月山神社・出羽神社・湯殿山神社
出羽三山神社
山形県鶴岡市羽黒町手向字手向

鳥居と随神門

交通案内
鶴岡駅から出羽山頂行きバス、羽黒センター 山頂its-mo

祭神
月讀命、伊波神、稻倉魂命、大己貴命、少彦名命、大山祇命
三山
月山神社 月讀命
湯殿山神社 大己貴命、少彦名命、大山祇命
一〇一の摂社から
五十猛神社
大年神社
厳島神社
蜂子神社
天宥社

五十猛神社

由緒
 出羽神社の祭神の伊波神は出羽国の国魂神、稲倉魂神との二柱を祀る。 鶴岡市内の稲荷神社には五十猛神と稲倉魂神を祀る神社が多いが、五十猛神と出羽国とは何か関連があるのだろうか。

 出羽三山を開いたのは能除仙で、別名を蜂子皇子(崇峻天皇の第三皇子)と言うとされる。すなわち羽黒山は588年に能除仙により開かれた古い具体的な歴史を持つ山岳信仰の山である。能除仙は三本足の烏の導きで、出羽の山に入ったと言う。
 出羽三山の構成は時代によって変わってきており、古くは月山と羽黒山、それに寒河江の葉山を含んでいた。湯殿山は長い間三山の奥院として、山の神秘を凝縮して存在しており、三山の一になることはなかった。

 約2kmの登拝参道、多くの摂社末社が鎮座している。両側には巨杉が林立、森厳さに人を誘う。

二四四六段の石段

祓い川神社と須賀の滝

 参道を歩き始めるとすぐに下り道となり、川を渡る。門神二社を過ぎるとすぐに五十猛神社と大年神社が並ぶ。 江戸時代初期の様式の社殿と言う。羽黒山を著名な山にし、多くの参拝者を呼び、寄進も受けたいと、中興の祖とされる天宥和尚が考えて、全国から一〇一社の分霊を勧請したと言う。


 五十猛神社は参道入り口の端に鎮座、最悪の立地と形容できる全山中の最も低地に鎮座、最後の勧請社かも知れない。将軍吉宗の時代の勧請かも知れない。

平将門建立の五重の塔

山頂の鳥居すぐの蜂子神社

 山頂付近の合祭殿の前に鏡池があり、本来の御神体だったとか。五百を越える古銅鏡が出土していると言う。

三山合祭殿

三山合祭殿と手前の鏡池

 合祭殿に向かって右側に霊祭殿がある。死者供養、祖霊供養の浄土教的なれkし背景を想像させる。 三山の本地仏は、羽黒山が聖観世音菩薩、月山は阿弥陀如来、湯殿山は大日如来となっている。

お姿
 羽黒山の石段は長い距離を延々と歩くのだが、一段一段はあまり高くない。昔の人は小柄だったということ。逆に歩きにくい。
 目的の五十猛神社は下りきった角に鎮座、少し向こうに滝があり、 、その後、約1時間の道のりを歩き、鏡池と三山合祭殿に到着する。 信仰の山で修験の伝統が強く残っているようで、神仏習合の雰囲気がありありと見える。

蜂子皇子の墓 宮内庁の管理のようだ。

お祭り

三神合祭殿  7月15日 例大祭
月山神社    8月14日 本宮祭
湯殿山神社   8月15日 湯殿山神社本宮祭

出羽三山神社 『平成祭礼データ』

信仰の山・精霊の山・修験の山―国立公園・出羽三山
涼しさやほの三か月の羽黒山、雲の峰幾つ崩て月の山、語られぬ湯殿にぬらす袂かな、有難や雪をかほらす南谷・松尾芭蕉『おくのほそ道』其玉や羽黒にかへす法の月・芭蕉、元禄二年(一六八九)盛夏出羽三山登拝の折認める「天宥別当追悼句文」日本人の源郷(げんきょう)・出羽三山は、千四百有余年の歴史と伝統をもつ我が国有数の信仰のお山であり「羽黒派古修験道(はぐろはこしゅげんどう)」の道場です。
出羽三山とは−出羽国(でわのくに)(山形県など)にある月山(標高一九八四b)、湯殿山(同一五〇四b)、羽黒山(同四一四b)の三つのお山の総称で、三の数字は古来“聖数”とされ全国にその例は数多(あまた)あります。
出羽三山神社(でわさんやまじんじゃ)とは−月山頂上に月山神社、羽黒山頂に出羽(いでは)神社、湯殿山の中腹に湯殿山神社が夫々鎮座(ちんざ)されていますが、三つの神社を合わせて通称「出羽三山神社」といっています。また、月山神社と湯殿山神社は冬季の参拝が無理であることから羽黒山の出羽神社に三神を合祭し「三神合祭殿(さんじんごうさいでん)」と称し、恒例の祭典は三神社同時に合祭殿で行われます。
三山神社の御祭神は−月山神社は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の御弟神であられる月読命(月読みの命)、出羽神社は出羽国の国魂(くにたま)であります伊波神(いではのかみ)と稲倉魂命(うかのみたまのみこと)、湯殿山神社は大山祇命(おほやまつみのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくな ひこなのみこと)を祀っています。他に広大な神社境内には、百一末社(まっしゃ)と総称される神々の社(やしろ)があって八百万(やおよろず)の神々が祀られています。
御開山の年と御開祖は−今を去る千四百余年前の推古天皇元年(五九三)に、第三十二代崇峻天皇の皇子・蜂子皇子が、奈良の都からはるばる日本海を北上しこの地においでになり三本足の霊烏(れうう)の導きにより羽黒山を御開山され、次いで月山と湯殿山を開かれました。当社では蜂子皇子を「御開祖」と敬仰(けいぎょう)し、平成五年(一九九三)が開山の年から数えて千四百年に当ることから盛大に「御開山一、四〇〇年祭」を執り行い、年間を通してさまざまな奉祝記念行事や事業を行いました。
出羽三山神社の歴史と信仰は−御開山千四百余年、という類稀(たぐいまれ)な永い歴史と伝統をもつお山だけに時代によりさまざまな変遷がありました。そもそも出羽三山神社は自然崇拝、山岳信仰の“古神道”から発した神社ですが、平安時代の初め仏教の強い影響を受けて「神仏習合(しゅうごう)」し、明治維新の「神仏分離(しんぶつぶんり)・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」まで真言宗、天台宗など多くの宗派によって奉仕され鎌倉時代には「八宗兼学(はっしゅうけんがく)のやま」とも称されました。 その為出羽三山信仰は他に例を見ない“多様にして限りなく深い信仰世界”を今に育(はぐく)み、「東(ひがし)三十三ケ国総鎮護」として篤く尊崇(そんすう)されています。

山濱さんご提供 冬景色 左が五十猛神社、右は大年神社


参考 『日本の神々』、『式内社調査報告』

h15.8.18


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