榛名神社
群馬県群馬郡榛名町榛名山849 mapion


鳥居



交通案内
 高崎駅前から榛名湖行きバス70分 神社前下車



祭神
 火産靈神、埴山姫神 (合祀)水分神、高オカ神、闇オカ神、大物主神、木花開耶姫神
 摂社
 杵築社「大國主命、事代主命 (合祀) 豐宇氣姫命、五十猛命、大屋津姫命、譽田別命、經津主命、奧津彦命、奧津姫命、日本武命」
 國祖社「豐城入彦命、彦狹嶋命、御諸別命」
 塞神社「八衢比古命、八衢比賣命、來名戸神」
 秋葉山神社「秋葉神、氷室神、天津神、國津神、雷天神、風天神」
 須賀神社「須佐之男命、稻田姫命」
 琴平宮「大物主神」
 オカ神社「水分神、高オカ神、闇オカ神」
 富士山神社「木花開耶姫神」
 稲荷社「倉稻魂命」



由緒 
 上野国群馬郡の延喜式内社。
 綏靖天皇御世に鎭座し、用明天皇元年(585)に社殿を造営と伝わる。
 万葉集巻十四・三四一〇 「伊香保ろの傍(そひ)の榛原ねもころに奥をな兼ねそまさかし良かば」の中の榛原が社名の語源とされている。榛名山は伊香保嶺と呼ばれていた。榛名山の神を祭る神社は群馬東部には伊香保神社、群馬西部には榛名神社が分布する傾向にある。


双龍門と岩

 現在の鎮座地は巖山と言い、奇岩・奇渓の多い深山、それ以前には里で祀られていたと言う。この話は目から鱗である。誰が見ても巖山が祭祀の出発点であり、ここから里へとの流れと思うのだが、修験者の手によって深山に遷されたと言う。今まで、「山頂から里へとの祭祀の流れ」と思いこんでいたのだが、注意深く見ていかなければならない。
 旧鎮座地は箕輪町西明屋字椿山に鎮座していた椿名神社との指摘がある。『上野名跡志』。
 当HPに投稿を下さる多美さんが、「西明屋村字椿山小字界図」を探してくれて、椿名神社の鎮座地を示されておられる。鎮座地


多美さんご提供古地図


多美さんご提供現状


本殿と御姿岩


お姿
 榛名神社前のバスを降りてから20分ほどひたすら登る。三重の塔、巨大な磐座が幾つか、相当に古い信仰だったことを思わせる。
 摂社の杵築社は本殿の横のお札売場の隣にあった。

 榛名満行権現、榛名寺とも呼ばれていたようで、寺院として崇敬されて来ている。参道には宿坊の名の「坊」がひしめいている。

 



お祭
秋季古大祭

  10月 9日


杵築社


榛名神社ご由緒
第三十一代用明天皇元(丙午)年紀元一二四六年(西暦五八六年)、創祀と伝えられ 、延喜式内の古社で上野十二社の六の宮である。南北朝時代から座主執行の二職が置 かれ、徳川時代の末期に至る迄神仏習合の時代が長く続き、東叡山上野寛永寺の管下 に属し、別当兼学頭が派遣されて一山を管理して居たが、明治初年神仏分離の改革に より榛名神社に復した。

御祭神
火産霊神(ほむすびのかみ)[鎮火・開運]
埴山姫神(はにやまひめのかみ)[五穀豊穣]
例祭五月十五日

社殿は寛政四年(百九十年前)の改築、周囲の巨厳と調和して建立されたもので荘厳 の極致を表している。御祭神は社殿の後ろに立てる御姿岩の洞窟中に祀られている。 榛名神社の太々御神楽(神代舞)三十六座は享保時代(約二百七十年前)以前より伝 えられたもので、その舞と拍子は極めて荘重古雅で昭和二十七年三月無形文化財に指 定されている。

