神奈備別荘 神奈備写真付き参詣掲示板 ログ

神奈備別荘

平成二十二年 一月 一日〜年末まで 
 投稿者の敬称は略します

------------------------------- -------------------------------------------------
的岩(まつとういわ) 三谷坂終わり 投稿者:神奈備 投稿日:2010年11月13日(土)
尾根筋の端にどっしりと座っているこの大岩は、ここが雑木林であったころ、遠くの川向こうからもよく見えたので、天野大社に参る人は、この岩を的(目標)に三谷坂を登ったといい伝えられています。

------------------------------- -------------------------------------------------
頬切地蔵 投稿者:神奈備 投稿日:2010年11月13日(土)
 仏の加護によって、目の病を治した人が、その功徳を多くの人に伝えるため、山中に転がっていた自然石に三体の仏を刻んだもので、大日如来、阿弥陀如来、釈迦如来の三尊(坐像)を彫っています。中尊の頬が少し切れているので、「頬切れ」と呼ばれています。
わざと頬に傷つけたのは、首から上の病気に効き目があるようにとの願いからだといわれています。

------------------------------- -------------------------------------------------
涙岩と拝水 投稿者:神奈備 投稿日:2010年11月12日(金)
涙岩と拝水  
 かつてこの谷を流れる清水は、どんな日照りにもかれることなく、人々の渇きをいやし、下流の田畑を潤していたので、いつのころからか、村人はこの舌状の岩を涙岩と呼び、岩をつたって流れ落ちる水を、拝水というようになったといわれています。

------------------------------- -------------------------------------------------
鉾立て岩と経文岩 投稿者:神奈備 投稿日:2010年11月12日(金)
 丹生都比売神が天野へ登るときに、鉾を立てたといういわれのある岩で、以前はもっと大きかったが、道路改修に半分ほど削り取られ、鉾を立てた跡もそのとき失われました。 また、鉾立て岩にもたれ掛かるように立っている小さい岩が経文岩です。

------------------------------- -------------------------------------------------
笠石 投稿者:神奈備 投稿日:2010年11月11日(木)
昔、弘法大師が高野山へ登る途中の山道で、かぶっていた笠がにわかに吹いてきた強い風に飛ばされて、行方がわからなくなりました。 そこで里人があちこちを探したところ、この石に引っ掛かっているのが見つかりました。
この伝説が広まって以後、笠石と呼ばれるようになりました。
 また、ここが大字三谷と大字教良寺の境になっていることから「境石」とか、又、笠の下に仏が刻まれていることから、「笠仏」ともいわれています。

------------------------------- -------------------------------------------------
宮滝(明神の滝) 投稿者:神奈備 投稿日:2010年11月11日(木)
 丹生酒殿神社が丹生都比売神社(天野大社)に属していたころ、毎年天野大社の社人6人がこの滝で神事を行っていました。 そのとき、夏野菜のきゆうりを供えたので、村人は神事が終わるまできゅうりを食べてはいけないという決まりになっていました。 その代わり、祭りのあとで供えられたきゅうりを子供に食べさせると疱瘡が軽く済んだといわれています。

------------------------------- -------------------------------------------------
三谷坂 投稿者:神奈備 投稿日:2010年11月10日(水)
JR妙寺駅から丹生酒殿神社を経由して三谷坂の急な登りを歩き、2時間半かけて丹生都比売神社へたどりつきました。

------------------------------- -------------------------------------------------
伊佐須美「五十猛神社」山神 投稿者:TAMI 投稿日:2010年11月 9日(火)
太田市浜町にある伊佐須美神社の境内社の出雲神社の横の「五十猛神社」の石祇の「山神」について、宮司さん関係氏子さんらに聞き取りしました。

出雲神社を勧請する前から「山神社」があったそうです。
五十猛神社は末社であった。
山神は大山祇命を祀る、娘のコノサクヤ・イワナガも山を祀る神、
五十猛は樹木の神、
ということで、一緒に祀ることになったようです。

氏子総代は、この説明を案内看板にしたいと言っているようで、

宮司さんも父親の時代のことなんで、・・・・。

山神=大山祇であることは間違いなさそうです。

------------------------------- -------------------------------------------------
Re: 赤城神社「櫃石」 投稿者:TAMI 投稿日:2010年11月 9日(火)08時42分42秒 返信・引用 編集済
> No.1169[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。
> > 赤城神社は三輪山に鎮座する大神神社に関係深い
>
>  磐座や神奈備山が似ていることでしょうか。

