神奈備別荘 神奈備写真付き参詣掲示板 ログ

神奈備別荘

平成23年 3月
 投稿者の敬称は略します


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鷺大明神と白兎 投稿者:TAMI 投稿日:2011年 5月28日(土)18時22分45秒 返信・引用
鷺大明神と白兎との関係
鷺大明神「伊奈背波岐神社」の説明と、本書とに、
カナリの相違があるようです。
祭神としての「白兎」の扱いです。
本書の説明、
鷺とウサギは同根、ウサギーウ=サギ
本家の説明、
ウサギ祭神は間違って伝わったのだ
http://taisha.jp/index.php?ID=1463
しかし、疱瘡神というのが、諸説色々で、
判ったような判らない、何となく判る、
それで、いいのだ。

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「疱瘡神様」 投稿者:TAMI 投稿日:2011年 5月28日(土)07時49分14秒 返信・引用
ー利根沼田三題ばなしー『東国史論』第13号 抜刷(1998・5)
昭和20年頃まで疱瘡がまだ流行していたようで、
利根地方では。疱瘡神様を祀っていた。
作り方(写真)、
また、「鍾馗さま」の絵を祀っていた。
なるほど、ですね。

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奥田「白鳥神社」 投稿者:TAMI 投稿日:2011年 5月22日(日)07時41分22秒 返信・引用
東吾妻町の残りの一社(吾妻郡全75社、残り9社)

吾妻郡東吾妻町奥田字宮貝戸967
http://yj.pn/pARWVB(ヤフー地図)
古老曰く『奥田を通る白狐』なんて言っていたことを覚えています。
上野国神社明細帳の由緒に、
不詳、往古白鳥大明神ト称ス、貞享三年ヨリ白頭明神ト改称シ明治十年復白鳥神社と改称、・・・・。
吾妻郡に白鳥神社は三社あります。

田〜小泉〜市城と近くにあります。 何れも、祭神・ヤマトタケル

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「君真物」 投稿者:TAMI 投稿日:2011年 5月21日(土)10時36分16秒 返信・引用
件の山の神、ふたりの童をめし従い、その名を二郎五郎と呼ぶ。
・・・・・
又おうちきうといふ海神のあらはるる事あり。
その神の身丈一丈あまりににして、睾丸殊(きんたまとくに)に大やかなり。
よりて褌を結びて肩に掛く。
これらの神を、すべて君真物(きみまんもの)と釈ふ。
椿説弓張月続編巻之二第三十三回より
面白い神様がいました。

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Re: 疱瘡神 投稿者:TAMI 投稿日:2011年 5月20日(金)10時17分56秒 返信・引用
> No.1281[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。
疱瘡神の中に「白兎」がいます。
白兎の扱いはどのようになっているのでしょうか?
厄病神とも思えませんが。
赤絵=赤は魔除
境内裏の方に、赤色の小祠(社)を見かけますが、疱瘡社もこんな感じ?
疱瘡社と統一したのは、明治神仏分離の時、特定の誰かが決めたのでしょうか?
地元の人も、ほとんど知らないようです。
祭神(白兎)には、神社が関与しているようです。

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疱瘡神 投稿者:神奈備 投稿日:2011年 5月10日(火)21時25分27秒 返信・引用
椿説弓張月から

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若宮八幡社「疱瘡神」 投稿者:TAMI 投稿日:2011年 5月10日(火)17時22分19秒 返信・引用
富士見町から富士山が見えました。
諏訪郡富士見町富士見字若宮7988
地元では若宮八幡社と呼んでいるようです。
国道20号から少し入った平坦地の集落に鎮座。
社(小祠)は、金刀比羅と疱瘡神が一緒に祀られていました。
石灯籠の疱瘡神の裏に象頭山とあります。
不思議な絵馬(嘉永)がありました。
境内にある石碑など、江戸から明治初年のものが多いようです。
細川姓が多いようです。
萱葺古民家風(社務所???)に近くの老人が終結していました。

