時29分16秒
神奈備さん

きっかけは「ヤマト王権の誕生」に、神奈備サイトの紹介が出ていました。

著者の思い、是非「神奈備サイト」を知って欲しい。と宣伝しているように思われました。

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Re: 古墳の形 投稿者:琉球松 投稿日:2008年 9月18日(木)11時53分15秒
> No.449[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

 以下のような考え方もありますよ。

『天照大神と前方後円墳の謎/大和岩雄(六興出版)1983』より
*** 「朝日夕日」は山とかかわる。纒向・柳本の巨大古墳の中軸線が、三輪山・斎規岳・竜王山に向いていると書いたが、図126のように、箸墓の「山あて」も、この3山を使っているのである。
 また、箸墓の陪冢から後円部に昇る冬至の朝日が拝されることを、小川光三が書いている。箸墓も山とみなされていたのである。***


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Re: 古墳の形 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 9月18日(木)20時38分43秒
> No.451[元記事へ]

琉球松さんへのお返事です。

日の出日の入りだけではなく、単なる方向も面白いです。
小川光三著『大和の原像』によりますと、
箸墓のラインが斎規岳に向かい、
崇神陵からも同じく斎規岳に向かう。
となっています。
斎規岳は兵主神にかかわるので、箸墓と崇神陵の埋葬者についても天日槍との関係も見当課題ですね。
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Re: 古墳の形 投稿者:琉球松 投稿日:2008年 9月19日(金)11時04分5秒
> No.453[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

 人々が一定の地域に定住しはじめ、ある程度落ち着くと必要になるのがカレンダーでしょうか。農耕民にとってはもちろん、琉球圏などでも台風シーズンの把握などに必要となります。
 これらのカレンダーが確立した後には、他の方向性を持った施設もありうるかもしれませんね。

 奄美諸島と沖縄諸島の古い「グスク(城の字をあてる)」の域内の聖地とメインゲートの関係も夏至の日の出を意識されてますし、出雲の弥生遺跡「猪目洞窟」からは沖縄諸島産「ゴホウラの貝輪」が出土していることから、両地域のカレンダーは同時代のものかもしれません。

 また、前方後円墳の形が近畿地方の「鍬形石(祖形はゴホウラ貝輪)」を原型とするとの説も面白いと思います。

画像は、首里城略図『コーラルウェイ/(日本トランスオーシャン航空)2007』より

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捏造 投稿者:多美 投稿日:2008年 9月17日(水)19時59分25秒
神奈備さん


古代史に入門して半年、記紀を基本ボチボチ勉強しています。
今夏、滞在した草津温泉で、周辺神社など散策。

以下は「群馬県吾妻郡由来」という草津温泉宣伝サイト?ですが、日本武尊「古事記」を引用し言わば「捏造」とも思えるところです。
日本武尊東征の「あづまはや」の件は「古事記」では足柄、「日本書紀」では碓氷峠とありますが。
古代史は、このような「捏造」の歴史でしょうか。
因みに、草津温泉の隣村(高原キャベツ、スケート黒岩で有名)「嬬恋」は明治の初め合併によっての名称らしい。


