榛名神社ご由緒
第三十一代用明天皇元(丙午)年紀元一二四六年(西暦五八六年)、創祀と伝えられ 、延喜式内の古社で上野十二社の六の宮である。南北朝時代から座主執行の二職が置
かれ、徳川時代の末期に至る迄神仏習合の時代が長く続き、東叡山上野寛永寺の管下 に属し、別当兼学頭が派遣されて一山を管理して居たが、明治初年神仏分離の改革に
より榛名神社に復した。
御祭神
火産霊神(ほむすびのかみ)[鎮火・開運]
埴山姫神(はにやまひめのかみ)[五穀豊穣]
例祭五月十五日
社殿は寛政四年(百九十年前)の改築、周囲の巨厳と調和して建立されたもので荘厳 の極致を表している。御祭神は社殿の後ろに立てる御姿岩の洞窟中に祀られている。
榛名神社の太々御神楽(神代舞)三十六座は享保時代(約二百七十年前)以前より伝 えられたもので、その舞と拍子は極めて荘重古雅で昭和二十七年三月無形文化財に指
定されている。
御宝物と古文書
大織官藤原鎌足公真筆経文一、小野道風の真筆経文一、平相国清盛公真筆経文一、庁 宣一、足利持氏の許状(応永三十年三月二十八日)一、鎌倉御所入道知行書一、長野
伊予守立願書一、鎌倉執事上杉憲房の制札、同上杉憲政の制札一、武田信玄の高札 鏡之部八ツ花形(鏡経六寸白銅製奈良朝以前の物という)一、円形鏡(経五寸四分
乳鏡)一、円形鏡(経八寸裏に松喰鶴の模様あり)一、円形懸仏(経八寸七分十一面 観世音細線の像あり奈良朝の物という)一、円形懸仏(経八寸四分裏に大檀那源氏女
弘安四年八月とあり)一、円形懸仏(経六寸五分裏に富士権現とあり)
随神門(旧二王門) 一八四七年(弘化四年)上棟、棟梁は埼玉県宮内の関根修理 、神仏分離までは二力士像があって雲慶の作と伝えられていた。
矢立の杉 四百年前武田信玄が箕輪城(城主長野信濃守)攻略のみぎり矢を立て 戦捷祈願せられたる杉の巨木で周囲十米余、枝南七米余、北五米余ありさながら天を
つくが如くである。近くに矢の久保、のぞき岩等の古戦跡がある。昭和八年文部省一 般史蹟に天然記念物として指定されている。
双龍門 八棟造りの建物で、原山宿大工棟梁清水和泉の建立したもの、彫刻は熊 谷宿長谷川源太郎の作で、中国の三国史から取材したものである。
尚榛名神社社殿(幣殿、間殿、拝殿)国祖殿、額殿、神楽殿、双龍門の七棟及び鉄燈 篭(元享三年奉納)一基は昭和五十七年四月二十日、県より重要文化財として指定せ
られた。 |