尾崎喜左雄(文学博士・群馬大学教授)は、明治37年横浜生まれ、東京大学・京都大学で学び、大和地方で古墳研究、群馬県知事に乞われて群馬に来た。 いわゆる、郷土の史家とは違う(多分これが良かったのでしょう)。
専門は古墳のようです(400か所発掘に関与)、その延長上に神社など、 きわめて科学的理論的、情熱家(ロマン)のようです。

教え子の人に聞いてみました『教授は恩師なんてものではない、それ以上』など、影響力はすごいと思います。

わたしも、「上野国の信仰と文化」「上野国の神明帳の研究」は何度も読み返し、また現場にも行ってみました。
教授の息遣いが聞こえてくるようです(納得)。

「櫃石」から富士山が見え、遠く大和を思うのに最適の地・・・・・。
現場にある石碑は昭和45年12月宮城村(現前橋市)教育委員会によるもののようですが、 同年は尾崎教授の退官の年、内容も教授説のようです。

群馬県人気質、
郷土の史家の話では、これほど影響は受けなったでしょう。
そんなことも教授は知っていたと思います。

------------------------------- -------------------------------------------------
赤城神社「櫃石」 投稿者:TAMI 投稿日:2010年11月 8日(月)
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=362939&l=1391030(地図閲覧サービス)
三夜沢「赤城神社」拝殿⇒奥から櫃石1800Mの案内板を見て、樹齢300年の大きな木を左に見て、 分岐点に櫃石へ1300M案内から左に登り、倒木に塞がれたクネクネした道を行くと、今度は、ひたすら ダラダラ真っ直ぐな登り道、しばらくすると、櫃石左へ500M案内から途中急坂を登りますね。
思いのほか時間が掛かりかかりました。汗びっしょり50分。
最後の500Mは、嘘ではないかと(案内の数字が書き換えられていた)。帰り道は早い。

ほとんど訪れる人もいないようで、かすかにバイクのタイヤの滑った跡が確認される程度。

荒山(877M)の南端にあるようです。赤城神社の北に位置、六世紀頃の祭祀遺跡、
太田市「天神山古墳」は東日本一の規模、これだけの規模の古墳を造れる氏族は「上毛野氏」以外考えられない、 この「櫃石」祀祭者も、上毛野氏とすれば、太田からこの地に集団移住したという説は面白い。
しかし、上州では、まったく話題にならないようです。

取り敢えず訪問しました。

以下は、上野国神名帳の研究 から、

赤城神社神跡櫃石

一、所在及び由緒

 勢多郡宮城村大字三夜沢鎮座の赤城神社の西北尾根上の飛地境内にある。 荒山から下る尾根が急傾斜に移る突端に位置しており、大石が数個散在し ている最南の一個が当る。上代祭祀遺跡として注目され、出土品の土師器 類も存在している。神社では神跡として、特に江戸時代から聖地視され、 近年四月一日を以って祭祀を行なってきている。

二、状 態
 櫃石は長径四・〇米、短径二・五米、高さ二・五米の自然の石である。 その根方から「あまのたくじり」、土師器甕、石製模造品等が出土し、 早くから考古学上注目されたところとなったが、大場磐雄氏はその著神 道考古学及び上代の赤城信仰にその研究を発表している。昭和十年以来 の赤城神社昇格運動の一環として調査されたものである。

三、考 察
 櫃石については左の大場磐雄氏の研究につきているとも言えるであろ うが、尚補足すると、櫃石が古代祭祀の如何なるものかという点と、土 師器の編年上の位置付けとである。古代祭祀には岩境と盤座とが存在し ていることは、日本書紀にも伝えるところであるが、本遺跡は盤座に属 するものであり、岩境の祀神形態が神籬をとるに反し、盤座は異なる形 態とったものであろう。榊を根こぢにして立てた神籬形態は盤座にはと れない。つまり盤座神事の神宝は三種のものではなく、多様の神宝を盤 座にかけたものではなかろうか。特に注目されるのは出雲及び出石系統 の神宝に八種又は十種とあり、布領が多いことであり、これらの神秘性 を物語る神話が伝えられている。大石の三輪山にはこの両種の神事が兼 ね存した遺跡が指摘されている。

 赤城神社は三輪山に鎮座する大神神社に関係深いものと考えられるの であるが、その祀祭者と推定される上毛野氏は大和平野南部の特に磯城 地方からの移住者と見られる節が多い。三輪山の盤座神事に岩境の習慣 が入らない以前に本地方に移ったものと考えられよう。同様の遺跡は桐 生市広沢町の賀茂神社に認められ、妙義神社にも影向石がある。ところ が妙義町菅原には川後石なる地名があり、菅原神社を中心にしているが 、この地域は岩境の存在を暗示せしめるものである。即ち岩境は神籬石 であり、「かうごいし」と音通が注目される。