> 吾 妻 郡 の 由 来 と は ?   「 あ 〜 吾 妻 は や ! 」草 津 温 泉 の 住 所 は ?
群 馬 県 吾 妻 郡 草 津 町 ○ ○ ○ と な る の で す が 、吾 妻 ( ア ガ ツ マ ) の 謂 れ は 、 皆 さ ん ご 存 知 ?
  こ れ は 、 ヤ マ ト タ ケ ル の 伝 説 が 基 に な っ て 、 誕 生 し た ん で す ね 。
  ヤ マ ト タ ケ ル は 、 双 子 だ っ た ん で す 。
兄 が い た ん で す が 、 彼 は 、 そ の 兄 を 殺 し ち ゃ う 。
  父 親 が ヤ マ ト タ ケ ル に 兄 を す こ し ば か り ”こ ら し め て お け ” と 言 う の で す が 、 彼 は 、 何 を 勘 違 い し た の か 、 ” コ ロ 締 め ち ゃ う ”   そ れ も 、 手 ・ 足 を も ぎ 取 っ て 「 菰 」 に く る ん で 便 所 に 捨 て る と い う 、 残 酷 な 殺 し を 平 気 で や っ ち ゃ う わ け で す 。
驚 い た の は 父 親 。 こ ん な 危 険 人 物 を 自 分 の 側 に 置 い て お き た く な い と .   『 そ う だ ” 旅 ”に だ そ う 』 と い う こ と で 、 彼 は 【 西 】 へ 。
『 九 州 の 方 に ” ク マ ソ ” と い う 恐 い 連 中 が い る か ら 、 退 治 に 行 っ て き て く れ 』 と い う 父 親 の 命 令 に 従 っ て 、 彼 は 旅 に で る ん で す ね 。
旅 の あ い さ つ に 、 お ば さ ん の 所 に 寄 っ た ら 、『 気 を つ け て 行 っ て き な さ い よ 』 と い う こ と ば と 共 に 、 〈 剣 と 着 物 〉 を も ら う ん で す ね 。
着 物 は 、 『 旅 先 で 困 っ た ら 、 〈 着 物 〉 を 売 っ て 足 し に し な さ い 』 と い う 意 味 で 、 ま ぁ 餞 別 と い う こ と で す ね 。
彼 は 、 そ の 着 物 を 大 切 に 持 っ て い ま し て 、 ”ク マ ソ ” の 連 中 が 宴 会 を し て い る 所 に 、 着 物 を 被 っ て ≪ お 酌 ≫ す る 振 り を し な が ら 近 づ い て い く ん で す ね 。
そ こ で 彼 は 、 着 物 を 脱 ぎ 捨 て 、 剣 を 取 り 出 す と 、 ” ク マ ソ ” の 一 番 偉 い 人 を 剣 を 口 か ら 刺 し て 尻 か ら だ し 、 も う 1 人 を 尻 か ら 突 き 刺 し て 口 か ら だ す   と い う 、 と て も 残 酷 な 殺 し 方 を し ち ゃ う わ け で す 。
こ れ に 驚 い た の は 、 ” ク マ ソ ” の 連 中 。 『 こ ん な 強 い ヤ ツ は 見 た こ と が 無 い 』 と い う ん で 、 そ こ で 「 ヤ マ ト タ ケ ル 」 と い う 名 前 を も ら う ん で す ね 。
彼 は 、 一 応 の 目 的 を 達 し た と い う こ と で 、 家 に 帰 る ん で す が 、 家 に 帰 っ て き て 、 ビ ッ ク リ し た の は 、 父 親 。
無 事 に 何 事 も 無 く 、 帰 っ て き た も ん で す か ら 、 さ あ 〜 困 っ た 。
そ こ で 父 親 は 、 『 次 は 、 東 だ 』 と 。 『 東 に ”エ ミ シ ” と い う 訳 の わ か ら ん 連 中 が い る ら し い か ら 、 す ぐ 旅 に で て く れ 』 と 、 命 令 さ れ る ん で す ね 。
ヤ マ ト タ ケ ル は 、 長 旅 か ら 戻 っ た ば か り な の に 、 「 い っ た い ど う い う こ と な ん だ 」 と 、 憤 慨 す る ん で す ね 。
そ れ で 、 ま た お ば さ ん の 所 に 相 談 に 行 く ん で す 『 父 上 は 私 に 死 ん で 欲 し い ん で し ょ う か 』 と 。
彼 は 、 お ば さ ん に な ぐ さ め ら れ て 、 泣 く 泣 く 旅 に で る ん で す 。
