伊太祁曽神社
岐阜県高山市丹生川町根方字乙保木577番
 its-mo



交通案内
高山−平湯温泉バス 中小野なかこの下車 川を北に渡る

 

祭神
五十猛大神、市杵島姫大神



由緒
 創建は第七十六代近衛天皇の久安六年(1150)と棟札にある。一説には伊太祁曽は日抱尊で、ヒダキとは厳岳の意と推定しているようだ。   

 丹生川沿いに伊太祁曽神社が多いが、高山市方面には比較的少なく、瓜田・小野から川上の地域に点在している。 この地域の開拓は飛騨の中でも比較的後期に当たり、その頃に伊太祁曽神を奉ずる人々が入植してきたのだろう。

 岐阜市方面から高山方面の川沿いは日本海側へ抜ける幹線であり、古代から開かれていたのであるが、この幹線沿いで伊太祁曽神を祀る神社は、高山市内二座のみである。

 行き止まりに近い丹生川沿いはかってはあまり見向きもされなかった秘境であった。今でもそのような雰囲気であるが、平湯、新穂高などの温泉地帯にトンネルが通じて、行き止まりが解消されたのである。
 それまでは、女工哀史で有名な野麦峠が東へのルートであった。

 さて紀の国の人々は最近までもアメリカ等に移民として移っているが、山からすぐ海岸となる地域で耕地面積が少なく、次男三男は外に出て活路を見いだす他生きるすべはなかったのである。それは現在でもそうである。

 高山市から遙か10km以上も離れた瓜田地域当たり以東が、開拓移民が入れた地域である。
 彼らは故郷の氏神である伊太祁曽神(五十猛命)を奉じて、必死の思いでこの地に入ったのであろう。

 しかし今日、林業の衰退と共に過疎の村もできつつあり、歴史の役割を終えていく村と神社もあるのである。



お姿
  境内が児童公園と一体になっている。杉、銀杏、紅葉の木々が多い。
 東方の日面の鍾乳洞窟の水が地下を潜って湧き出るという大清水がある。水量豊かなためこれを利用して養鱒場が営まれている。
 根方岩陰遺跡は縄文早期の打製石鏃・掻器・石匙・骨器や土器の他に人骨もでている。




お祭
  9月9日



参考 飛騨の神社、平成祭礼CD

飛騨の五十猛命
五十猛命ホームページ

神奈備にようこそ
inserted by FC2 system