 土師器については本件出土の土師器を編年し、その第二型式に当るも のであることが明らかにされた。即ち六世紀中頃に当る。これらは又粕 川村大字中の祭祀遺跡出土の土師器と同類であり、同時に又、赤城山南 麓地帯の古墳は六世紀乃至七世紀にその盛時があてられる。赤城なる名 称も豊城なる名称も共にその頃成立したものであろう。

 これを要するに本遺跡は六世紀頃の祭祀遺跡と考えられるのである。

               「赤城神社神跡櫃石」(昭和38年8月)

   〜上野国神名帳の研究 尾崎喜左雄著〜

------------------------------- -------------------------------------------------
元宮「三毳神社」 投稿者:TAMI 投稿日:2010年11月 7日(日)19時43分19秒
初めて元宮に行きました。
 三毳神社(みかもじんじゃ)
<通称>御嶽権現(おんたけごんげん)
【祭神】日本武命 (配祀)香香背男命 稻倉魂命 五十猛命 迦具土命 大山祇命 伊邪那岐命 伊邪那美命
http://www.mapion.co.jp/m/36.2949333333333_139.630282222222_8/
栃木市藤岡町大田和1358番地(大和田は間違い)

境内に「万葉歌碑」があります。
一之鳥居から真っ直ぐ奥宮へ続いています。
最初は、30分もかかりました。 本日は18分でした。 最終目標は15分です。 二之鳥居で休まないことです。
元宮の印象、う〜ん・・・・・。

------------------------------- -------------------------------------------------
歴史迷宮解 投稿者:神奈備 投稿日:2010年10月 7日(木)09時21分20秒
 言語学者の松本克己さんの「歴史迷宮解」その3(最終)が9月30日の毎日新聞にのりましたので写真掲示板にアップしました。

------------------------------- -------------------------------------------------
縄文紀行 8 投稿者:神奈備 投稿日:2010年 9月17日(金)20時02分32秒
小牧野遺跡
 高校生が発見した環状列石遺跡
 土器を探していた高校生が川の石を山中で発見、おかしいなと言うことで付近を見ていると幾つかありそうで、土に埋まっているものもあろうと、棒をつっこんでいくと石に当たり、その場所に木の枝を差し込んでいくと環状になり、これを報告、センセーションを巻き起こしました。
 後に教育委員会に就職、発掘担当としてこの遺跡を担当、結婚式までこの遺跡で行い、東北中の話題となったとのこと。児玉大成さん。
1 環状列石
2 石の並べ方 地面の上で 小さい石を横に置き 大きい石を縦に置く。小牧野式組石と呼ばれる。
http://www.komakino.jp/21C-ao-hakkutu/21c-komakino.htm



------------------------------- -------------------------------------------------
縄文紀行7ー3 投稿者:神奈備 投稿日:2010年 9月15日(水)20時27分39秒
三内丸山遺跡博物館
1 大型板状土偶
2 縄文ポシエット
3 亀が岡遺跡の土偶

------------------------------- -------------------------------------------------
縄文紀行7ー2 投稿者:神奈備 投稿日:2010年 9月13日(月)21時38分49秒
 三内丸山遺跡の柱と建物と柱の位置=白いドーム
白いドームの中に保存されている柱穴

------------------------------- -------------------------------------------------
縄文紀行7 投稿者:神奈備 投稿日:2010年 9月13日(月)21時37分28秒
 三内丸山の博物館の猪 左右の耳に人面が見える。
 可愛らしい猪の像

------------------------------- -------------------------------------------------
縄文紀行6 投稿者:神奈備 投稿日:2010年 9月12日(日)21時23分52秒
青森県田舎館村 垂柳遺跡 たれやなぎ
弥生時代前期後半の 田圃 の遺跡
そのサイズでの田圃
田舎館村の屋上から見た稲の種類を変えて描いた弁慶(と牛若丸)

------------------------------- -------------------------------------------------
縄文紀行5 投稿者:神奈備 投稿日:2010年 9月 9日(木)20時31分51秒
秋田県 伊勢堂岱遺跡は約4500年前〜40004年前の遺跡です。
 河原の石を約1500個を環状に並べています。
 1 環状列石
 2 同 石の並べ方が 横に小さい石を3個 縦に大きい石を一つ。
 3 岩板 渦巻きが見えます。

------------------------------- -------------------------------------------------
縄文紀行4 投稿者:神奈備 投稿日:2010年 9月 8日(水)08時58分42秒
大湯遺跡 土偶
大湯遺跡   石棒 負けた!
伊勢堂岱遺跡 石棒 勝った!