と こ ろ が 今 回 は 、 旅 の 途 中 で 、 弟 橘 媛 ( お と た ち ば な ひ め ) と い う 女 性 と 知 り 合 い ま し て 、 お 互 い に 引 か れ 、 2 人 で 結 婚 し て 、 ち ょ う ど 新 婚 リ ョ コ ウ の よ う な 感 じ で 旅 を 続 け る ん で す 。
そ し て 、 現 在 の 横 須 賀 の 近 く の 「 走 水 」 と い う 所 か ら 舟 に 乗 っ て 、 東 京 湾 を 横 断 し よ う と す る ん で す 。
対 岸 が 見 え て き て 、 も う 少 し で 千 葉 の 浜 に た ど り 着 く と い う 所 で 、 ” 大 嵐 ” が ・ ・ ・ ・ ・ 舟 が ま っ た く 進 ま な く な り 、 そ れ ど こ ろ か 、2 人 と も 、 死 ぬ か ・ 生 き る か の 瀬 戸 際 に 。
そ れ を 見 か ね た 「 弟 橘 媛 」 が 、 海 に 向 か っ て 叫 び ま し た 。
『 ど う か 、 私 の 一 番 大 切 な 人 を 助 け て あ げ て く だ さ い 。 私 の 身 を 捧 げ ま す か ら 』 と 、 海 に 飛 び 込 ん で し ま い ま し た 。
そ の 甲 斐 が あ っ て か 、 嵐 が お さ ま り 、 ヤ マ ト タ ケ ル の 乗 っ た 舟 は 無 事 に 千 葉 の 海 岸 に た ど り 着 く こ と が で き た の で す が 、 彼 に し て み れ ば 、 最 愛 の 人 を そ こ で 亡 く し た こ と が と て も シ ョ ッ ク で 、 そ の 土 地 を 離 れ る こ と が で き ま せ ん で し た 。
” 君 去 ら ず ” と い う こ と か ら 、 そ の 土 地 が 今 で は 、 【 木 更 津 ( き さ ら ず ) 】 と 呼 ば れ る 土 地 に な り ま し た 。
ま た 、 そ の 事 故 の 1 週 間 後 に 「 弟 橘 媛 」 の 着 て い た 着 物 の 片 袖 が 海 岸 に 流 れ 着 く ん で す 。
そ の 土 地 が 、 今 で は 【 袖 ヶ 浦 】 と 呼 ば れ る 土 地 で す 。
こ の 事 故 を 胸 に 秘 め 、 旅 を 続 け 、 白 根 山 ま で や っ て 来 る ん で す ね .
標 高 2 1 6 0 メ ー ト ル の 白 根 山 の 手 前 に 「 白 根 隠 し 」 と い う 山 が あ る ん で す が 、   彼 は ,こ こ ま で 登 り 、 山 の 頂 き か ら 下 界 を 見 下 ろ し ま し た .
そ の と き 、 ち ょ う ど 「 雲 海 」 が か か っ て い た そ う で す 。
そ の 「 雲 海 」 は 、 彼 に と っ て 、 最 愛 の 人 を 亡 く し た 、 あ の 日 ・ あ の 嵐 を 思 い 出 し た ん で し ょ う 。
山 の 上 か ら 彼 は 叫 び ま し た 。
『 吾 妻 は や 〜 』 と 3 回 叫 び ま し た 。
『 吾 妻 は や 』 と は 、 「 わ が つ ま よ 」 と い う 意 味 な の で す 。
そ れ 以 来 、 白 根 山 の 頂 上 か ら 見 え る 一 帯 が 「吾 妻 」 と い う 地 名 に な っ た と い う お 話 で す 。
ヤ マ ト タ ケ ル は そ の 後 、 草 津 町 の 隣 の 「 嬬 を 恋 す る 」 と 書 く 、 嬬 恋 に し ば ら く 滞 在 し た 後 、 岐 阜 の 方 へ 行 っ て 、 白 鳥 に な っ た と い う 伝 説 が あ り ま す 。
岐 阜 の 白 鳥 ( し ら と り ) が ヤ マ ト タ ケ ル の 終 息 の 地 で あ る と ・ ・ ・ ・ ・ ・
ま た 、 今 で は 、 ” 白 根 隠 し ” の こ と を 弟 橘 嶺 と 呼 ん で い ま す 。
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Re: 捏造 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 9月18日(木)20時36分8秒
> No.450[元記事へ]

