合槌稲荷神社
京都市東山区中之町(三条)mapion

鳥居

祭神 稲荷大明神

由緒

  『京都伝説散歩』(京都新聞社編)から
 平安時代中期。京は栗田口三条坊のほとりに刀匠の名人がいた。三条に住んだので、名を三条小鍛冶宗近といった。
 ある日、この小鍛冶に、後一条天皇から「守り刀を打て」との勅命がくだった。
 小鍛冶、ことの重大さにいったんは辞退したが、ついに引き受けた。そしてその日から、自宅近くのお稲荷さんに立派な名刀が生まれるようにと一生一代の大仕事の大成を祈願した。
 満願に近い日だった。気高い若者が宗近の住まいをふらりと訪れた。
 「立派な刀打ちになりたい。ぜひ私を合槌に使っていただけはすまいか」
 しかるべき合槌を望んでいた宗近、即座に若者の申し出を受けると、いよいよ刀打ちに励んだ。
 若者は、大層じェうずに合槌を打った。やがて二人は見事な刀を打ち上げた。
 「お前の合槌で見事な刀が打てた。ところで刀の名前を何とつけようかのう」
 「小狐丸とつけてはいかがでしょう。ぜひにお願いします」
 若者は、こういうと、ふいとその姿を消してしまった。
 お稲荷さんのキツネが刀打ちにばけてきたのであった。

お社

 三条通神宮道を東へ約五十メートル。北側の歩道に面して小さな赤い鳥居が目につく。赤い塀をたどって行くと、周囲を民家に囲まれた五、六メートル四方のあき地があってその中央に小さなおやしろがある。正一位合槌稲荷大明神。合槌に姿を変え、宗近にカを貸した狐を祭るやしろだ。
 「町内の人たちでお世話してますねん。せまいところでお稲荷さんかわいそうどす」と、近くの履物店のおばあさん。
 「刀打ちやさかい、火の用心の神様というわけでしェう。おかげで、この町内は昔からポヤひとつおへん。けっこうどすえ」
 神狐が合槌を打って名刀小狐丸を打ち上げたこの伝説は、能に、歌舞位に、舞踊に取り入れられ、舞台を飾っている。上演の際には、関係老は必ずこの合槌稲荷に参拝する。
 十一月十七日は、恒例のお火たき祭。むかいの栗田神社の宮司さんが出向いてきて、お祭りを営む。

お社

 神狐の伝説はともかく、三条小鍛冶宗近の名は史実にも明らかだ。栗田神社の鳥居の北の竹林のほとりに住んだと伝えられている。現在の栗田小学校東側近辺か−。
 長和三年(一〇一四)七十七歳で没。宗近と銘打った太刀、短刀もきわめてわずかながら現存している。そのひとつ、国宝指定の「名物三日月宗近」−。ものの本に「身長八〇セソチ、反り二・七セソチ。刃に沿って半月形の打ちのけ風の小模様がしきりに現われる」とある。

 祭礼 11月17日 のお火たき祭

石清水八幡宮の表参道を少し降りた所に相槌神社が鎮座、扁額に三條、鍛冶とある。当社の関連の神社なのだろう。
ゼンリン

相槌神社


稲荷神社参詣記録

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