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神領 道祖神社 投稿者:佐々木 投稿日:2011年 5月 5日(木)21時05分45秒 返信・引用
 今日、松花堂美術館(京都府八幡市)で石清水八幡宮の宝物を見学してきました。売店で「山上山下のまち、八幡」というわずか11pの冊子(500円)を買い求めました。
 その冊子で東高野街道沿いの旧八幡市街地に「道祖神社」があることを知りました。諏訪大明神と天満宮、道祖神が祀られておりました。鳥居の下にちゃんと石がありました。
 諏訪大明神の棟札を見ると、元禄4年に鳥居を建て遷宮したこと、善法律寺の記名がありました。再度冊子を見ると善法律寺(足利義満の生母の実家)に諏訪社がありました。この付近は江戸時代まで地場産業として武具製造があったために、諏訪社が勧請されたのかもしれません。
 冊子を片手に八幡市駅東方に槌宮(武甕槌宮?)、西南方に加治水岩神社の岩神(線路沿いの露岩)も見て参りました。
 なお左隣のお社には大日如来、薬師如来、釈迦如来、阿弥陀如来などが祀られていました。

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「西群馬郡疱瘡社一覧」 投稿者:TAMI 投稿日:2011年 4月26日(火)09時27分39秒 返信・引用
新年から白兎を祀る神社の研究を続けています、が、
お陰様でいろいろ勉強になりました。

上野国神社明細帳原簿など参考に、疱瘡社を調べてみました。

白兎を祀る疱瘡社には、明らかな特徴があります。

これから、更に調べたいと思います。

取り敢えず

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「石神社」 投稿者:TAMI 投稿日:2011年 4月26日(火)09時19分27秒 返信・引用
足利市福富町「天満宮」本殿裏にある≪石神社≫、と思われます。
明治初年に創られたようです。
台石に「中村島塩」とあります。福富村大字塩島(明治22年合併、梁田村)。
また、東隣には明治三十六年
登山三十三度大願成就・元祖角行霊神・食行身禄霊神、富士講石碑があります。
東隣は寺院で、明治神仏分離、合祀の歴史のようです。

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「石神社と山神」 投稿者:TAMI 投稿日:2011年 4月22日(金)09時26分3秒 返信・引用
太田市「伊佐須美神社」境内社「五十猛神社」
御神体として「山神」が祀られています。
関係者の話として、『山神(石祠)は、古くから祀られていたもので、一緒にお祀りしている』祭神は大山祇命だろう。とのことでした。
上野国神社明細帳原簿によれば、境内末社4社、五十猛神社の次に「石神社・祭神・大國主命・由緒不詳・社宇間口弐尺奥行弐尺」とあります。
由緒によれば、大正十三年秋、境内社、五十猛神社を改築し、出雲神社並びに美保神社より御分霊を迎え出雲神社よ称し、恵比寿講を開催し、その浄財を蓄え、本殿改築の資金に充つることになりぬ。
祭神は、大国主神、事代主神。
この「石神社」社宇方弐尺には、御神体が祀られていたのでは?
写真の石祠(山神)は、風雨にさらされていた様子は感じられません?
石神社は式内社にもあるようですし、祭神もまちまちのようです。
または、出雲神社と一緒にされたのでしょうか?
因みに、
宮司さんは、途中、現在の宮司さんのお祖父さんに代わったようです。

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「天背男命昔男澤社」 投稿者:TAMI 投稿日:2011年 4月17日(日)11時47分45秒 返信・引用
http://kamnavi.jp/jm/kakaseo.htm(天香香背男を祀る神社)

群馬県西の外れ南牧村の小沢神社に「天背男命」が祀られている。

明治12年神社明細帳原簿に、

昔古雖不詳、明治十年十一月當字丁萱御嶽社、字峯稲荷社、字野之上高根社、
字中ノ萱諏訪社、字日陰小澤神明社合祭シ、天背男命男澤社日頃神明社合祭、
古傳ニ寄合テ小沢神社ト相称度旨協議上申仕、同十一年九月御許可ヲ以合祭
執事仕候事

≪天背男命昔男澤社日頃神明社合祭≫

 ”男澤社”が天背男命を祀っていたようで、これを寄合で協議して許可を受けて合祭、とある、のは、何か理由(わけ)ありようですね。

当社は村の入り口(村外れ)にあります。

http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=361146&l=1384527(地図閲覧サービス)

しかし、何処からきたのでしょうか?