多美さんへのお返事です。

> 古代史は、このような「捏造」の歴史でしょうか。

神話は古代史ではありません。神話こそ「捏造」された物語と言えるでしょう。

ヤマトタケルとよく似た話が『旧約聖書』にあります。
「ホセア書」に、ヤコブは母の胎内に居たときから、兄のエサウをかかとをつかみ、神と争ったとあります。
ヤマトタケルも兄のオウスノミコトの手足をもぎ取って、このに包んで投げ捨てています。
基本的に同じモチーフの神話だと思います。捏造なのか盗作なのか、捏造したものを盗作したよ言えるのでは。
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Re: 捏造 投稿者:多美 投稿日:2008年 9月21日(日)05時20分12秒
> No.452[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

> 多美さんへのお返事です。 >

> > 古代史は、このような「捏造」の歴史でしょうか。
>
> 神話は古代史ではありません。神話こそ「捏造」された物語と言えるでしょう。
>

ありがとうございます。

「捏造」と「盗作」は、ハッとしました。

今は、アッチコッチに飛んで、迷宮に入ったようです。

古代史入門の切っ掛け本から「神奈備さんサイト」を知り、古代史関係周辺から判断し

「森浩一」本が良いのかと。


今回の草津温泉日本武尊の件は、少なくとも公共機関地方自治体が、虚実取り混ぜた手法
に、マッタクいい加減な話だ、と憤慨した。ということです。

聞くところによると、草津温泉話は、本物は「温泉だけ」で、他は捏造?の歴史である。

ということらしい。

温泉と浅間山など迷路に・・・・・・。
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Re: 捏造 投稿者:多美 投稿日:2008年 9月22日(月)06時33分32秒
> No.452[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

> 多美さんへのお返事です。
>
> > 古代史は、このような「捏造」の歴史でしょうか。
>
> 神話は古代史ではありません。神話こそ「捏造」された物語と言えるでしょう。
>

古田武彦著「失われた日本」P206に以下の記述がありました。

>タケル説話は、東海(愛知県・静岡県)においても、関東(神奈川県・群馬県)においても、次々と「現地神話」や「現地英雄譚」からの転用、ハッキリいえば「盗用」から成り立っていることが、ほとんど完膚なきまでにすでに証明されたのであるけれど、今はその一班をあげ、全豹を推す(一例で全体を察せしめるたとえ。中国の諺)にとどめたいと思う(関東における「あづまはや」説話については『神の運命』<明石書店>参照)。

古田武彦著書から選んだ一冊なので、それも急遽購入しました。

「古代史」と「神話」の区分区別については、まだ理解不足です。

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古墳の形 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 9月16日(火)11時29分59秒
久慈力著『蘇我氏はシルクロードから渡来した』

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Re: 出雲大社の建物 投稿者:多美 投稿日:2008年 9月15日(月)20時29分47秒
> No.444[元記事へ]

新人ですが、

昨年暮、知人から古代史本を贈呈され、その本の紹介で本サイトを知り、以後楽しみにしています。
これ程の有名な神社に”理由”は当然と思います。

「神社の系譜」なぜそこにあるにか・・・宮元健次著光文社新書に、神社の配置について「自然歴」を視点に、というのがあります。
信憑性は解りませんが、根拠の一つでしょうか。

疑問点の解説、よろしくお願いします。

それにしても「神奈備」さんには、敬服!敬服!です。
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Re: 出雲大社の建物 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 9月15日(月)21時42分18秒
> No.447[元記事へ]

多美さんへのお返事です。

> 「神社の系譜」なぜそこにあるにか・・・宮元健次著光文社新書に、神社の配置について「自然歴」を視点に、というのがあります。
> 信憑性は解りませんが、根拠の一つでしょうか。

早速手配して読んで見たいと思います。ありがとうございます。

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Re: 日本武尊 投稿者:多美 投稿日:2008年 9月15日(月)19時52分49秒
> No.443[元記事へ]

日本武尊は、本当に草津温泉を訪れたのでしょうか?

