松明稲荷神社
京都市下京区七条通加茂川西入稲荷町452 mapfan

鳥居

祭神 大己貴命,、伊弉諾命、伊弉册命、猿田彦命、倉稻魂命
 合祀 天智天皇、大友皇子

由緒

  伏見稲荷大社の境外末社で田中社とも云う。天智天皇の木像、大伴皇子の木像を安置している。
 当社は天暦二年(948)勅により燎祭が行われ、その時「炉火殿」(たいまつ)の号を賜ったことに由来すると伝えられる。
 はじめ黒門通塩小路下るにあったが、その後七条東洞院などを経て宝永八年(1711)現在の地に移ったとされる。
 江戸時代に出された「都名所図会」には伏見稲荷大社春の稲荷祭のとき、当神社の氏子の人々が松明をともしてその神輿を迎えるのを吉例としていたことから「松明殿」の名で呼ばれたと記されている。
 また、境内西側には江戸時代中期の木食正禅養阿の銘のある手洗石及び井戸がある。

境内

 七条大橋の西側に鎮座、狭い社域で北向きに鎮座、本殿の小祠に東側から近づこうとしたら、泥棒除けなのかブザーがなった。興ざめ。


手水石と井戸

 祭礼 8月 23日 正忌祭

『平成祭礼データ』

松明殿稲荷神社

 伏見稲荷大社の境外末社で田中社ともいう。
 オオナムチノミコト、イザナギノミコト、イザナミノミコト、サルタヒコノミコト、ウガノミタマノミコトを祭神とするが、このほか現在、天智天皇(木像)、大友皇子(木像)を安置する。 村上天皇天暦2年(948)創始、同10年(956)勅して「燎祭」(れいさい)が行われ、そのとき「炬火殿」(たいまつでん)の号を賜わったことに由来する。

 場所は当初黒門通塩小路下ルの古御旅町付近にあったが、その後弘長年中には七条通東洞院にあり、応仁の乱後鴨川西七条の北や七条通高瀬川西畔等を転々として遷り、宝永8年(711)現在の地に遷った。

 伏見稲荷大社春の稲荷祭の際には、例年この松明殿稲荷の氏子が、七条河原において松明を照らして、伏見稲荷大社の神輿を迎えていたところから「松明殿」の名で広く親しまれていたことが、江戸時代の「都名所図絵」、「山州名跡誌」等の文献にも記載されており、にぎやかだった様子をしのぶことができる。
   以上


稲荷神社参詣記録

topに戻る。
inserted by FC2 system