昭和18年付箋の方の由緒、少し表現が変わってきています。

小沢神社(おざわじんじゃ)

370-28 群馬県甘楽郡南牧村小沢1302
旧上野国 甘楽郡    富岡甘楽支部 05044
【祭神】大日ルメ尊 國常立命 大山祇命 倉稻魂命 天背男命 建御名方命

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勝神社「遠山桜」 投稿者:TAMI 投稿日:2011年 4月15日(金)22時13分30秒 返信・引用
新田町上江田(現太田市)1070番地

勝(すぐる)神社の遠山桜、つまり、桜吹雪。

昨年、屋根改修工事、少し曲がっているのが気になります。

大震災で屋根瓦は無事だったようですが、花見の提灯は中止。

ポカポカ陽気で、境内もポカポカ。

車椅子のお爺さんお婆さん、のんびり。

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「畔宇治神社石灯籠」 投稿者:TAMI 投稿日:2011年 4月15日(金)08時38分21秒
鳥居の下にある神社

「畔宇治(くろうじ)神社石灯籠」

国道406号と旧道の間にあります。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=363026&l=1384631(地図閲覧サービス)

地元の富豪「加部安左右衛門(かべやす)」が江戸の後期に奉納したそうです。

旧道には、昭和13年頃までバスが通っていたと、近くのお婆さんも話。

参道を下って神社に行く、200メートル位あります。

http://www.tohgoku.or.jp/~aysk/azeuji.htm(獅子舞)

主祭神は「猿田彦神」、畔宇治(くろうじ)と、どんな関係があるのでしょうか。

近くに「兵庫」なんていう地名が見えます。

国道406号街道として相当古い歴史があります。

神社のある川筋に、田圃が点々。

畔宇治神社(くろうじじんじゃ)

377-09 群馬県吾妻郡吾妻町大戸3487
旧上野国 吾妻郡    吾妻支部 07033
【祭神】猿田彦神 (合祀)埴山姫命 建御名方神 奧津彦神 宇迦之御魂神 奧津姫神 木花佐久夜比米命 久久能遲神 八坂刀賣神 大宜都比賣命 大山祇命 譽田別命 倉稻魂命 經津主神 軻遇突知神 大日靈命 素盞嗚命 大物主神 菅原道眞 日本武尊 火産靈神 高オカ神 大雷神 天手力雄命

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三囲神社 投稿者:言蛇 投稿日:2011年 3月23日(水)23時26分45秒 返信・引用
「十五夜や母の薬の酒一合(富田木歩)」

東京では、ぽつぽつと木蓮が咲き始めました。
災害下でも季節の挨拶は平等ですね。

写真は隅田川の三囲神社です。
住所:東京都墨田区向島2-5-17
祭神:宇迦御魂之命

現在地の北方、田圃の中にあって「田中稲荷」と呼ばれていました。
文和年間(1353-1355)近江三井寺の僧源慶が東国遍歴のとき、牛島のこのあたりに壊社をみとめ、弘法大師ゆかりのことを聞いて、社を改築しようとしたところ、土中より白狐にまたがる老翁の像を得ました。
その時、白狐が現れ、神像を三回まわったところから、「三囲」の名としたといいます。

神社の本殿は震災・戦災を免れ、安政(1854-1860)の建築と伝えています。
元禄6年(1693)に、俳人宝井其角が村人に代わって雨乞いのために句を詠じ、翌日雨ふったと「五元集」にみえています。このことが世上に広く伝えられ、「江戸砂子」や「江戸名所図会」にも載りました。
また三囲にあやかって、三井氏が江戸に進出したさい守護神と崇め、以来三井家一統の尊崇が続いています。

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伊去波夜和氣命神社 投稿者:sakaθ(東沢美史) 投稿日:2011年 3月21日(月)23時41分23秒 返信・引用
神奈備さん、しばらくぶりに投稿させていただきます。

これは7年前に私が撮った宮城県石巻市渡波地区の伊去波夜和氣命神社という神社です。
地名に「渡る波」、神社名に「去る波」という漢字が当てられてます。津波除けの願いなのか。
この神社も大津波の被害に遭ってしまいました。

被災者の皆様の復興を、お祈りいたします。

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「門田稲荷神社」 投稿者:TAMI 投稿日:2011年 3月11日(金)07時15分53秒 返信・引用
日本「三大縁切り稲荷」の一つ(伏見稲荷・榎木稲荷・門田稲荷)、

東武伊勢崎線「野州山辺駅」近く≪一社八幡宮≫境内にあります。

http://yj.pn/5W2i7u(八幡「八幡宮」)
栃木県足利市八幡町387-4

○大稲荷、必ず「伏見稲荷」は入っていますね。他は「あやかり稲荷?」

この縁切り稲荷には、異論はないようです。

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「神奈備にようこそ」
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