源頼朝は、文献にあるらしい。
行基は、????。
日本書紀に、浅間山の噴火のこと、日本武尊の碓井峠の件などあるようですが。
?????。


PONTAさんへのお返事です。

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三輪山の日の出 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 9月15日(月)09時17分37秒
今年の春分のイメージ

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Re: 出雲大社の建物 投稿者:琉球松 投稿日:2008年 9月14日(日)19時46分35秒
> No.442[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

 計算式がわからないので、日御碕神社近くの「経島」と「艫島」の関係(経島は艫島から見て夏至の日の出方向・その逆は冬至の日の入り方向)のラインを、出雲大社へ平行移動してみました。

 画像の赤線は夏至の日の出方向(天台々峰山頂?)、緑線は冬至の日の入り方向ですね。
 ただ、水平線は見えないはずですから、夏至の日の出の太陽は「弥山」山頂付近に現れるかもしれません。

 ややこしいんですけど、出雲大社の「ズレ」のラインと夏至の日の最初の太陽の方向は、ほぼ90度になると思います。
 あるいは、それらの印象的な山頂に太陽を合わせた位置が、本来の大社の高さなのかなあと想像してみました。

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Re: 日本武尊 投稿者:PONTA 投稿日:2008年 9月13日(土)02時06分44秒
> No.426[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

> 多美多美さんへのお返事です。
> > 温泉に入ったとすれば草薙の剣は?
>
> お付きの者が持っていたのでしょう。

脱いだ服と一緒に置いておいたのでは?
日本武尊が出雲建を倒す時に、出雲建を水浴びに誘い、用意しておいた木刀を出雲建の刀とすり替え、その上で太刀合わせをして出雲建を斬り殺したという話があるくらいですから。
それに、草薙剣の場合は、普通の人が盗もうとしたり、普通の人に持たせたりしたら、その人は、草薙剣が放つオーラでどうかなっちゃうんじゃないかしら?

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出雲大社の建物 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 9月 8日(月)15時45分18秒   返信・引用
出雲大社の建物鎮座の方向は真北から西に約20度弱程度傾いているようです。焼失前の法隆寺若草伽藍と同じような向きです。ペルシャの古い寺院や東国の前方後円墳にもこの角度のものが散見されるようです。蘇我氏が持ち込んだ信仰によるとの見解もあるようです。(栗本慎一郎『シリウスの都飛鳥』など)
 この出雲大社も乙巳の変で殺された蘇我入鹿の怨霊鎮めのために造営されたとの説もあるようで、何となく出雲大社の角度が気に掛かります。


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Re: 出雲大社の建物 投稿者:琉球松 投稿日:2008年 9月 9日(火)17時53分5秒
> No.436[元記事へ]

 神奈備さんへ

 出雲大社の神座は「日隅宮」と呼ばれているようですね。
 これは「日沈宮」を当てるまでもなく、沖縄方言の「シミ(スミ)・シーミー」が潜水を意味することからも、やはり太陽の入る方向でしょう。

 しかし、奈良時代頃でしょうか?
 仏教が盛況してくると、この社も仏教建築の「南面」にすり変えられたんじゃないでしょうかね。

 大国主命は、冬至の日の入り方向を向いているはずで、しかもその方向性には仏教勢力にも手が出せず「南面」となっても、結果的に南北のラインがずれてしまったと考えます。

 もしかして、大阪「住吉大社」の「スミ」も、「沈む」の意かもしれません?
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Re: 出雲大社の建物 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 9月 9日(火)19時08分41秒
> No.438[元記事へ]

琉球松さんへのお返事です。

>  「春分&秋分の日の入り方向」ではなく「冬至の日の入り方向」でした。

北緯35.40くらいですから、冬至方向は約西20度の倍近い傾きと思われます。
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Re: 出雲大社の建物 投稿者:琉球松 投稿日:2008年 9月 9日(火)20時16分40秒
> No.439[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

 実際に冬至の日に観察するのがいいんでしょうけども、どうなんでしょうか。
 真北の方向は、経線より東側に10度程ずれますし、古代には天文学的な正確さは不要とも思えますが。。。

 しかし、僕の違いかもしれませんので調べてみます。
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Re: 出雲大社の建物 投稿者:琉球松 投稿日:2008年 9月11日(木)21時50分13秒
> No.439[元記事へ]