御宝物と古文書
大織官藤原鎌足公真筆経文一、小野道風の真筆経文一、平相国清盛公真筆経文一、庁 宣一、足利持氏の許状(応永三十年三月二十八日)一、鎌倉御所入道知行書一、長野 伊予守立願書一、鎌倉執事上杉憲房の制札、同上杉憲政の制札一、武田信玄の高札 鏡之部八ツ花形(鏡経六寸白銅製奈良朝以前の物という)一、円形鏡(経五寸四分 乳鏡)一、円形鏡(経八寸裏に松喰鶴の模様あり)一、円形懸仏(経八寸七分十一面 観世音細線の像あり奈良朝の物という)一、円形懸仏(経八寸四分裏に大檀那源氏女 弘安四年八月とあり)一、円形懸仏(経六寸五分裏に富士権現とあり)

随神門(旧二王門)  一八四七年(弘化四年)上棟、棟梁は埼玉県宮内の関根修理 、神仏分離までは二力士像があって雲慶の作と伝えられていた。

矢立の杉  四百年前武田信玄が箕輪城(城主長野信濃守)攻略のみぎり矢を立て 戦捷祈願せられたる杉の巨木で周囲十米余、枝南七米余、北五米余ありさながら天を つくが如くである。近くに矢の久保、のぞき岩等の古戦跡がある。昭和八年文部省一 般史蹟に天然記念物として指定されている。

双龍門  八棟造りの建物で、原山宿大工棟梁清水和泉の建立したもの、彫刻は熊 谷宿長谷川源太郎の作で、中国の三国史から取材したものである。

尚榛名神社社殿(幣殿、間殿、拝殿)国祖殿、額殿、神楽殿、双龍門の七棟及び鉄燈 篭(元享三年奉納)一基は昭和五十七年四月二十日、県より重要文化財として指定せ られた。

榛名神社国指定文化財

榛名神社社殿(幣殿 間殿 拝殿〉
文化3(1806)年の再建(手前が拝殿、奥が幣殿で両者をつなぐのが間殿。幣殿・拝殿ともに入母屋屋根で権現造屋根は鋼版葺。目貫の鷲、左右海老虹梁の二龍ほか彫刻が多い。
格天井の花草飛龍の絵は仙台藩の絵師根本常南の筆。
祭神は火産霊神、埴山毘売神。

国祖社
天保12(1841)年修復。間口三間、奥行五間。
もと榛名山西部の御祖霊嶽にあったものを、いつの頃からか本社のそばに摂社として祭るようになったと伝えられている。神仏分離以前は本地仏を安置し、本地堂とも呼ばれた。
祭神は豊城入彦命・彦狭島命・御諸別命。

額殿
創建年月日不詳。本来は神楽の拝見所であるが、大小の、「太々御神楽」の扁額を掲げてあることから額殿とも呼ばれている。

双龍門
竣工は安政2(1855)年。間口十尺、奥行九尺。総欅造り。四枚の扉にはそれぞれ丸く文様化された龍の彫刻が施されていることから双龍門と呼ばれるようになった。
羽目板の両面には「三国志」にちなんだ絵柄が彫られており、天井の上り龍、下り龍とともに双龍門の風格を高めている。
棟梁群馬郡富岡村清水和泉、彫刻武蔵熊谷宿長谷川源太郎、天井の龍は高崎藩士矢島群芳の筆。

神楽殿
明和元(1764)年11月の再建。方二間の高床形式。神に奉納する神楽を演じる場所であり、本殿と向かいあい、床の高さを同じくする。棟梁は佐藤直右衛門。

鉄燈籠
竿の部分の銘文によると元亨3(1323)年に沙弥願智が大工芳十光長に作らせ奉納したとある。
材質が鉄であることや基礎の唐獅子が浮き彫りにされている格狭間の形状などに鎌倉期の特徴がよく表れている。
鉄燈籠としては県内最古。なお、笠の部分は後世の補作。
昭和57年4月20日指定
群馬県教育委員会
榛名町教育委員会

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