------------------------------- -------------------------------------------------
縄文紀行3 投稿者:神奈備 投稿日:2010年 9月 6日(月)21時17分16秒
大湯遺跡 秋田県鹿角市
 1 配石遺跡とそれに関係ありそうな復元建物 後世のお寺か?
 2 日時計 思っていたより小さい 直径80cm
 3 黒又山 人工ピラミッド説のある山 クロマンタ

------------------------------- -------------------------------------------------
縄文紀行2 投稿者:神奈備 投稿日:2010年 9月 5日(日)14時34分41秒
 岩手県  
御所野遺跡 配石遺構  
蒔前遺跡 鼻曲土面  
9月12日まで 大阪弥生博物館で「仮面の考古学」として縄文時代の土面が展示されています。

------------------------------- -------------------------------------------------
縄文紀行1 投稿者:神奈備 投稿日:2010年 9月 4日(土)20時47分43秒
 青森県八戸市風張遺跡から出土した「合掌土偶」。国宝に指定されています。
左足は数メートル離れた場所から出土しています。
縄文遺跡で発掘された土偶はすべて壊れた状態で出ています。ハイヌイエレ伝承の影響かも知れませんが、定説にはなっていません。
両足の付け根などにアスファルトが残存、当初は全身赤色だった可能性がある女性像です。
同じ遺跡から出土した 考える人 の土偶です。

------------------------------- -------------------------------------------------
言語系統論 中 投稿者:神奈備 投稿日:2010年 8月26日(木)14時50分1秒
松本克己さん

------------------------------- -------------------------------------------------
言語系統論 上 投稿者:神奈備 投稿日:2010年 7月29日(木)08時20分32秒
松本克己さん

------------------------------- -------------------------------------------------
脳卒中の予防 投稿者:神奈備 投稿日:2010年 7月26日(月)14時44分27秒
隼人の秘法 大公開

------------------------------- -------------------------------------------------
「五十猛神社」伊佐須美 投稿者:TAMI 投稿日:2010年 7月19日(月)15時13分1秒
太田市浜町伊佐須美神社境内の出雲神社横にある「五十猛神社」
逆光を避けるため、早朝に行きました。
祠は東に向いています。山に似た石には「山神」とあります。
前の下にある石は、下北半島みたいな形をしているように見えます。
出雲神社と関係があるのでしょうか。

前日夕方、境内にある「浜町集会場」にいた長老に、何故ここに祀られているのかと聞いたが、前からある。良く判らないとのことでした。 神社庁に登録のない祭神であることは知っていました。

------------------------------- -------------------------------------------------
難読歌 毎日新聞から 投稿者:神奈備 投稿日:2010年 6月24日(木)21時08分43秒
歴史の認識の時系列を歌から探ると言う試みのようです。

------------------------------- -------------------------------------------------
五丈岩 投稿者:紀ノ川 投稿日:2010年 5月31日(月)17時50分56秒
 長野と山梨の県境の金峰山の五丈岩の磐座です。金峰山は標高2600m。

------------------------------- -------------------------------------------------
大山咋神 投稿者:神奈備 投稿日:2010年 5月11日(火)16時31分23秒 返信・引用
シュモクザメと土器に描かれたシュモクザメらしい絵と鳴鏑矢

------------------------------- -------------------------------------------------
石清水八幡宮 投稿者:神奈備 投稿日:2010年 5月15日(土)

今日5月15日に京都へ参りました。京阪がやたら混雑、どうやら葵祭とぶつかったみたいでした。
石清水八幡宮で確認して来ました。
三ノ鳥居を入り、すこし行くと参道中央に平たい石がありました。
http://www.iwashimizu.or.jp/5/j/index.htm