 神奈備さんのご指摘どおり、冬至方向とは言いがたいようですね。

 では、夏至の日の出方向はどうでしょうか?
 地図上での日の出のポイントは水平線ですから、出雲大社から見る夏至の日の出は東側の山からで、しかも南にずれるということになりそうです。

 しばらく調べてみたいと思います。
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Re: 出雲大社の建物 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 9月12日(金)08時27分51秒   返信・引用
> No.441[元記事へ]

琉球松さんへのお返事です。

出雲の平野は宍道湖から日が昇り、日本海に沈んでいくので、日照時間が最も長い地域です。稲作などに適していたと思います。宍道湖とともに豊かさをもたらしたのでしょう。

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八雲立つ 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 8月23日(土)09時11分18秒
 出雲大社の60年に一度の遷宮(屋根のふき替え)の為に、現在の神座は拝殿奧になっています。本殿に神の居ぬ間にのぞき見をしようと特別拝観が行われていました。

 本殿の長い階段を上りました。
それから縁側を一回り。周辺の山々と内部の摂社などを上から見下ろしながらの一周です。
それからいよいよ蔀(南西部)を南側から覗きました。本殿内部は四つの部屋に別れており、本殿に入った次の部屋で、元々ないもない廊下に当たる場所。

 蔀(しとみ)と言うそうです。本殿の天井の八雲の図を見せていただきました。260余年前に描かれた絵とも思えない鮮やかなものでした。八雲の名がついていますが、雲は七つでした。七不思議。

 西向きの神座はかいま見ることも出来ませんでしたが、そこの天井にはなにも描かれていないようです。

 写真掲示板に八雲図を掲載。この図は天空から見た形で描かれています。

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『寝屋川市史』茨田堤概略図 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 8月14日(木)16時00分7秒
8月9日の豊中歴史同好会の講演資料から
枚方文化財研究調査会 西田俊秀氏
『寝屋川市史』茨田堤概略図

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Re: 訂正「牧宮神社」 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 8月12日(火)16時51分14秒
> No.428[元記事へ]

多美多美さんへのお返事です。

 貴重な神社です。ありがとうございます。

 牧宮神社の祭神は北白川能久親王と倉稻魂命となっています。
 北白川能久親王は幼名の伏見満宮(ふしみ・みつのみや)と呼ばれた。
 戊辰戦争中の慶応4年(1868年)、彰義隊に擁立された頃、または奥羽越列藩同盟に迎えられた頃、東武皇帝あるいは東武天皇として皇位に就いたという説があるそうです。
 それにしても素晴らしい社殿です。

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牧宮神社 投稿者:多美多美 投稿日:2008年 8月11日(月)21時49分32秒
北軽井沢「牧宮神社」
旧草軽電鉄(廃線)「北軽井沢駅」隣接の「牧宮神社」

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Re: 日本武尊 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 7月31日(木)19時46分32秒
> No.425[元記事へ]

多美多美さんへのお返事です。
> 温泉に入ったとすれば草薙の剣は?

お付きの者が持っていたのでしょう。

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日本武尊 投稿者:多美多美 投稿日:2008年 7月31日(木)03時50分52秒
『草津に歩みし百人』
草津温泉湯畑を囲む石柱にある「日本武尊」刻。
”伝説上の英雄・伝大和時代東征の折来草”とあります。

因みに、
温泉に入ったとすれば草薙の剣は?

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草津「白根神社」 投稿者:多美多美 投稿日:2008年 7月31日(木)03時30分12秒
普段は静かだが、元々はヤマトタケルノミコトを祭神とし、従一位白根明神と社格は高い。昔は現在の道の駅周辺に建てられていたが、明治6年にこの囲山公園に移された。毎年7月の17日と18日に祭礼があり、神興が町内を練り歩く。(引用:草津温泉が丸ごとわかる本)

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堂島薬師堂と弁天さま 投稿者:神奈備 投稿日:2008年 7月30日(水)11時56分46秒
堂島薬師堂と弁天さま

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