本殿側から撮影です

------------------------------- -------------------------------------------------
川戸「王子稲荷神社」 投稿者:TAMI 投稿日:2010年 5月15日(土)
「王子稲荷神社」
東吾妻町川戸字玉科(深沢地区)に鎮座
http://www.mapion.co.jp/m/36.5512977777778_138.825356388889_10/(マピオン)
隣りの「それなりに詳しい人」によれば、左社が王子稲荷(中に王子稲荷の額)、右社が十二社(深沢十二宮とあり三神を祀っているようです) 間にある石祠は天満、道路側にある石祠は稲荷、 道路拡幅(元は一間道路)のため、稲荷社が十二社に近付いて間が狭くなった。
元大山祗神社地に間違いないと思われます。
また、 この道は大戸を通らないで安中への抜け道。
神葬祭の騒動があった。
隠れキリシタン事件。
などなどお聞きしました。
川戸地区には神社本庁登録神社「川戸神社」「浅間神社」あるが、合祀後も 内出「八幡宮」天龍「大山祗神社」この「王子稲荷神社」が祀られているようです。
”五十猛命はどこから来たか?”
北か?、東か?、西か?・・・・南の方ではないだろうか。
甘楽(安中)〜榛名神社〜当地・・・・・。
http://genbu.net/data/musasi/oujiinari_title.htm(玄松子さん「王子稲荷神社」)
★吾妻郡削除神社明細帳(上野国神社明細帳 12 吾妻郡)によれば、
羣馬縣管下上野國吾妻郡川戸村字玉科
 (付箋)
「被合併」 無各社 大山祗神社
 (追記)
「明治四十一年七月七日許可村社川戸神社へ合併」
一 祭神 大山津見命
      五十猛命 鹿屋野比賣神
一 由緒 不詳
一 本社 間口一尺 奥行九寸
一 境内 六拾五坪 官有地
一 信徒 百三拾六人
一 管轄廳迄距離  拾里
      以上

------------------------------- -------------------------------------------------
鍋塚古墳 投稿者:神奈備 投稿日:2010年 5月 5日(水)
http://www.its-mo.com/z-124218285-488534363-15.htm

現地表示板
古墳時代中期の円墳 径40m
『奈良県史地名』池田末則著
 当麻町に鳥飼地名があります。富川があり、竜田川に流れているそうです。「磐城村史」には、富見社、富白庭山があるとしています。前方後円墳の鍋塚があり、長髄彦の墳墓と伝えられています。
 航空地図Googleで見ますと円形ですが、入って見ますと、前方後円墳のように感じますが、まったくこの方面には弱いのでしかとは・・・・

------------------------------- -------------------------------------------------
 古代も五母音だった。 投稿者:神奈備 投稿日:2010年 4月29日(木)
   毎日新聞 2010 4 29 朝 佐々木泰造氏
 古代も五母音だった。

------------------------------- -------------------------------------------------
 紀ノ川下流 投稿者:神奈備 投稿日:2010年 4月25日(日)
  『和歌山市史』からとった日下雅義氏作成の奈良時代の紀ノ川下流地の地形図です。秋月とある所が日前国懸神宮の鎮座地です。東には紀氏の古墳が密集している大日山があります。

------------------------------- -------------------------------------------------
 産経新聞平21.12.31 投稿者:神奈備 投稿日:2010年 2月24日(水)
  纏向遺跡と田中卓説  所功氏

------------------------------- -------------------------------------------------
 バナナのたたき売り発祥の地 投稿者:神奈備 投稿日:2010年 2月 8日(月)
  下関市でバナナの輸入が行われていて、本来日本に着いた際には青色でなければ、流通にはのらない。ところが中には熟れたものが混じっており、急いで売る必要から、たたき売りが始まったそうです。
 http://www.its-mo.com/z-122187833-471480388-16.htm

------------------------------- -------------------------------------------------
 秋山好古 投稿者:神奈備 投稿日:2010年 1月18日(月)
  伊予からは秋山好古が出ています。日本の騎馬隊を率いて日露戦争を戦ったのでした。戦後は郷里で学校の先生をしたそうで、質素な方だったとか。松山に墓所があります。

------------------------------- -------------------------------------------------
 饕餮 とうてつ  むさぼり食う 投稿者:神奈備 投稿日:2010年 1月 6日
  殷周時代の青銅器で正面向きの怪獣面の展開文様。最も力のある神。
 トラ、トラを両開きに展開した形
 苗族では饕餮を於兎(オト)と言う。トラを意味する。
 饕餮と言う言葉は漢字の体系外の字。苗族の言葉。
 楚は饕餮の住む国
 その目睨んで見せまするぅ
 内側によった目の意味は?
 とてつもなく偉大な神がいた
 その神を畏れ祀る人がいた
 楚は饕餮の住む国とされた
  初期銅鐸の邪視文は饕餮文の流れにある

--------------------------------------------------------------------------------

「神奈備にようこそ」
inserted by FC2 system